第四章(一)「魔術師って奴と仲良くなってみたくなってさ」
幌を打つ雨音が、また強くなった。
一年半ほどオラブ地方を彷徨い歩き、そこから西を目指すこと数週間。街道馬車はようやくテゼ=オラブ王国の支配下を離れ、森林族国の領内へと差しかかっていた。
『ナンズ氏族国に行くっと? いやー、今からだとあの辺は雨季になっけん、物見遊山には向かんよ?』
当面の生活費を稼がせてもらった商家の主人の、オラブ訛りのきつい言葉を思い出す。雨季と聞いて日本の梅雨を想像していた認識の甘さを、ぼくは今更ながら後悔していた。想像でしかないが、これは多分、熱帯雨林のスコールに近い気候だ。
「……ひでえ雨だなぁ。だからこの時期に帰ってくるのは嫌だったんだ。なぁ、おまえもこの長雨にゃウンザリだろ?」
馬車の隣の席に座る男が、ひとかじりしたパンをくちゃくちゃ言わせながら訊いてきた。昔からの友人みたいに馴れ馴れしい口調だが、実際はたまたま街道馬車に乗り合わせただけの赤の他人だし、ついでに言えば、今彼が食べているパンも元はと言えばぼくのものだ。
ぼくが食べているさまをあんまりもの欲しそうに見つめてくるから、ついひとつおすそ分けしてしまったのが運の尽き。一気に詰めてきた距離感に内心タジタジで、愛想が悪くならないように取り繕うだけで精一杯だ。
「いんや、こげん程度の雨ば慣れとうよ。ナンズには年に何度も行っとうけん──」
ぼくが南部を渡り歩いた一年余りで身につけた秘訣、それは地元民を装うと旅がしやすい、ということだ。そのために憶えたオラブ訛りは、結構自信がある。
しかし。
「──うーん、やっぱ違うな。おまえ、本当はオラブ人じゃねえだろ? 言葉の調子っていうのかな、ちいっとばかり違和感があんだよ」
ニィッと笑って、男はぼくの鼻先にびっと人差し指を突きつけた。バリバリのオラブっ子ならまだしも、浅黒い肌をした、おそらく森林族であろうこの男に悟られるとは……。
「……バレたか。結構、上手く出来てると思ってたんだがな」
「すぐには分からなかったさ。でもよ、オラブ人の魔術師ってのは、おかしいなって思ってさ」
ぼくは片方の眉をぴくりと吊り上げた。
「……ぼくが魔術師だって、どうして分かったんだ? いや、この『魔術師の外衣』を見れば分かるだろうが、それすら知る者は多くない」
「ああ、よく知ってるんだよそれが。何度か出くわしたからな──戦場で」
ぼくは両の目を見開いて、改めて男の姿を観察した。
頭髪は、左右の頭頂部と側頭部のちょうど中間に、二つのモヒカンヘアーを生やした形をしていた。確か、何とかウォリアーズとかいうプロレスのタッグチームに、似たヘアスタイルの人がいたはずだ。顎の先だけに髭をたくわえており、髪も髭もブロンドに近い茶色をしている。袖のない、くたびれた麻のシャツから隆々とした上腕二頭筋がまろび出ており、肌の浅黒さと相まって鋼のようだ。
そして彼の荷物は、先端に皮革のカバーをかけられた棒状の何かと、大きくいびつな形に膨らんでいる皮の背のうであった。おそらく槍と、甲冑一式を入れた袋か。
なるほど、よくよく見れば、彼が戦士である証拠がいっぱいだ。
「戦場でとは、穏やかでないな。君は、ナンズの兵士なのか?」
「まぁ、これからそうなる予定だが……実のところは雇われればどこの兵士にもなる。つまり、傭兵って奴さ。だからいろんな戦場へ行って、いろんな敵と戦った。だが、その中でも、魔術師という奴だけは──あんな恐ろしい連中は、もう二度とごめんだ」
戦争における魔術師が、どれほどに脅威かは想像に難くない。しかし、魔術師であるぼくが畏怖の対象であるというなら、その距離感は一体何なんだ。
「……ぼくも、その魔術師なんだけど?」
「そうさ。だから、こんな所でいきなり仕掛けてはこねえだろうとは思っててもだよ? その手先から魔術が飛び出しゃしねえかって、じっと見張ってたら──おまえ、俺にパンをくれるって言うじゃねぇか」
ぼくの勘違いだった。別にパンが欲しくて見てたんじゃなかったのか。
「──目からウロコだったね。当たり前っちゃ当たり前だけど、魔術師とか関係なく、イイ奴はイイ奴でしかねえんだって。そしたら今度は逆に、魔術師って奴と仲良くなってみたくなってさ。な、いいだろ?」
ぼくは苦笑した。お互いがどんな考えで行動しているかなんて、話してみなければ分からないものだ。
「魔術師に対する印象を改めてくれてありがとう、でいいのかな。ぼくも、君が知りたくなったよ──シラカー・ハイアートだ」
「そうこなくちゃ。俺はナホイ! よろしくな!」
満面に笑みをたたえて、ナホイと名乗った森林族の傭兵は、ぼくの差し出した手を強く握り返した。
ナンズ氏族国領の外れに位置しているという村、トーゼの馬車駅にぼくとナホイを残して、街道馬車は来た道を逆にたどって行った。
「さぁて、酒だメシだ! ハイアート、おまえもつき合えよ! 俺がごちそうして……やれるほどフトコロは温かくねぇけどな」
「はは、自分の食う分ぐらいは自分で出せるさ」
迷いなく村の中心部に進み、一軒の木造の小屋に入るナホイの後に続くと、彼の顔をチラリと見たカウンター越しの店主がパッと笑顔になった。
「おや、ナホイ! いつもより早いお帰りじゃないか」
「まぁな。親父、いつものやつを。二人分だ!」
「……二人分?」
キョトンとして訊き直し、店主の目線が初めて気がついたように、ナホイの背後にいたぼくの顔に向いた。
「驚いたな。おまえさんがここに客人を連れてくるなんて初めてだ。ご友人かい? 傭兵には見えないが──」
「おう。ここに来る途中の馬車で出会った、出来たてホヤホヤのダチだぜ!」
ナホイはカラカラと笑いながら食卓に着き、ぼくは苦笑しながら真向かいの席に座る。程なくして酒場の主人はローストされた鶏の半身が盛られた盆と、白く濁った液体の入った陶器のお碗を、二つずつテーブルの上に並べた。
料理はさておき、多分酒なのだろうが、この飲み物は初めて見る。
今まで酒を飲む機会は何度もあったが、大概は麦や果実を醸して蒸留したもので、例外的に貴族の晩餐会でワインが出たぐらいだった。実のところ酒の種類については、あまり多くを知らない。
「どうしたハイアート。ウビ酒がそんなに珍しいか?」
まじまじと見ているのに気づいたのか、ナホイが訊ねてきた。ぼくは目線を上げて、逆に訊き返す。
「ウビ? 珍しいというか、初めて見る酒だ。何の酒なんだ?」
「え、マジ? ウビならオラブでも割と食べられてるはずなんだが、それなら──親父! ウビをくれ!」
ナホイがカウンターの向こうに声をかけ、店主はヘイと一声返事をして奥へと下がっていった。
「ちょっ、ナホイ、ぼくは別に──」
「分かってる、みなまで言うな! こいつは俺のおごりでいい。興味があるなら、何でも試してみるべきだぜ!」
無理無体というか、我田引水というか。
とはいえ、確かに未知のものに対する好奇心がないわけではない。ぼくはそれ以上何も言わず、カウンターの奥からウビなるモノのご登場をじっと待つことにした。
注文から数分後、店主は湯気の立つ木製の汁椀を運んできた。テーブルに置かれたそれを覗き込むと、ポタージュスープのような白くとろりとした液状のもので満たされている。
「来た来た。さぁ、食ってみろよ! そこまでマズいモンでもねぇから」
言われるままに、さじで中身をすくう。
その中に粒々としたそれを見つけ、ぼくははっと息を呑んだ。
口に入れてみて、確信に変わる。
米だ!
日本で食べ慣れたものよりは粒が長細くて少しボソボソとした食感ではあるが、十年来の思いがけない再会に、感動すら覚える。
「お、気に入ったのか? 俺はあまり好きじゃねえんだが……こうして酒になると、何でか旨えんだよなぁ。ハイアート、そいつは逃げたりしねえから、そろそろ乾杯と行こうじゃねえか」
「あっ、乾杯を待っててくれてたんだね。ごめん」
二口、三口と夢中でお粥を食べ進めていたぼくに、ナホイは米酒の器を持ち上げて言う。さじを置いて同様に酒の椀を手にすると、彼はにっこりと微笑んだ。
「それじゃー、俺たちの出逢いの運命と、『聖樹』の御加護に感謝して──乾杯!」
目の高さまで酒杯を掲げて、それをひと口すする。果物のような甘い香りが鼻をくすぐると共に、強いアルコールの刺激が喉を刺した。
飲んだことはなかったが、同じ米から作ったお酒であるなら、日本酒もこんな味だったのだろうか──そう思うと、初めて飲むはずのこの酒にも、郷愁めいたものを感じるから不思議なものだ。
ぼくが二口目を含む時には、ナホイの杯は空っぽになっていた。
「かーっ、旨え! やっぱ酒はコレに限るなぁ! どうだハイアート、米酒の方は?」
「ああ、美味しい。初めて飲んだのに、なぜか懐かしい気分になる」
「懐かしい味か。そうだな、何となく分かる気がするぜ──親父! もう一杯お替わりだ!」
大声で注文をしながらも、ナホイの関心は鶏肉の方に向いていた。早速脚をひねり取って、豪快に食べ始める。
他人が旨そうに食べているものは、どうしてこんなにも食べたくなってしまうのか。ぼくも手羽先をつまみ上げて切り離すと、手羽中の部分にしゃぶりついた。
全身の血が沸騰したように感じた。




