第三章(二十六)「ブン殴ってやるんだからっ!」
「……ズエンカを助けなきゃ」
ざわついた気分を拭おうと、わざと声に出して言いつつ、ぼくは立ち上がった。小屋の奥へ向かうと、板張りの床に細かな紋様が刻まれた部屋へと通じていた。
術式──それも、ひどく入り組んだ図柄で、かなりの大魔術に用いるものだ。ぼくがダーン・ダイマに来た時に、一番最初に見たものに似通っている。
召喚魔術……これが、彼の「犯行」の手口か。
オド老師と違い、この魔術が時間と空間を超える業を持ち得なかったのが彼の失敗だった、ということだ。
そしてこの部屋には、突き当たりに小窓のついた頑丈そうな木の扉がついている。小さな人影があの向こう側辺りで固まっていたところを察するに、そこで子どもたちを監禁しているのだろう。
「ズエンカ。そこにいるのか」
小窓から顔をのぞかせ、声をかける。決して広くはない間取りの中に、できるだけ戸口から遠ざかるようにして、大勢の少年少女らがひしめいている。その中で、誰よりも早くぼくの呼びかけに反応して、亜麻色の髪の少女が立ち上がった。
「ハイアート! ……もー、遅かったじゃないの。『六行の大魔術師』が聞いて呆れるわ」
この状況で悪態をつけるのなら、心配はいらなさそうだ。
「いや、それは君が勝手にぼくをそう呼んでいるだけで……でもまぁ、待たせて申し訳ない。他の子たちは無事か?」
「うん。みんな、何ともないよ。……ハイアート、あの人は?」
「死んだよ。抵抗されたから、仕方なかった」
淡々と告げると、ズエンカは少し表情を曇らせて、こくりとうなずいた。
「──さて、色々片づけてから、ここを開けるよ。もう少しだけ待っててくれ」
ぼくは戸口を離れた。扉を開けるカギが、どこかにあるはずだ。
それと……「世界のため」に殉じた、名も知らぬ魔術師を弔ってやらねばならない──
数時間をかけて、ぼくはまるでハーメルンの笛吹き男みたいに十二人の子どもたちを連れ立って、森の細道をたどりサン=サンリへと帰還した。
ひとまず腰を落ち着けられる場所が欲しかったが、先日泊まった宿屋ぐらいしか知らないので、迷惑だとは思いつつもお邪魔させてもらった。宿のご主人は仰天しながらもぼくらに軽食を提供してくれて、町の自警団にも連絡を取ってくれた。
それから程なくして、自警団員たちがやってきた。彼らは被害に遭った子どもらの親たちを引き連れていて、宿屋のそこかしこで親子の感動の再会の場面が繰り広げられた。
「昨日は大変失礼なことをした。まさか本当に、しかもたった一日で解決してしまうとは──」
「本っ当に、失礼だった! ハイアートはね、確かに見た目は頼りないけどすっごい人なんだから! よく憶えときなさい、この人はこの町の英雄どころか、いつか世界を救う英雄なの! そんな大魔術師をつかまえて、よくもまああそこまで小馬鹿にできたものね! 事件の被害者として一言言わせてもらうけどね、あなたたちには当事者意識ってモノが足りないんじゃない? 必死さに欠けてるの! そんなんだから犯人探しに協力したいって言う人に頭を下げて『よろしくお願いします』のひとことも言えないのよ……」
頭を垂れる自警団員に対し、ズエンカの口撃は果てしなく続いた。やめさせようにも、彼女の舌鋒の鋭さに何ひとつ反論できないわ、さり気にぼくまでディスってくるわで、とても口を挟む気になれない。
「……あー、ズエンカ、ズエンカ。もうその辺にしてやらないか。えーとその、何であれ、やり過ぎはよくないだろう?」
とはいえ放置もできず、ぼくはなだめすかすように適当な事を言った。ズエンカのまなじりがキッとこちらを向き、矛先がこちらに来るのを覚悟した、その時。
「──ズエンカ? ズエンカだって?」
突拍子もない声に驚きながら視線を上げると、三十歳前ぐらいの女性が怪訝そうな表情で立っていた。彼女の腰元には、救助した子どもらの中にいた男の子がぴったりと寄り添っている。
「え、あの──」
「ちょっ、よく顔を見せてごらん。──ああ、やっぱりだ。ズエンカ、こんなに大きくなってたんだねぇ! いつ戻ってたのさ? 私ん所に顔を出しにも来ないなんて、あんたのお父さんは何やってんだろうね」
ぼくが訊ねる間もなく、彼女はズエンカの顔をのぞき込んで、一気にまくし立てる。当のズエンカ本人は目を大きく見開いて、ただただ呆然としていた。
「……あ、あの、すみません。彼女はぼくが連れて来たんですが──ズエンカを知っているんですか」
「え? やだねー、知ってるも何も、私ゃこの子の叔母だよ。ズエンカ、憶えてないかい? あんたのお父さんの妹なんだけど。憶えてないか、まだ三つかそこらの頃だったもんねぇ」
ご婦人は身をかがめて、にこにことしながらズエンカの肩をポンポンと叩く。それからふっと思い出したように、目線を上げてぼくを見た。
「──ところで、あんた誰?」
ズエンカの叔母さんは夫と息子の三人家族で、家の構えから察するには裕福ではないが貧窮してもいない、ぼくの見てきた限りではこの世界では上等な暮らしぶりだった。人様の家庭の生活レベルを推し量るなんていやらしい真似はしたくないが、これからのズエンカの暮らし向きに関わるのだから、気になってしまうのは仕方ない。
「そうかい、兄は旅先で奥さん共々……たったひとりになって、辛かったねえ」
「ええ……それで、ズエンカの今後についてなんですけど……」
ズエンカをぼくが連れて来た経緯を説明し、悲しげに肩を落としている叔母さんには申し訳ないが、ぼくはこの旅の結末を急かすように問いかけた。当初の目的であるズエンカの親族を見つけてなお残るこの胸の中の不安は、きっとズエンカにとっても同じはずだ。
「ああ、もちろんうちに住んでもらうよ。気ままにほっつき歩いて、あげくにどこかも分からない遠くの街で死んじまって、本当にどうしようもない兄だったけどさ──それでもね、一粒種の娘を大事にしたいって思えるぐらいには、今でも大切な家族なんだ」
有無を言わさない即答に、ぼくはほっと息をついた。よかったな、と言おうとして隣のズエンカを横目で見たぼくは、彼女が顔の周囲に水精霊を濃くまとわせてうつむいていることに思わず口をつぐんだ。
「……ズエンカ? どうした、具合でも悪いのかい」
「──ハイアートは……どうするの?」
思いがけない質問に、一瞬聞き間違えたかと思って「え?」と訊き返す。ズエンカは思いつめたような表情のまま、ぼくを真正面から見据えて、細々と言葉を続けた。
「……この町は、まぁ、ちょっとムカつく自警団もいるかもしれないけど、そんなに悪くない所だと思うの。だからね、ハイアートもさ、ここで暮らさない? ほんの何年か、でいいの……あたしが……大人に、なるまで……」
ここで?
つまり、サン=サンリで暮らす? ぼくが?
ここまでの旅路では、ぼくはズエンカにとって頼れる大人でなければならなかった。その責任を、できる限り果たしてきたという自負はある。
でもこれからは、たまたま巡り合わせただけの赤の他人ではなく、血縁で生活基盤のしっかりした大人が保護してくれるのだ。ぼく自身は多少──いや、かなり寂しくはあるが、ぼくの役目は終わったのだと思っていた。
彼女も、ぼくと同じようにぼくとの旅が終わったことを寂しく思ってくれているのかもしれないが──魔術師としてならまだしも、それ以外の人間性については日々文句をぶつけてばかりのだらしない人間に、そんなことを思うはずもない。
動機は謎だが、それがズエンカの望みであるなら、叶えてやりたくもある。
しかし……。
「い、いやその、さすがにすぐに決められるようなことじゃないな。もともとこの町には何日か居るつもりだったし、その間によく考えておくよ」
「……本当? ちゃんと考えてよ? それでもし、ハイアートがここを出て行くなら──あたしも一緒に行くから」
疑いのこもった目を向けながら、ズエンカは威圧するような低い声で言う。
ますます彼女の思惑が見えない。だが、ひとつだけはっきりしている。
彼女は真剣だ。
本気で、彼女自身に何の目的もないはずなのに、ぼくの旅に同行しようとしている。
ぼくは愕然として、ただ無言で、うなずきを返した。
子ども部屋から出てきたズエンカの叔母さんは、そこで待ち伏せをしていたぼくに驚いて、はっと息を呑んだ。
「驚かせてすみません。ズエンカは寝ましたか?」
小声でささやくと、彼女は黙って首を縦に振る。ぼくもそれに合わせてひとつうなずくと、
「お話があります。子どもたちを起こさないように、別室に来てください」
足音を立てぬようにして場所を食卓に移し、相向かいに座ると、不安そうにしている叔母さんに対して、ぼくはふっと表情を緩めた。
「ズエンカのことは、突然だったにも関わらず、本当にありがとうございます。それで……ズエンカには悪いですが、ぼくは今晩のうちに、この町を発ちます」
ぼくの言葉に、半ば予想がついていたのか、彼女はあまり大きな反応を見せなかった。ただほんの少し、悲しそうに目を細めた。
「──ぼくには、旅を続ける責任があります。もちろん、ズエンカは連れて行けません。ここまで来るのにも、多くの困難がありました。危険なことも少なくありませんでした。この先もぼくは、多くの厄介ごとに首を突っ込むことになるでしょう。それはとても、小さな子どもがまっすぐに育つ環境とは言えません。不しつけではありますが、ズエンカが立派な大人に育つように温かく見守ってくださるよう、つとにお願いしたいのです」
テーブルに額をこすりつけるようにして、ぼくは頭を下げた。長い沈黙が場を支配した。
「……やれやれ、責任重大だねこれは。まぁ、言われなくとももとよりそのつもりだったさ。ズエンカは私らに任せて行くといいよ。でも、またこの町に寄れる機会があったなら、あの娘に会ってやってくれないかい。あの娘はさ──」
「ありがとうございます! それで、差し出がましいことなんですが──家族が増えたわけですから、何かと入り用になるかと思うので……」
ぼくは皮の小袋を取り出し、口を開けて逆さにする。テーブルの上に五枚のモンダード銀貨がすべり出ると、叔母さんはその輝きに目を丸くした。
「こ、こりゃ何だい……こんな大金、とんでもないよ!」
「彼女の人生を背負ってもらうのですから、これでも足りないぐらいです。そして、もし余裕があったなら──ズエンカに読み書きと算術を学ばせてください。彼女の望む将来には、必ず要るものになるはずです」
視線は銀貨に奪われたままこくこくとうなずく叔母さんを尻目に、ぼくは椅子の足が音を立てないように慎重に立ち上がると、玄関の扉へと足を向けた。
「では、ぼくは往きます。どうか、お身体にお気をつけて──失礼します」
家を出て、星明かりが照らす夜道を進む。踏み出す一歩一歩が、次第に重く感じていく。
エリンズから旅立ったあの日から分かっていたことだ。この町に着くまでに十分心構えをしていたはずだ。
なのに、今はこんなにも、あの少女から離れがたい。
首を振り、喉の奥でうなり声を押し殺して、止まりかけた足をがむしゃらに動かし続ける。
ふと振り返り、出てきた家が闇夜に溶けて見えなくなってしまったことを確認すると、ぼくはほっとため息をついた。
これでいい。これでいいんだ。
自分自身に言い聞かせ、もう二度と振り向かないと心に決めて、再び歩き始める──
少女の泣き叫ぶ声が耳に届いたのは、まさにその時だった。
ぎょっとして振り見ると、その叫びは、驚異の速さでこちらに近づいてくる。
あわてて光精霊術を繰り出して、闇の中に姿を隠し、息を殺して潜んだ。
間もなく、小さな女の子の姿が現れた。裸足のまま、顔をくしゃくしゃにしながら走ってきた。
土に足を取られてつまづき、勢いよくうつ伏せに倒れ込む。
おもむろに身を起こして、砂まみれになった顔をもたげ、何かを探すように目線を泳がせた後、彼女はまた悲しげに嗚咽をもらした。
「……ハイアートの馬鹿っ! ウソつき! 絶対、絶対に許さない! 絶対見つけ出して──ブン殴ってやるんだからっ!」
後ろから彼女の叔母さんが駆けつけてくるのを見届けて、ぼくは、両の頬をじっとりと濡らす「汗」をぬぐいながら踵を返した。
足音を殺して去るぼくの背中に、いつまでも、どこまでも、少女の慟哭が突き刺さり続けた。




