第四章(三)「神様だな」
明くる朝、ナホイは足取り軽く、ぼくはひどく重い歩調で、トーゼの町並みを後にした。
久しぶりの二日酔いだ。
ぼくの二倍以上は軽く飲んでいるはずのナホイが元気はつらつとしているのに、この体たらくとは実に情けない。
「どうした、ハイアート! 早く来いよ!」
街道の少し先を行くナホイが、振り返って声をかけてくる。まだ小雨が降りしきる中、森林の狭間を縫うようにして伸びる路面は見たこともないほどの泥の海と化しており、歩みの遅さに拍車をかけた。
「こ、これ以上は無理だ……少し休ませて……」
「ダメダメ。おまえも雇ってもらうにゃ、急いでナンズ城都まで行かねえとな! 休んでる暇はねぇぜ!」
「……それじゃナホイ、君がぼくを運んでくれないか? ──ほら、コレを持って。放さないようにね」
ぼくは道の先に立っているナホイに追いつきながら、バックパックから二十メートルほどの麻縄を取り出すと、その切れ端を差し出した。彼は訝りながらそれを手に取り、ぼくはもう一方の切れ端を、自分の胴体にグルグル巻きつけた。
「何だこりゃ。引っぱって行ってほしいのか?」
「そのとおりだけど──君に負担をかけるつもりはないよ。こうするんだ」
術式をさっと描く。ぼくの全身が魔力でぼうっと光り、トンと地面を蹴ると、ぼくの身体は重力に逆らって地上から五メートル程度の上空をフワフワと漂った。
「うほっ、面白え! まるで凧みたいだな!」
「はは。振り回さないように、やさしく運んでくれよ」
「おう、分かった。そん代わり、ハイアートはそこから道の先をよく見張っててくれねえか。この辺は追いはぎもチョイチョイ出やがるんでな」
ナホイは縄の端を腰のベルトに結えて呵々と笑い、ぼくは微笑を返してうなずいた。
「……なぁ、俺も魔術師のこたぁまったく知らねえけどよ──魔術師ってのは、結構そんな風に一人で旅をしているモンなのか?」
再び街道を往き始めて間もなく、ナホイが振り返らずに訊ねてきた。
「そんなことはないね。魔術師はほぼ全部といっていいほど、王族とか貴族とか、強国の軍部の高官とか、そういう感じのお偉いさんだ。そういう『やんごとない人たち』が、一人で諸国をフラフラ出歩くなんて、普通はしないだろう?」
「そうか……そりゃそうだなぁ」
「だからね、ぼくみたいに何の官職にも就かずにのんきな旅人なんてやってるのは、例外中の例外さ──ぼくみたいな端くれ者でも、一応いろんな国から仕官のお誘いを受けてるし」
「マジか! その気になりゃあ、すぐにでも騎士とかになれちまうのか?」
「まぁ……そういうことだね。今のところ、なる気は全然ないけど」
「いいなぁ! 俺さ、昔から戦で手柄立ててさ、騎士に取り立ててもらうのが夢なんだ! 小さくても領地をもらってさ、お城に住んでさ──憧れるよなぁ!」
ナホイは一気にまくしたて、それから短いため息を挟んで、少し落ち着いた口調で再び話し出した。
「──俺にとっちゃもったいねえなぁとは思うけどよ、おまえの生き方につべこべ言うモンでもねえしな。それに……そんなお偉いさんだったら、俺とおまえは出逢ってすらいねえんだろうから、ありがてえと思わねえとなぁ」
ぼくとしても、ぼくとの出逢いを喜んでくれる人がいることが、本当にありがたく思う。恥ずかしいのでそれを口に出すことはしないが、その代わりに先ほどのナホイの言葉の引っかかる部分について訊いた。
「ナホイ。さっき、魔術師は旅をする者が結構多いのかと訊いたね。ぼくの他にそういう魔術師を知っているの?」
「いやあ、ただの噂で聞いただけで、実際に見たとかいうわけじゃねえんだが──何でも『六行の大魔術師』って名乗る滅法強え奴がいてよ、魔物退治に悪党退治、世界中を回って人助けをしてるらしい」
大きな誤解がひとつある。ぼくが「六行の大魔術師」を名乗ったことは、一度もない。
それはいいとして、ぼくの噂もずいぶん大きく広まったものだ。元々触れて回るつもりなど一ミリもないが、ぼくがその当の本人だとバレれば動きづらくなってしまう。なるべく悟られないようにしたい。
「へ、へー? ぼくも人のことは言えないけど、相当の変わり者だねー?」
「そんな奴が本当にいたら、の話だがな。何だかんだでこの世は弱肉強食よ。巷の噂に上るほど強え奴が、富も出世も欲しがらず、あちこちの国で世のため人のため──なんて現実味のねえ話を信じられるほど、純真無垢な少年じゃねえさ」
信じていない、か。
もちろんナホイの考え方がまともで、ぼくが異端者だということに異論はない。そんな人間は実在しない、と思ってくれている方がぼくに都合がいいことではあるけれど──真正面から存在を否定されるのも、何だか気分が悪い。
「で、でもさ、火のない所に煙は立たないとも言うし──」
「いやいや! 『六行の大魔術師』が本当にいるとしても、大方何かの気まぐれでちょっと誰かを助けたことに、でっかい尾ひれがついただけに決まってるさ。万が一、全部本当だったらそいつは人間じゃねえ──神様だな」
変人から神様とは、ずいぶん急なランクアップだ。
一応、救世主にならねばならない責任を負う身ではあるが、さすがに評価が大きすぎる。
「まー、噂なんて鵜呑みにするもんじゃない、ってのは間違いないか」
「──だが、噂もまるっきりのウソってわけでもねえし、取るに足らないと切り捨てるモンでもねえ。噂ってなぁ、世間の『こうだったらいいな』って想いが込められて広がるモンなのさ。今の世の中には必要なんだな、そーいう『英雄』って奴がさ」
大魔術師も神様も大概だが、「英雄」まで加わった日にゃむずがゆさマックスだ。実際のぼくはこのとおり大した人物じゃないのだから、いい加減にしてほしい。
「……どうしたハイアート、困った顔してさ。いや分かってるぜ、みなまで言うな! この広い世の中、上には上がいくらでもあらぁな。そう落ち込むこたぁねえって!」
ナホイがぼくを見上げて、高く笑い声を上げた。……ぼくが天下の大魔術師と比較して、己の実力不足を嘆いているとでも思われたらしい。もう、否定するのも面倒くさい。
「……そうだね、ありがとう。──ナホイ、例えばさ、その英雄サマがナンズ氏族国──いや、森林族国にもやって来たとしたら、どう思う?」
「んー、そうだなぁ。俺は──」
ナホイの話は、ぼくの両手から放たれた、二発の火炎弾が炸裂する轟音に遮られた。林間の街道の左右に飛び込んだそれらに追い立てられて、その付近に身を潜めていた四人の人影が街道へ飛び出してきた。
ぼくの両手にはすでに次弾が装填されていたが、それらが発射されることはなかった。彼らは街道の先へと一目散に逃げ去ってしまい、降雨の水煙に霞んで消えてしまったからである。
「──あ、ごめん。話の途中でじゃましちゃったね。続きを──どうしたのナホイ、もう追いはぎはいなくなったから、安心していいよ?」
「……あぁ……やっぱり、魔術師なんて誰であれ敵に回すモンじゃねえや──もし『六行の大魔術師』がこの国にも来たとしたらな、おまえみたいに、気のいい奴であることを願うぜ」
大丈夫。その点については、他でもないこのぼくが保証するよ。
苦虫をかみつぶしたような顔のナホイに、ぼくは眉毛をハの字にして微笑んだ。
「……おい、おいハイアート! そろそろ起きろ!」
腰のロープを引っ張られる感覚に、ぼくはびくりと身体を震わせながら目を醒ました。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「あ……ああ。ごめん、うっかりしてた」
「まったく、それじゃ見張りにならねぇだろ。でもまぁ、体調はどうだ? ちったぁ良くなったか?」
ナホイは薄ら笑いを浮かべる。ぼくは愛想笑いを返しながら、こくりとうなずいた。
「ああ、あとは自分で歩けるよ。運んでくれてありがとう」
ロープをたぐって、地上へと降り立つ。魔術を解くと全身にずしりと重力を感じて、思わずため息がこぼれた。
「まだお疲れのご様子だな。ここからすぐ近くの村に寄って食料を買う予定だから、ついでにちょっと休憩していこうや」
「そうかい、助かるよ。急ぐ旅なのに、すまないな」
「いいってことよ! もし戦争開始に間に合わなくても、そん時はそん時さ!」
ぼくがわずかに頭を垂れると、ナホイは、大げさにかぶりを振ってみせる。いや、さすがにそれは良くないだろ。
一時でも早く到着するよう、できるだけ足早にナホイの後についていく。やがて霧雨にソフトフォーカスをかけられたような光景の中に、木造の家々が立ち並ぶ集落がだんだんと浮かび上がってきた。
「あれ? 何だありゃ」
先に気づいたのはナホイで、彼が声を上げる直前にぼくもそれが目に留まった。村の真ん中を抜ける大通りをふさぐように、二十人ぐらいの人影がたむろしている。
問題はその物々しさだ。その中の数人が鉄の穂先のついた槍を携えていて、他の者も大振りのまさかりや、木を粗く削り出しただけのこん棒などで一様に武装しているのだ。
「何だか、ただ事じゃなさそうだね。訊いてみようか」




