第五章(二)「その答えを探す旅なのかもしれない」
「──ああ、何と申せばよいのか……のどが詰まって、言葉になりません」
「……口に出して表す必要はないんじゃない? 少なくとも、ぼくは普通のことしかしていない」
彼はただ黙して、再び頭を下げる。
彼の輝く銀髪や薄暗い肌が、どれほどこの世の人間の「普通」から、彼を遠ざけてきたのだろう。
それに、彼の歌は世の中に正当に評価されるべきだ。魔族にはこんなに素晴らしい歌があって、素晴らしい歌い手がいることを、世間に広く知られるべきだ──
「それでは、貴重なお時間をいただきありがとうございます。わたくしはこれにて──」
「待って。君はこれから、どうするつもりだ?」
立ち上がる男を呼び止め、ぼくは訊いた。男は楽器を肩にかける手を止めて、首を傾ぎながら言った。
「ここは今日のうちに離れて、デール・アリアの都に向かいます。その後は、ココロウゼバ王国へ行ってから、魔界に帰ろうかと思っていますが……」
「まだ旅を続けるつもりなのか。行く先々で、あの酒場の主人のような対応をされるのであれば、吟遊詩人なんてまともにやっていけないだろう?」
「そうですね。旅を続けるのは大変です──ですが、これまでもそのような対応は決して珍しいものではありませんでしたし、これからも珍しいものではないでしょう。それが世の習いというものです」
吟遊詩人は微笑んだ。ほんのりと苦み走った微笑だった。
「……ぼくは、それが正しいとは思わない」
ぼそりと、しかし吐き捨てるようにつぶやいたぼくのひと言を、彼は聞き逃さなかった。少なからない衝撃を受けたように、彼は、切れ長の目を大きく見開いていた。
「──ですが、世間一般には、それが──」
「知ってるよ。でも、ぼくの中では確信した──世の中の方が間違っているんだ」
「……我々魔族を、そのようにお考えくださるのは……とてもとても、恐悦至極にございます。……しかしながら、世の常識を否定したところで──」
「そう、ぼく一人が異を唱えたからって、世の中はどうにもならない。それも分かってる。だからまずは──今、ぼくの目の前にいる魔族から助けたいと思う」
ぼくを見つめたまま、彼は凍りついたように動かなかった。ぼくは眉をハの字にして、口の端を小さくもたげる。
「……あの、余計なお世話だったならごめんね。ぼくの旅は行くあてのないものだし、どうせなら少しでも君の旅が辛いものにならないための手伝いをさせてほしいんだ。迷惑でなければ、だけど」
「……ありえないです。なぜ、そこまでされることがあるのですか。ほんの一時前に初めてお逢いしたばかりのわたくしに──」
男は首を横に振って、表情を曇らせた。
彼は、ぼくがペテンにかけようとしている、と思っているのかもしれない。
疑われて当然のことを話している自覚はある。
かと言って、言葉巧みに信用を得られるような話術があるわけでもない。
信じてもらえるかは別として、ぼくにはただ誠実に胸中を明かす他にできることはないのだ。
「まあ、普通に考えておかしいだろうけど……ぼくはただ、この世を救いたいって思ってるだけの変人なんだよ」
偽りない気持ちではあるのだが、口に出すと何と荒唐無稽でバカげた物言いなのか。余計に信用し難い人物と思われるだけだ。
しかし……彼から返ってきたのは、高らかな笑い声だった。
意外な反応にきょとんとしていると、ひとしきり笑った男は、再びぼくの前でひざを屈して目線を合わせた。
「なるほど、世を救うという目標の過程として、わたくしを救いたいと……あなたは、実に愉快な人だ。もし仮に世を救える者がいたとしたなら、それはきっと、あなたのように変人であることをわきまえた変人なのでしょう」
握手を求めるように、すっと、右手がぼくの手元に差し出される。
「ボグー・フィ=ラ=ボースと申します。あなたは?」
「シラカー・ハイアートだ。変人と認めたくて認めてるわけじゃないんだけど、まあ、今後ともよろしく」
灰色の手のひらを、そっと握り返す。
血の気が失せているように見えたそれは、じわりとした、人肌の温かみを感じた。
風が吹くたび、砂塵に煙る街道を往く。
「……えっと。『ボース』、でいいのかな」
「いいえ、それは父の名です。わたくしのことは『ボグー』とお呼びください」
左隣を並んで歩く魔族の青年に声をかけ、彼は、ぼくの間違いにもにこやかな表情で応じた。
「ああ、ごめんね。魔族の名前を聞いたのは、初めてだったから」
「いいえ、気にしていません。ちなみに、我々魔族の姓名のつけ方は『名前・生まれ順・性別・父親の名』と定められています。ダーン・ガロデ風に申し上げますと、わたくしの名であるボグー・フィ=ラ=ボースは『ボースの七男ボグー』という意味になります」
「へぇ。『フィ=ラ』で『七男』?」
「はい。長子から『オ』『エ』『ゾ』『ビ』『メ』『ガ』『フィ』と数えまして、男子であれば『ラ』、女子であれば『ホ』と名づけられるのです」
「そっか、憶えとくよ。教えてくれてありがとう、ボグー」
「いえいえ。──名前と言えば、シラカー・ハイアートというのもかなり変わったお名前ですね。どちらのご出身でいらっしゃるのでしょう」
訊ねられて、ぼくは少し言い淀んだ。あまりこと細かく追及されても答えづらい。
とは言え、下手にウソをついて話につじつまが合わなくなってしまうようなことがあれば、ボグーはぼくを信用しなくなるだろう。
「……聞いても分からないとは思うけど、ぼくは日本っていう遠い国から来たんだ。名前は、現地の言葉で『白い河・速い人』って意味がある」
「『ニッポン』……? 多くの国を旅してきたわたくしですが、生憎存じ上げません。名前の意味もかなり特殊ですね……なぜそのようなお名前になったのでしょう」
「うーん……『シラカー』は家名ってやつで、ぼくの父のそのまた父のさらに前からずっと続いてて、成り立ちまではぼくの知るところではないんだ。たぶん、ぼくの先祖が白く泡立つ渓流とかさざ波の立つ河のほとりに住んでたとか、そういう理由なんじゃないかな」
「そうでしたか。では、『速い人』というのは、なぜ……?」
「それも、答えるのが難しいなぁ……かなり回りくどい説明になっちゃうと思うけど、いいかい」
「もちろんです。あなたとの会話は実に楽しく、興味が尽きません」
にこりと微笑むボグーの頬に、風精霊がまとわりつく。社交辞令というものでもなさそうだ。
「それじゃ、理解してもらえるか自信ないけど……まず、ぼくの名前は父がつけたのだけど、父は、その……『競走』を生業にしてる人でね」
「競走を? 走ってお金をもらっているということですか?」
「そう。ぼくの国の言葉では『ケイリン』って呼ぶんだけど、走るのが速い人たちを競わせる催しがあるんだ。競走に勝ったら、賞金がもらえる」
「賞金を……そのお金を、誰が出すのでしょうか」
「ケイリンの主催者さ。ケイリンは大勢の人が観られる催しで、観に来た人は誰が勝つかを予想してお金を賭けることができる。主催者は賭け金の何割かを走者への賞金と自分らの収益にして、残りを賭けに勝った人に配る」
「要するに……ケイリンというのは、とどのつまり『賭博』なのですね。そのような形式の賭博があるなんて、実に興味深いです」
感心したようなボグーの物言いに、ぼくはうなずきを返した。
「じゃ、話を戻すね。そんなわけで、ぼくの父は速く走るということに固執してて……ぼくの国では『縁起をかつぐ』というのだけど、好運を願って、ぼくに『ハイアート』と名前をつけたのさ」
「息子の名前に、自身の好運を託したわけですか? それは何とも……理解しがたいですね」
「……そう言われると、まあ、ちょっと変かな。でもそれが、ぼくの国の『縁起』って概念というか何というか。そういう文化なんだと思っといてほしい」
ぼくは苦笑して肩をすくめ、ボグーは、それにかぶりを振って応えた。
「いえ、否定するわけではありません。正直、理解に苦しむ文化は世界のどこにでもありますが、それも何かしらの故あってのものですから……」
少しうつむき加減にして、魔族の青年はぼそりとつぶやく。
魔界にも魔界独自の文化や風習や常識があって、それが外の世界の人々の忌諱に触れているのだろうか。ぼくもこの世界の常識の外から来た人間だから、それに気づけないのだろうか。
ぼくのこの旅は、その答えを探す旅なのかもしれない。
歩みを進める街道の先にある、黄昏に染まりつつある都城の門を眺めながら、ぼくは物思いにふけった。




