第三章(二十四)「特に頭頂部の辺りが」
夕陽が、小さくなっていく船影を赤々と照らす。
その後部デッキにはあふれ出しそうなほどにぎゅうぎゅう詰めになった船員たちが、ずっとこちらに手を振り続けている。波止場に立ち、それに手を振り返しながら、ぼくとズエンカは黄金色にきらめく波間に溶けて見えなくなるまで帆船が往く先を見送った。
「……行っちゃった」
ズエンカが、小さく鼻をすする音を立てながら、ぼそっとつぶやいた。
フベリンに入港して荷物の上げ下ろしを終えると、遅れを取り戻すためにすぐ出港せねばならず、ぼくらは惜しむ暇もなく船長を始めとする船乗り一同との別れを告げなくてはならなかった。去り際に涙ぐむ者もあったが、船に乗るきっかけを作ってくれたハリは「また会おうな」といつものように笑っていた。
「──さ、ぼくたちも出発しよう。ここから君の故郷まで、あとちょっとだ」
ぼくが声をかけると、ズエンカは寂しげな顔で見上げてきて、ゆっくりと首を縦に振った。
明くる朝にフベリンを発ち、魔力で牽引される荷車は、しっかりと均された平原の街道を淀みなく進んだ。
道中は経済活動の活発さを物語るように幾度も乗合馬車や隊商とすれ違い、十日後にゲイバム王国領に入る頃にはそれがさらに顕著になった。周辺の風景が美しく手入れされた牧草地へと変わる頃、ぼくとズエンカは、ついにゲイバム領サン=サンリの門を叩くに至った。
サン=サンリという町は、今まで通ってきた中ではさほど大規模ではないながらも、周りを囲う防塁は高くしっかりとしていた。石造で背の低い建物がまばらに広がり、決して町自体が豊かな方ではないようには見えたが、平和で安穏そうな雰囲気が感じられる。
「やっとここまで来られたね。ズエンカ、何か思い出せることはないかい」
速度を落とし、ゆっくりと荷車を動かしながら、ぼくは訊いた。ズエンカは町に入る前から終始顔をうつむかせていて、そのまま無言で首を横に振った。
「……そっか。まだ何の手がかりもないし、君の身寄りを探すのは明日からにしよう。今日の宿を探さないとな……」
「こんにちは。君たち、この辺では見ない顔だね。旅の人かな?」
不意に右手の視界の外から声をかけられて、反射的に荷車の魔術を解いた。六十を過ぎた辺りの元気そうな老人が、にこにこしながらこちらを見上げてきている。
「こんにちは。ええ、この町にはたった今着いて──あ、この子はこの町の出身で、ズエンカっていうんですが……名前に聞き憶えはないですか?」
老人が、緊張に表情を固くしたズエンカの顔をまじまじとのぞき込む。永劫に思える数秒が流れ、老人は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ズエンカ、ズエンカ……いや、すまないが記憶にないね」
「そうですか、ありがとうございます。あ、それともう一つ訊きたいんですが──この町の宿屋の場所を教えていただけませんか」
「ああ、それだったら教えてあげられるよ。いい所を知っているんだ」
再びにこりとして、老人は朗らかに答えた。
木造のこじんまりとした建物の玄関口をくぐると、カウンターの奥で中年の男性が、その多少さみしくなった頭部を見せてくるようにぺこりと頭を下げた。
どこか、イダラバの宿屋のソプレン氏に似た雰囲気を感じる。宿の店主をやっていると、似通ってくるものなのかな? 特に頭頂部の辺りが。
「いらっしゃいませ。お泊まりでよろしいでしょうか。銀貨五枚半になります」
愛想のよい声にひとつうなずき、財布から銀貨を一枚ずつカウンターの上に並べていく。最後の半銀貨を置いた瞬間に、店主はそれらをさっとかき集めて懐にしまい込み、代わりに木札のついた鍵を差し出してきた。カウンターの下からズエンカが手を伸ばして鍵を受け取ると、その時初めて彼女の存在に気づいたのか、店主は少し驚いたように目をパチリとさせて彼女を見つめた。
「お客さん。その女の子は、お連れさんでよろしいんでしょうか」
「? ええ、そうですが……まさか、この子をご存じですか?」
「いや、そうではないんですが──この町では最近、小さい子どもが行方知れずになる事件が、多々起きておりましてね……」
主人が訝しげな視線をこちらに向けてきて、今度はぼくがドキリとして目を瞬かせる。と同時に、ズエンカがふふっと鼻で笑いをこぼした。
「おじさん、あたしたちはずっと北の方から何年も一緒に旅をしてきて、今日ここに着いたばかりなの。この人は誘拐犯じゃないよ」
「あ、いえ! 疑っているというわけでは、ないのですが……まぁ、それならひと安心です。ですが、そのような事情がありまして、くれぐれも小さいお子様にご注意していただければ」
「ええ、分かりました。ズエンカ、部屋に行こう」
宿屋の奥へ足を向け、その後ろをぴったりとズエンカがくっついてくる。心なしか、その間隔がいつもより近いような気がした。
「おはようございます。おや、どうなさいましたか? あまり顔色がすぐれないようですが」
一夜明けて、カウンターに鍵を返しにきたぼくを見て、宿の主人が心配そうに声をかけてくる。ぼくは半開きの目をこすりながら、大きくため息をついた。
「ええ、まぁ……ちょっと、よく眠れなくて」
「それはよろしくないですな。当店に、何かご不満な点でもありましたでしょうか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど──」
昨晩は何度も目を覚まして、そのたびに隣にズエンカが寝ているのを確認することを繰り返してしまった。この町に起きている子どもの失踪事件が、ここまでぼくを気がかりにさせるものになるとは、想像もつかなかった。
「──ご主人。昨日聞いた、子どもが行方不明になっていることについてなんですが……詳しい状況を聞かせてもらえないですか?」
「ほら来た。あのねおじさん、要はこの『六行の大魔術師』がね、消えた子どもを見つけ出してやるって言ってるのよ」
ぼくの問いに戸惑いを見せる宿の主人に、脇からズエンカがドヤ顔でぼくの脇腹を小突いた。間違っちゃいないが、言い方ってものがあるだろ。
「はあ。六行のナントカってのはよく分かりませんが、とにかくご好意に感謝いたします。私には詳しいことは分かりかねますが──ここには朝夕一回、町の自警団が巡回に来られますので、その方にお訊ねになってはいかがでしょう」
「そうですか。では、こちらで少々待たせていただいても構いませんか」
「ええ、いいですとも。お待ちの間にお茶などいかがですか? 今年の北部高地産のがとてもいい出来でして」
「あ、いえ。お構いなく……」
やんわりと断るも、結局数分後にはぼくたちの前に湯気の立つ二つのマグが並んだ。前にアハドー伯爵の屋敷でいただいた、アリーシブとかいう香草のお茶とはまた違った香りが漂ってくる。
味は──かなり苦いが、甘みも感じる。ズエンカは一口飲んで、顔中をシワシワにした後はそれを全く口にしなかった。
その間も宿屋には数人の出入りがあり、やがて二メートル程度の長さの槍を手にした青年の二人組が玄関をくぐって姿を現した時に、店主が「待ってました」と顔に明記したような微笑みでそそくさと彼らを出迎えた。
「やあご主人、何か異状はなかったか」
「おつかれさまです。いえ、異状はありませんが──このお方が、自警団にお話が訊きたいと。ほら、例の子どもの失踪の件で」
自警団員の目が、じろりとこちらを向く。
少なくとも、歓迎されている雰囲気ではない。ぼくはおそるおそる会釈を返してから、遠慮がちに話し出した。
「あの、シラカー・ハイアートといいます。失踪した子どものことで──」
「シラカー・ハイアート? 変な名前だな。この辺の者じゃないようだが……事件について、何か知っているのか」
自警団の青年の言葉の端々に、よそ者に対する警戒心がにじんでいる。不快には感じつつも、顔には出さないようにしてぼくはかぶりを振った。
「いえ、ぼくも子どもたちの行方を探すのに協力できたらと思いまして。子どもがいなくなった時の状況とか、事件について教えていただけたらと」
「……ふん。何のつもりか分からんが、好きにしたらいい。事件は三十週ぐらい前から始まり、今までに失踪している子どもは全部で十一人──男児七人、女児四人、いずれも五歳から十三歳程度の児童が、何の前ぶれもなく急に行方知れずとなっている」
「何の前ぶれもなく……?」
「そうだ。直前まで何事もなく暮らしていたが、朝起きたら家からいなくなっていた者や、すぐ側にいたのに一瞬で煙のように消えてしまったという者もいる。子どもらが自分から行方をくらます理由も特にない。消えた子どもらの中に、生死を問わず発見された者は今まで一人もいない……」
話していて気が落ち込んできたのか、自警団員の声がだんだん小さくなっていく。そこで隣のもう一人の青年が、少し悲しそうな顔をしながら話を継いだ。
「まあそんな状況なんで、子どもたちの行方についてまるで手がかりがないんだ。王国からも応援の兵士を寄越してくれたんだが、犯人の影も形もつかめないまま、失踪する子どもたちだけが増えていく有様さ。もうこの町は、何かに呪われてるとしか──」
「ハッ、俺は呪いなんか信じないぞ。犯人は必ずどこかにいる──えっと、ハイアート。お前一人にどうにかできるとも思えんが、王国の連中が寄ってたかっても解決できんことをやれるもんなら、是非にでもやってほしい。まあ、精々がんばってくれ」
二人の青年が宿屋を後にして、その背中を残った三人が無言で見送る。玄関のドアが閉じると同時にズエンカが腕組みして、ふんと憤りのこもった鼻息をついた。
「何あれ、バカにしてんの? あんな奴ら、パッと事件を解決して、ほえ面かかせてやるんだから!」
「落ち着いて、ズエンカ。パッと解決したいってのは同感だけど、ぼくは被害者を助けたいのであって、彼らに感謝されたり悔しがらせたいわけじゃないよ」
「……そうだね、怒る相手を間違えてた。本当に許せないのは、事件の犯人だ」
「そのとおり、よく分かってるね。ズエンカはいい子だ」
それでも玄関の方をにらみながらムスッとしたままのズエンカに、ぼくがそっと頭をなでてやると、彼女は困ったような笑顔をかすかに見せた。




