第四章(十一)「むしろそれがいい」
家であったものなのかも分からないほど荒れ果てた建物と建物の間を通り抜け、徐々に、聖樹の足元へと接近していく。
通りにも建築物の中にも例の動く死体はあふれ返っていたが、身体が朽ちて歩くのがやっとの死体に、ぼくたちの進撃が遮られることはなかった。何十体ものバラバラ死体の山を築き上げながら、着実な前進を続けていくと、廃墟に遮られていた視界が突然に開けた。
直径二百メートル、いや三百メートルはあるだろうか。常識外れの巨木の幹が地面からそそり立っている。地表にわずかにのぞく根の上部は、地下でどれほど広がっているのか想像もつかない。そんな圧倒的な情景が、五十メートルほどの先に見える所までぼくたちは肉薄していた。
理解しているつもりだったが、いざ目の当たりにすると、デカい。デカすぎる。
この規格外の巨木の、一体どこを調べれば原因が分かるのか──皆目見当がつかない。
どうしよう。どうすればいい。
頭が真っ白になって、途方にくれかけた、その時。
「うあっ……!」
うめき声に振り返る。
ナホイがひざをついてくずおれ、うずくまるように背中を丸めて、全身をがくがくと震わせていた。槍を放り出し、両手で頭を抱えていて、その表情は苦悶に満ちている。
「どうした、どこかケガでもしているのか?」
「ケガじゃねぇが……あ、頭が、何かモヤモヤして、何も考えられねぇ……あ、あれ、俺は今、何をしていたんだっけ……?」
ぞくりと、背筋が冷たくなった。
今さらながら、ぼくの脳裏に一つの推測がひらめいたからだ。
聖樹から魔術によって、魔力による何らかの影響が放たれているというのは感じていた。その影響が聖樹に近づくにつれて、どんどん増しているのも。
その魔術が、禁術とされている──人の精神を侵すものだったとしたら?
精神に作用する魔術は、個々人が持つ魔力制御力を超える魔力をもって浴びせられなければ、何の効果も与えられない。
だから、ぼくの無限レベルの魔力制御力の前には何の影響も及ぼせず、ぼく自身はまったく平気だった。平気だったからこそ、そのことに気づくことができなかった。
でも、ナホイは違う。
聖樹に近づけば近づくほど強く、魔術の影響が彼を蝕み続けていたのだ。
そして今、いよいよナホイの精神がそれに耐えられなくなっている──
その行き着く果ては、あの心を無くしたかのように戦う戦士たちとなり、やがて命を落とし永劫にさまよい続けるゾンビたちとなってしまうのだろう。
もう、原因を調べている猶予がない。
彼を救える手段は、ただひとつだけしか思いつかない。
だがそうしたなら、ぼくはきっと、森林族にとって天下の大罪人となるだろう。
でもそれでいい。
むしろそれがいい。
ぼくは魔術師の外衣の両袖にがっつりと魔力を叩き込んだ。猛烈な勢いで精霊が渦を巻いて手中になだれ込み、あっという間に周囲の精霊が空っぽになった。
両手の中に、今まで蓄えたことのない量の火精霊がたぎる。
そして、すべての精霊力を込めた莫大な白熱の光線が放たれて──聖樹の巨大な幹を、下から上へと縦に薙ぐ。
大木は、一瞬で火柱と化した。
──ああ、やっちまったな。
赤々とした紅蓮に包まれる森林族の「ご神体」を憮然としながら眺め……ほどなく強烈な魔力の気配がゆるみ、薄らいでいくのを感じ、ぼくは小さく口の端をゆがめた。
「……な、何だこりゃあ……こんな、とんでもねえことができるなんて……おまえ……」
横に人の気配を感じて、わずかに顔を傾ける。
炎に照らされて赤く色づくナホイの姿があった。ナホイはこちらに目線を向けて、それから、何かに気づいたようにその目を大きく見開いた。
「……そうか。俺は、失礼なことを言っちまったようだな。ハイアート、おまえが、六行の──」
ぼくは人差し指を横に振って、それを口元に当てて微笑んだ。口をつぐんだナホイは、再び目線をさっきまで聖樹だったものに向け──その樹体のすべてを真っ赤な炎に包んだそれを、ただ呆けたように見上げていた。
──どれくらいの時間、燃え盛るそれを無心に見つめ続けていただろうか。不意に枝のひとつが崩れ落ち、地面で派手に火の粉を舞い上がらせた時、ぼくたちははっと我に返った。
「ナホイ、ここは危険だ。早く離れよう──そして、君とはここでお別れだ」
「えっ、お別れ? どういうことだ?」
「察しが悪いな、ぼくは森林族の『神様』を燃やしてしまったんだ。森林族の大敵として追われる身になるんだよ。だから、ぼくはすぐにこの国から逃げ出さなきゃいけない」
ナホイは絶句して、愕然とした目をぼくに向けていた。そしていくばくかの沈黙ののち、彼はきりっと真剣な顔つきになって、
「……じゃ、じゃあ、俺も一緒に国を出るぜ! 戦争のたびに戻っていただけで、そうじゃなけりゃナンズに戻る気なんか元々ねえんだ。だから、お別れだなんて──」
「ダメだ。君には国に帰って、聖樹を燃やしたのはぼくだと触れ回ってもらいたいんだ」
さっきよりも大きなショックを受けたことが容易に読み取れる表情で、ナホイは再び絶句した。
「な、何言ってんだ……? おまえは、俺を助けてくれただけじゃなくて、この国から戦争のタネを無くしてくれたんだぜ! それなのに、何で俺が、大恩人のおまえを大悪人に仕立て上げなきゃならねぇんだ!」
「だからだよ。ぼくが逃げてしまって、誰がやったか分からないままじゃ、この国の人々は『犯人探し』を始めてしまうだろう。そうなったらきっと、互いの国は責任を押しつけ合って、再び泥沼の戦争になる。森林族国の民じゃない者のせいだと万人に知れ渡れば、そのことは逆に、この国をひとつにする──」
三度目の絶句。理解はしたが、納得ができない。だが反論もできない。ナホイの悔しそうな顔が、明白にそう語っていた。
「……ナホイ、君の気持ちは分かるし、本当にありがたいと思う。でも、これはぼくを知ってくれている君だからできることだし、君にしかできないことなんだ。ぼくは──」
「──分かってる! みなまで言うな! たとえ汚名を背負っても、それがおまえの望みなんだろ……だったら、俺はそれに応えるだけさ!」
白い歯を見せて、ナホイは右手を差し出す。その手を握り、ぼくはにこりと笑みを返した。
麦の刈り入れの手伝いで思った以上に賃金をもらえたので、久しぶりに酒でも呑もうかと思い、隣町の酒場に足を伸ばした。
聖地でナホイと別れた後は、森林族国の北辺から国境を抜け、そこから北西にまっすぐ、できる限りの速さで半年間進み続けた。そうして行き着いたデール・アリアという小国をさらに半年近くさまよい歩いたが、その間、追ってきた者は一人もいなかった。
上手く逃げおおせられたのだろうか。
いや、ぼくも森林族国が今どうなっているのか、まったく分かっていないのだ。まだ油断はできない。
酒場の客席に目を配り、そこに森林族らしき者がいないことを確認してから、おもむろにカウンターに立つ店主の前に向かう。三十前後か、おそらくぼくと近しい年代の店の主人は、ぼくが店内に足を踏み入れた時からじっと訝しげな視線を投げかけてきていた。
「いらっしゃい。……あんた、見ない顔だね。それにあんたの格好──最近耳にした『六行の大魔術師』とかいうヤツによく似てるな」
「あー……その名前はぼくも聞いたことがあるけどさ、噂だとそのナントカってのはすごく強いんだろ? ぼくがそんなに強そうに見える?」
トボけて見せると、店主は再度ぼくをじっくりとねめ回し、あっさり首を横に振った。
「まぁ確かに、そうは見えないね。いやこの間さ、三カ国に分かれてた森林族が『森林族連邦』とかいう一つの国にまとまったとかで、それが『六行の大魔術師』のおかげだって話を聞いてさぁ」
「そうか……えっ、おかげ?」
「ああ、知ってるかな。森林族ってのは、国の中心にある巨木をご神体としてて、それを巡ってずっと内戦を繰り返してたんだけどね──そこに現れた『六行の大魔術師』が巨木を燃やして、森林族の『呪い』を解いたんだそうな」
「いや、えっと……『呪い』って、どういうこと?」
思っていたことと話がまったく違う方向に転がり出して、ぼくは戸惑いながら食い気味に訊き返した。
「六行の大魔術師が巨木を燃やすところを間近で見ていたっていう、『猛槍』ってあだ名の傭兵がそう証言したらしいよ。ご神体は七日もの間ずっと燃え続けて、しまいには跡形もなく消えてしまうまで、森林族国のどこからでも見られたそうだ。その炎を見ているうちに、みんな『何で戦争するほどあんなモノに執着してたんだろう』って思うようになったらしい。で、それはご神体が本当は森林族に呪いを振りまく魔術がかけられた『悪魔の樹』で、そのことを見破った六行の大魔術師が破壊して、森林族にかけられた呪いを解いたからだ、という証言があって……」
ぼくは途中から、ただ茫然としていた。それを興味深げに耳を傾けていると思ったのか、店主は得意げになって話を続けた。
「……でさ、その六行の大魔術師なる男は、そんな大偉業に何の見返りも欲しがらず、すぐ国を去っていったと。そういう高潔で謎めいた部分もあって、森林族国じゃ『救国の英雄』だと大絶賛。こんな地方のド田舎にまで噂が広がるほどの大騒ぎになってるんだ。あんたを見た時、もしかしたらって思ったんだけど、まぁそんな大人物がこんな国に用があるとも思えないしな……あれ、どうした? 面白くなかったか?」
そう尋ねられて、ぼくは自分が満面に苦虫をかみ潰したような表情を浮かべていることに気づいた。
あいつめ、余計なことを広めてくれたな。
でも、ぼくがかの国に追われる身でないと知れたことは、朗報だ。
ふーっと深いため息をひとつついて、ぼくは、数枚の銀貨をカウンターに並べた。
「いや、いい話が聞けたよ。ありがとう。そろそろ食事と酒を一杯、もらっていいかな」
「ああ、長々とすまなかったね。少々お待ちを」
銀貨をポケットに入れて厨房に向かう店主の背中を目で追いかけて、ぼくはもう一度、大きくため息をついた。




