第四章(二)「ゲフンゲフン」
「か! かっ、かっかっ、辛い!」
ぼくはあえぎと共に、ヒューヒューと息を漏らす。ダーン・ダイマの食事で多少のスパイスが使われたモノがなかったわけじゃないが、この一気に体温が上昇し、口中が味覚ではなく強い「痛覚」に見舞われる感覚はこれまでにない。
だが、日本にいた時代には覚えがある。
これは──「トウガラシ」の辛さだ。
「えっ、ええ? ハイアート、おまえトウガラシが食えないのか?」
「ひ、食べられらいわけひゃらいけろ、これは量が多すぎらろ……」
舌がチクチクして、呂律が回らない。ナホイは眉根にしわを寄せて、うーんとうなった。
「まいったな。ここの食いモンはどれも、これぐらいトウガラシが利いた奴だぜ。どうするかなー」
「……いやいや、自分でどうにかするよ」
首を横に振りながら、じっと鶏のローストを見つめて、思案を巡らせる。
トウガラシの辛味成分は、カプサイシンだ。これを分解すればいいわけだが──辛味をまったくなくしてしまうのももったいない。三割ほど残すようにして──
指の先から魔力を放ち、描き出した術式に、ナホイがあからさまにぎょっとして顔色を青くする。それをちらりと一暼して、ぼくは口の端に微笑を浮かべた。
「あわてるな。魔術は、人を攻撃するだけじゃない……こういう使い方もあるんだ」
術式を描き終えて、魔力の光が鶏肉の表面をふわりと包む。ナホイが呆然と見守る中、ぼくは鶏の脚を切り取ってがぶりとほお張り、にっこりと破顔した。
「旨い。うん、ちょうどいい辛さになった」
「何だって? そ、それひと口もらってもいいか?」
ぼくはうなずいて、一口大の身をナイフでこそぎ取って、ナホイの盆の上に置いてやる。彼は間を置かずにつまみ上げ、切身を口の中へ放り込んだ。
「……本当だ、辛くねえ! すげえ、魔術ってこんなコトが出来るんだ!」
大げさにも見えるほど、ナホイは満面に驚嘆を表す。魔術を目の当たりにした人に驚かれるのもすっかり慣れっこだが、彼の場合はただ恐怖の存在でしかなかったのだから、その分認識の変化がそれだけ劇的なのだろう。
「こんなの、ほんの小手調べさ。こんなんで驚いてたら、もったいないぞ」
「そっか、パネエなあ! 他にどんなコトが出来るんだ?」
「うーん、そうだなぁ……」
首を傾げたその時、ちょうどナホイの前に米酒の器が運ばれてきて、ぼくはニヤリとほくそ笑んだ。
「ナホイ、お酒のお替わりが来たね。まずそれをひと口飲んでみて」
「? おう、いただくぜ」
ナホイが盃を掲げ、口をつける。
そして、それを自分の手元ではなく、テーブルの中央に置いた。
「味はどうだった?」
「ああ、さっきと変わらねえぜ。さて、こいつをどんな味にしてくれるんだ?」
ナホイは酒の器とぼくの顔へ、期待の眼差しを行ったり来たりさせる。ぼくはもったいつけるように右手の人差し指をくるくるとさせて、それから火精霊力を込めた術式を器の口に向けて構築した。
「よし、できた。さあ召し上がれ」
ぼくが促すと、全身からワクワク感を漂わせながら、ナホイは盃を手に取る。
「おっ……これは!」
それを持った途端に小さな驚きを見せ、それからおもむろに、ぐいと米酒をあおる。
ナホイの両の眼が最大級に開かれた。
「あ、温けえ! んでもって……旨え! こいつぁ驚いたぜ、温めると余計に匂いが立って旨えんだな!」
そう叫んで残りの酒を一気に飲み干し、かーっと深いため息をつく。それからナホイは手を振って店主の注意を引くと、
「親父、知ってたか? 米酒って、温めたヤツも旨えって!」
「ああ、もちろんだ。常連の中にはお湯で温めてほしいって客も結構──あれ? 今出した酒は温めたりはしてなかったはずだが……」
「何だ、知ってたんなら教えてくれりゃいいのに! じゃあお替わりを二杯くれ、温めたヤツでな!」
言ってから、ナホイはぼくに「当然おまえも飲むだろ?」と言わんばかりの笑顔を向けてくる。先に訊いてくれと思わなくもないが、つき合わないつもりもないので、ぼくはただ苦い微笑みを返すにとどめた。
「よーし、あらためて乾杯と行こうじゃねえか。新たなる味との出逢いと、『聖樹』の御加護に感謝して──乾杯!」
やがて運ばれてきた「熱燗」の盃を持ち上げて、うっすらと湯気の立つそれをのどに流し込む。香りとアルコールの刺激がさらに増して、目の前がクラクラした。
「──なぁ、少し気になっていたんだが……乾杯をする時、毎回『聖樹』の御加護に感謝って言葉がつけ加えられるのは、どういうしきたりなんだ?」
酒も進み、料理も無くなりかけた頃、ぼくは訊いた。ナホイはぼくの言葉が頭にしみ通るにまでに時間がかかったらしく、少し間を置いてから小首を傾げた。
「しきたりっつーか、乾杯の時の定番の文句っていうのかな。疑問に思われたことはなかったが、確かに森林族以外では使われねぇ言い回しかもしれねぇなぁ」
「『聖樹』ってのは? 森林族の守り神的な?」
「ああ。まぁ、そんな感じの奴だ。森林族の国々の真ん中に生えてる、とんでもなくでっかい樹だ。天気が良けりゃ、ここからでも見えるぐれぇデカいのさ」
「それはすごいな。信仰の対象になるわけだ」
「まぁそれが、あんまいいことでもねぇんだけどさ」
ナホイは深いため息をつきながら、天を仰いだ。つまらなそうに表情を曇らせている。
「……なぜだい?」
「戦争が起こるからさ」
ぼそりと、抑揚のない声でつぶやく。ナホイはもう一度長く息を吐いて、さっきまでの元気をどこかに置いてきてしまったかのように、低くゆっくりと言葉を紡いだ。
「……傭兵の俺が言うのもなんだけどよ、戦争さえなきゃこの国ももうちょい豊かなんじゃねぇかなって、ゲイバムやらマランやらを渡り歩いた身からすりゃ思うのさ。だが、あの聖樹がこの森林族の国々の間に、絶えず戦争を引き起こしている」
「……どうして戦争になるのか、訊いてもいいか」
「聖樹とその周辺一帯──俺らが『聖地』と呼んでいる地の領有争いさ。聖地を巡る争いは、森林族をエブル氏族派、イーダ氏族派、ナンズ氏族派の三つに分断した。それぞれが聖樹の正当な領有を主張し、占領せんと攻め入って、聖地やその周辺で戦が起こる。そんなことが、俺が生まれる前からずっと続いているのさ」
ナホイはうんざりした顔を隠さず、ぶつぶつと文句を並べる。宗教がいさかいや戦争を生むのは、ぼくの世界でもよく聞く話だけど──
「それで、結局どこの国が聖樹を占領しているんだ?」
「ん? いや、聖地周りの戦場で勝った負けたはあるが──そういや、今どこが占領してるかってのは知らねぇなぁ……?」
ナホイは腕組みをして、首を傾けた。一番重要なポイントのはずだが、そこが分からないというのは名探偵コ○ンでなくとも「妙だな……」と感じずにいられない。
「……ま、それは別にいいや。すると、ナンズは今、聖樹の占領を目論んで挙兵の準備をしているってわけか」
「あ? まぁ、そのとおりなんだが、何で分かったんだ?」
「簡単な推理だよ。君は傭兵で、これからナンズの兵士になると言っていたじゃないか。それはつまり、ナンズが戦の準備のために、兵を募っているからだろう?」
「……あーなるほど、確かにそう言ったっけな! それだけでそこまで頭が回るたぁ、ハイアートは頭がいいな!」
いやいや。ばくの頭がいいというよりかは、ナホイの頭の働きが──ゲフンゲフン。
「それよりもさ、その──ナンズは、まだ兵士を募集してるのかな?」
「さあなぁ。さっきも言ったがナンズもそう豊かな国じゃねぇから、雇える人数もそんな多くはねぇだろうし──どうしてそんなことを訊くんだ?」
「そりゃあ、ぼくの方もそんなにフトコロが温かい方じゃないからだよ」
再び、ぼくの遠回しな言い回しがナホイの頭脳にしみ通る間がしばし開いた後、彼は今日イチの驚愕を全身から噴出させた。
「なっ……おまえ、バカ言ってんじゃねぇ! 魔術師だぞ! そんな奴が雇われに来たってなりゃあ──普通の傭兵の二倍、いや三倍の金を出しても……」
「そっかー、それは助かるなぁ。じゃあ──」
「分かってるぜ、みなまで言うな! おまえも雇ってもらえるよう、俺が口入れしてやる──俺も、おまえと戦えるなら大歓迎だ!」
ナホイが握手を求め、ぼくはそのひと回りでかい手を、苦笑しながら握り返した。




