第三章(二十二)「テキシュー!」
深夜に、パチっと目が醒めた。
真っ暗なテントの中で身を起こし、それから手探りで、すぐ隣で横になっているズエンカの存在を確認する。
そのサラサラの髪に多少乱暴に触れてしまい、彼女は小さくうなり声を上げながら顔をもたげてきた。
「うにゅ……何? まだ全然暗いじゃない……」
「……ズエンカ、この周囲に何かが近づいてきている。二本足──動物じゃない、人間だ。さっきは一人だったが、今は五人──また二人増えた。どんどん数が多くなっている」
ぼくは「防衛魔術」の反応をつぶさに伝え、暗闇の中で少女の身体がぴょんと跳ねるように起き上がる気配を感じた。
空からざっと島を偵察した時には人が居る雰囲気を感じなかったが、無人島だと判断したのは早計だった。テントから転がり出て、今や十数人に膨れ上がった「招かれざる客」の集団が近づく、砂浜の奥を窺う。
深夜の漆黒の中に浮かぶたいまつの火の数に、ぼくは息を呑んだ。二十数個の揺らめく光がずらりと並び、音もなくおもむろに近づいてくる。
「──待ってくれ! ぼくたちは何もしない。話をさせてくれ!」
明かりに向かって叫び、数秒間待ったが、それに応えるものは何もない。ぼくは再度呼びかけようと、息を深く吸った。
その時、誰かが何か声を発した。
それが何かはすぐに判断がつかなかった。うなるような発声の中にわずかな音韻を感じ、それが「言語」であることは、辛うじて認識できた。
もちろんダーン・ガロデ語ではないし、ミムン・ガロデ語のような発音ともまるで違う。明らかに未知の言語だ。
風の精霊力を介して言葉を翻訳する魔術はあるが、何という言語かを知らねば、自分の耳に魔術をかけることはできない。相手の言葉をダーン・ガロデ語に変化させるならば、その音を発する口やのどの周辺に魔術をかけなければならない。
何と言っているのか理解できず、おそらくはこちらの話も通じない。身ぶり手ぶりで伝えるにも、この暗闇の中で姿の見える所まで接近する危険は冒せない。
何とも返答しようのない状況に手をこまねいているいくばくかの間に、再び、闇中から何言かが発せられた。
意味は、分からない。
分からないが、あれはきっと、「攻撃の合図」だった。
ひゅんと風を切る音を立てて、数多の赤い光が飛翔する。
火矢だ。
そう直感した瞬間、ぼくはほとんど脊髄反射的に、風の精霊力を放出していた。今度は以前のような失敗はしない──突風を下から上空に向けて吹き上げて軌道を逸らし、それらは頭上を越えてずっと後方にある海面へと飛び込んでいく。
「ハイアート!」
「ズエンカ、敵襲だ。みんなを起こしてくれ」
テントから頭だけを出して恐々としていたズエンカが力強くうなずき、大ぶりの鉄鍋と木べらを手にして躍り出てきた。それをカンカンと打ち合わせながら、隣の船の帆とありあわせの資材で立てた、簡素な天幕の並ぶ方へと駆けていく。
「テキシュー! テキシュー! みんな起きてー!」
物騒な叫び声に驚き、船員たちがあわてふためく気配を脇に感じながら、ぼくは第二波の火矢を右手からの風精霊術でいなすと同時に左手で魔術式を組み上げた。
光の精霊力を封じ込め、放つ。
それは海岸の上空で光の球となって周囲をほのかに照らし出し、ぼくは闇の中に隠れていた集団の姿にぎょっとした。
襲撃者たちはみんな一様に、大きな目玉の絵が刻まれた木彫りの仮面を顔につけていた。首から下は腰に何かの動物の毛皮を巻いているのみで、ほぼ裸に近い。
また、彼らの半数は切り出した木の枝にそのまま麻ひものようなものを結いつけただけのような粗末な弓を持ち、もう半数はとがらせた石を穂先につけた槍で武装している。
まるで、石器時代の原始人がタイムスリップしてきたかのようだ。たぶん、ダーン・ダイマの文明から隔絶された、島の原住民なのだろう。
そして彼らは、上空から降り注ぐ光に対して、明らかに恐れおののいていた。無理もない──どう見ても、魔術師という概念すらなさそうな連中なのだ。
「おうコラ、ビビってんのかコラ!」
「やんのかコラ! やんならやったんぞコラ!」
逆にテントの中からはい出てきた船員たちは、相手が萎縮していると見て、手に手に鉄製の槍を携えて威勢のいい声をはり上げている。海の男のイメージそのままに気性が荒いのは構わないが、下手に争ってケガをされたり死なれたりしても困る。
それよりかは、双方とも上手いこと脅かしてやれば、この場を収められるかもしれない。
「おい、前に出るな! 君たちがうっかりぼくの魔術に巻き込まれても──責任は取らないよ?」
三歩進み出て、いかにも自由自在に操っているぞと誇示するように、ぼくは掲げた両手の周りで炎の輪をぐるぐると回してみせた。
海の男たちが低くどよめいて、ジリっと後ずさりする。少し気分が高揚してきたぼくは、もっと派手に見せるべくハワイアンなリゾート施設で見られるファイヤーダンスみたいに頭の上や背後で炎の塊をビュンビュンと振り回しつつ、ギロリと島民らをねめつけた。
思惑どおり、ある者はのどの奥で悲鳴をくぐもらせ、ある者はすでに何歩か後退しつつある。
よし、もうひと押しだ。
「覚悟しろ! おまえらまとめて真っ黒焦げにしてやる!」
意味は通じなくとも勢いで分からせるために、おおよそ自分の性格には合わない暴力的な言葉を叫んで、目一杯にすごんでみせた。
すると──
島の住人らは、口々に絶叫しながら、きびすを返して一斉に走り去ってしまった。
大成功だ。
そう思った次の瞬間、ぼくの脅しが、彼らの逃走の原因だとではないことに気がついた。
背後の砂浜の先、海中に及んだ「防衛魔術」の範囲内に、何物かの気配が侵入してきたからだ。
人ではない。生物ですらない。おぞましく、狂おしく、身に憶えのある巨大なモノの気配。
全身に冷や汗をかくのを覚えながら、ぼくは、おもむろに振り返った。
目の端にそれが入っただけで、ぶつぶつと鳥肌が立つ。
海面にそり立つ高い塔のように、ウツボの形をした魔物が、ギラギラとした赤い眼でこちらを見下ろしていた。
首筋につけた裂傷は、きれいに治っている。
傷口が癒えるのを待って、ぼくにリベンジを挑みに来たというのだろうか?
「ひゃあっ。ま、魔物だあっ」
ハリの泣きそうな声が聞こえたのを皮切りに、船員たちはわあわあとわめきながら、一人残らず一目散に駆け出した。
いや。一人だけ、小さな人影が残っている。
「──ハイアート!」
ズエンカの険しく、少し不安げな色をした瞳に向けて、ぼくは口の端を持ち上げて微笑んだ。
「あんなの、ぼくの魔術にかかれば敵じゃない。ここはぼくに任せて、安全な場所まで離れて」
「……うん、分かった」
ズエンカは顔を曇らせたままだったが、小さく首を縦に振って、一足先に逃げ出した船員たちの後を追って走り出した。
さて、やろうか。
ゆっくりと息を吐きながら、海辺のウツボ魔物に向き直る。奴はぼくを見据えたままじっと動かず、ぼくの出方を待っているように思えた。
それなら、先攻はぼくからでいいか。
ブーツが半ば海水に浸る所まで詰め寄り、同時に、右手の内に術式を展開する。
標的までは少し遠いが、奴を傷つけることができた魔力の刃を、奴を傷つけることができたのど元に向けて打ち放った。
おそらくは、それを警戒していたのだろう。
ただヘビのように鎌首を持ち上げてぼくをにらんでいただけの魔物は、急激に首を振ってその一撃をかわすと、牙をむき出しにして恐ろしい俊敏さで突っ込んできた。
だが、先んじて左手で記していた、防壁魔術の発動には間に合わない。
見えないバリアにノコギリ状の突起物がぶつかって、けたたましい衝撃音を立てる。
足元がずしんとひと揺れしたが──魔力の壁は、巨大ウツボの一撃を受け止めてびくともしない。
──ぼくの勝ちだ。
気が早いと言われそうだが、真正面から奴の突進に耐え切ったことで、そう確信した。
実際、相手も赤く光る眼を大きく見開いて、今までは易々と噛みちぎることができたものにまったく歯が立たないことにうろたえているように見える。そしてしばらくの後にあきらめたのか、ぼくをはさみ込んでいたあぎとの力が緩んで、わずかに口が開いた。
この絶好の隙を、見逃す手はない。
最も素早く形成できる術式──エネルギーの塊をただまっすぐにぶつけるだけの魔術を放つ。
それは魔物の開いた口腔のど真ん中へと飛び込んでいき、ドンと重い炸裂音を上げて、奴の頭部を大きくのけぞらせた。ウツボは口から黒い霧のような魔素を吐き散らしながら、スーッと海中へ吸い込まれるように消えていこうとする。
前と同じように奴をこのまま逃してしまっては、たとえ船が直っても沖に出られない。派手に術をぶっ放しても船や船員を巻き込む心配のないこの時に、仕止め切ってしまわねばならない。
ぼくは、以前に海賊船と対峙した時のように、右手を海の中にざぶんと浸した。




