第四章(十)「噂に聞く『六行の大魔術師』みてぇな強さだ!」
ひざ丈ほどの青草に覆われるぬかるんだ大地を、ぼくはナホイと並んで駆けていた。
頂点が雲にかすむほど高くそびえ立つ聖樹の雄大な姿が間近に見えてくるにつれ、両軍勢の姿がまばらになり、草むらにまぎれて横たわる死体の数が増えていった。
「なぁ、ハイアート……何か様子がおかしいぜ」
ナホイに言われずとも、この戦場の異常さにぼくは気づいていた。
とても静かなのだ。
槍のかち合う音、鎧のすれる金属音は聞こえてくる。しかし戦う者たちの怒号や悲鳴といったものがまったく耳に届かない。
すぐ先の、兵同士の剣戟に目を止めた。お互いに無言で、すでに死人になったような顔をして槍を突き合っていた。彼と同じく傭兵であるはずのナンズ軍の兵士の方は左腕を血まみれにして力なくだらりと下げていた。
両手で槍も持てない状態で、勝てるはずもない戦いをなぜ続けているのか不可解だった。
そこにナホイが矢のように飛び込んで、瞬く間に二撃の刺突をイーダ兵に浴びせかけた。叫び声も上げずに敵は仰向けに倒れ、瀕死であるにも関わらず最後まで槍を手放さずにもがき、やがて絶命した。
まるでロボットが壊れて動かなくなったかのような、人間味の感じられない最期だった。
「おい、そんな大ケガで何をしてる! さっさと退却しろ、命が惜しく──」
傭兵はナホイの声が聞こえていないかのごとく、振り返りもせずに、槍を片手で構えたまま他の敵兵へと突進していく。敵兵も何の躊躇もなく迎え撃ち、淡々と、彼ののど笛を刺し貫いた。
「わけが分からねぇ……ハイアート、こいつらは一体どうなっちまってるんだ?」
泣きそうな声で、ナホイが訊く。賃金が目当てでしかない傭兵が、むやみに命を捨てて無謀な戦いをする義理などなく、彼らの行為は理解しがたい。しかし──
ぼくは首を左右に振って、それからふっと、巨塔のような大樹の姿を見上げた。
「ぼくにも分からない。ただ……あの『聖樹』に近づくほど、長く戦場にいる者ほどおかしくなっているように思うんだ」
「するってぇと……つまり、どういうことだ?」
彼の頭の回転の悪さがまるでぼくの例の幼なじみみたいで、懐かしさも手伝って、腹の底から滑稽さがこみ上げてきた。
「つまり、原因はもっと聖樹の近くか──あるいは、聖樹そのものにあるんじゃないだろうか」
ナホイは目をパチパチとさせて、遠くに霞む聖樹の姿とぼくの顔を交互に見つめた。半信半疑といった彼の態度に、自信ありげに大きく頭を上下させて、ぼくは言葉を続けた。
「──それが分かれば、もしかしたらこの紛争自体終わらせられるのかもしれない……ナホイ、ぼくは──」
ぼくはその先を言いよどんだ。ナホイにもナンズ氏族国に雇われた傭兵としての立場がある。しかしナホイは、かぶとの隙間からのぞく顔を微笑みで満たした。
「分かってるぜ、みなまで言うな! 俺もつき合うぜ──聖樹まで」
そう言ってくれると九九パーセント確信していたが、やはり、言葉に出してくれると嬉しい。
ぼくはうなずきを返して、ひと足早く走り出したナホイの後を追った。
立ちふさがる兵士らを、次々と突き、なぎ払い、火炎弾や魔力弾で穿ち抜く。
誰しもが、魂の抜けた人形のように無言のまま倒れていくので、逆に薄気味が悪い。ナホイも同じように感じているのか、攻撃する時の気合いの声を上げる以外は、何も言葉を発しなくなっていた。
そうして、十数人を打ち破った頃だろうか。
湿地から森林へと入ると、もはや敵兵の影は見えなくなっていた。イーダ軍の防衛線を抜けたのだろう。木々の間から切れ切れに望む聖樹の姿が大きくなるにつれ、そこから重苦しい気配を強く感じ始めていた。
その正体は、依然分からない。
しかし、そこから如実に受ける圧迫感は、聖樹に恐るべき何かがあると確信するに十分だった。
「……うおっ! ととと」
突然ナホイが叫んで、片ひざをついた。一瞬前に彼の身体がふらついたように見えて、ぼくは不安を覚え、彼のそばにひざまずいた。
「どうしたナホイ、何かにつまずいたのか?」
「いや……何か急に目の前がチカチカして……大丈夫、なんでもねえ」
間を置かず、ナホイがしゃんと立ち上がって歩き始めたので、問題はなさそうだが──妙な胸騒ぎがする。
いや、さすがに心配し過ぎか。
変わらず軽快な足運びのナホイを見送って、ぼくは自嘲気味に、鼻で短い嘆息をついた。
それから何事もなく小一時間ほど突き進むと、不意に、森が途切れた。
おそらく人為的に拓かれた平地だ。目前には巨木の根元が視界の端から端まで広がっており、その周囲を、高く築き上げた木製のバリケードが囲んでいた。
目の前まで近づいてみると、バリケードはここ数年のものではないように見えた。何十年、ともすれば何百年の悠久を風雨にさらされ続けた重々しさを、表面の色合いに醸し出している。その高さは三、四メートルほどあり、見渡す限り切れ目や入口のようなものは見当たらない。
「厄介なモンがあるな。乗り越えられない高さじゃなさそうだが──」
ナホイが言いかけた言葉を、派手な炸裂音が妨げた。
そこを「よじ登る」という選択肢が頭になかったぼくが、右腕から激しい風圧の渦を放ち、木の壁に大穴を空けたのだ。おそらく「破壊する」という選択肢が頭になかったナホイは、一瞬絶句して、それからヒュウと口笛を鳴らした。
「スゲェ! 風の精霊術を見たのは初めてじゃねぇが、こんな威力のものは見たことがねぇ! あんたはまるで……噂に聞く『六行の大魔術師』みてぇな強さだ!」
不意をつかれて、ぼくはうっかりブッと吹き出してしまった。
「な、なんだよ。俺おかしいこと言ったか?」
「い、いや、何でもない。ずいぶんと大層なものを引き合いに出されたなと──うん?」
もうもうと砂塵の舞うバリケードの残骸の向こうに人影がちらついたので、ぼくたちは身を固くして戦いに備える。しかし、ふわりと風がそよいで塵芥の煙が流れていくと、ぼくもナホイもぎょっとして目を丸くした。
人影は、死体だった。
肉体は朽ちて干からび、ミイラと化しているそれが、うろうろとさまよい歩いている。
さらに粉塵が晴れていくと、死体はそのひとつだけではなかった。巨木の根の周辺にいくつも、動き、よろめく人の骸が見えた。ほぼ白骨化したものや、黒ずんだ腐肉をまとったものなど、その状態も様々だった。
「な、なんだこりゃあ……どう見ても死んでるのに、う、動いてやがる……?」
ナホイが、恐怖を含んだうめき声を上げた。
映画などでゾンビという概念を持っているぼくと比べ、彼は目の前の現象を整理できず、パニック状態になりかけている。
「あわてるな、ナホイ。死体が魔術をかけられて無理やり動かされているだけだ」
あえて断言してみせたが、実のところは何も分かっていない。ナホイを冷静にさせるための出まかせだ。その試みは上手くいったようで、彼の表情には、やや落ち着きが戻っていた。
「そ、そうか……しかし、誰が何のためにこんなことを?」
「分からない。でも、その答えは聖樹にあるかもしれない。行こう」
先にぼくが壁の大穴をくぐって中に踏み込み、後からおっかなびっくりのナホイがついてくる。何の目的をなさそうにぶらついていただけのゾンビたちは、ぼくらがこの領域に入り込んできたのが引き金になったのか、一斉に敵意を露わにして近づいてきた。
「おいでなすったぞ。ナホイ、構えろ」
「お、おう……だが、もう死んでる奴を相手にどう戦えばいいんだ……?」
ぼくは眉をしかめて、ゾンビの出てくる映画や漫画のいくつかを頭に思い浮かべた。その多くでは頭を破壊するというのが定番だったが、頭の中身がすでに朽ち果てているとしか思えない死体も平気で動いているところを見ると、その攻略法は期待できそうにない。
「……とにかく、動けなくさせればいいだろう。例えば、足を壊せば歩けなくなる」
手近な「動く死体」の両脚を狙って、魔力弾を放つ。
大腿から下が爆ぜ、仰向けに横臥すると、それはゆっくりとした動きでもがくだけの物体となり果てた。
「そうか、足を狙うんだな。それなら簡単だ」
ナホイは槍を横薙ぎに振り、ゾンビの右ひざを両断した。素早く返す刀で正確にそれの左ひざを柄で打ち、関節としてあり得ない角度にひん曲げてしまうと、ゾンビは無残な姿で地面に転がった。
「ふん、ビビって損したぜ。生きてる奴を相手にするよかずっと楽勝だ」
「だが数が多い。油断するな」
「心配ねえって、こんなウスノロ共が百人束になったって俺に──うっ?」
不意に、ナホイがかぶとの上から頭を押さえて、がくりと両ひざをつく。立てない様子の彼に死体が迫り、ぼくが暴風でぶっ飛ばすと、それは背後の別の死体にぶつかって四散した。
「大丈夫か、ナホイ?」
「ああ、えっと……何か頭が……何だっけか……いや、何でもねえ。大丈夫だ」
ぶつぶつと口ごもりながら立ち上がり、多少上体をふらつかせていたが、次の瞬間には以前と変わらぬ豪快な槍さばきで歩く骸を破壊し始めたので、ぼくはナホイにそれ以上何かを言うことができなかった。
黒々とした不安が胸を満たすが、彼に何が起きているのかをまだ知り得ることができない。
分かっていることは、すべての異変が「聖樹」を中心に起きているということだけだ。
改めて、今や数百メートル先に立っているだろう、その姿がぐっと近づいた聖樹を見やる。
聖樹の根本には、どれほどの時を経たのか想像もつかない、かつて家屋であっただろう木造物の残骸が立ち並んでいた。その数と密集具合は、ここが集落であったことが窺える。
「──ナホイ、『聖地』が昔は『街』だったなんて、聞いたことがあるか?」
「いや……聞いたことも、考えたこともなかったぜ。ただ何となく、畏れ多い場所だと感じてたからな」
何か手がかりになるかもと一応訊いてはみたが、大方の予想を裏切らない返答にぼくは肩をすくめた。
「だろうね。どの道、聖樹自体を調べないことには始まらない──急ぎたいが、物陰から不意打ちを受けないよう、慎重に進もう」




