第三章(二十一)「何でもかんでもぼくを頼りにしすぎだ」
「しまっ──」
うめく間もなく、破滅の音を立てて、帆が傾いていく。
これ以上船を破壊されては、数十人の船員が洋上のただ中に放り出されてしまうことになる。それだけは、何が何でも避けなくてはならない。
素早く、術式を組み直す。魔力を細く鋭い刃へと変え、頭と胴体の境目辺りに狙いをつけてなぎ払った。
両断するぐらいの気合いで放ったはずだが、ウツボの身体にやや深い切れ目がついただけで、それ以上理力の刃が食い込んでいかない。魔物とはいえ、舌を巻く強靭さだ。
しかし、驚いたのはあちらも同じだったようだ。マストに食い込ませていた牙を放し、傷口から大量の魔素をまき散らしながら、吼え声を上げて身悶えたのだ。
間違いなく効いている。一撃で斬り飛ばせないなら……何度でも斬りつけるだけだ。
再び魔力をしぼり出して、光の斬撃を走らせる。
魔物はきゅっと身をくねってそれをかわし──そのまま倒れ込むようにして、海面に大波を立てながら水中へと沈んでいった。
右舷の縁にしがみついて揺れをこらえながら、「防衛術式」を展開する。周囲の動きのあるモノの気配を読み取る魔術は、吐き気がするほどに細長く巨大な物質が、次第に遠ざかっていくさまをぼくに伝えた。
「ハイアート、来て! 大変なことになってる!」
大きく息をつきながら立ち上がりかけたぼくを、船の中層に続く階段から顔だけをのぞかせたズエンカが呼んだ。たった今すごく大変だったことが終わったところなのに、これ以上一体何が大変なんだ。
「どうしたズエンカ。何があったんだ」
「下の船室が水浸しだよ! 船底に穴が空いたんだって!」
大変だった。
階段から船室をのぞくと、最下層から中層の窓まで船員が列をなして、バケツリレーが行われていた。海水を満たした桶がテキパキと運ばれ、軽快かつ順調に窓から排出されているように見えるが──
「みんな一所懸命がんばってるけど、水はだんだん増えてるって。ハイアート、どうしよう?」
「ど、どうしよう、って……」
気はあせるが、ぼくが一番冷静にならないといけない。深呼吸をひとつしてから、いつものように親指の腹で耳たぶをこすりつつ解決策を模索し始める。
水を動かしたり蒸発させるのは──際限なく侵入してくる海水に対しては、力を使いすぎる。
もっと効率よく、浸水を止めるには……。
「──みなさん! 魔術を使います、全員下層から上がってください!」
大声で叫んだ途端、船員たちはバケツを運ぶ手をぴたりと止め、逃げるようにしてあわてて階段を駆け上がってきた。彼らと入れ代わるようにして、水のたまった船倉へと飛び込んでいく。
範囲を目測し、術式を構築する。そこに組み込むのは──ぼくが最も得意としている、風の精霊術。
魔術を発動させると、ほどなくして、水位がゆっくりと下がり始めた。
船室の気圧を高めて、水面を押し返すというアイデアはうまく働いたようだ。徐々に風精霊力を弱めて、水位が上がりも下がりもしないラインへと微調整する。
「は、ハイアート君。どうかね……?」
「船長。浸水は抑えましたが、ぼくの魔術も無限に続けられるわけではありません。早く岸に着けて、修理しないと」
頭上から船長の声が聞こえて、ぼくは振り向かずに答えた。ううむ、と困惑げなうめきが返ってくる。
「この辺りは断崖が続いていて、しばらく船が着けられる岸がないのだ。だが外洋側に、島がある可能性が──」
「お、俺が探します! 俺が一番、目が利きますから」
「ああ、頼んだぞハリ。他の者は全員櫂を取れ! ぐずぐずするな、早く持ち場につけ!」
ぼくの頭上で、どたどたとあわただしい多数の靴音が響く。ぼくやズエンカも含めた乗員の運命をハリの視力と注意力に託さねばならない不安はぬぐえないが、今はただ信じる他にない。
「がんばって、ハイアート」
いつの間にかぼくの右隣に立っていたズエンカが曇りのない目で見上げてきて、ぼくは小さく微笑みながらうなずいた。
魔力を十分にたくわえたぼくの指先から繰り出された魔術が、巨大な帆船を水面の上に持ち上げて、浅瀬から砂浜へとすべるように移動させた。船体をやや右舷に傾け、砂塵を上げながらそれが止まると、数十人の拍手と歓声がぼくの背中に浴びせられた。
さすがにこれほど大きなモノを宙に浮かせたのは初めてで、多少タフなチャレンジだったが、上手くいって幸いだ。
「やったね。ほら、『ハイタッチ』!」
右手を掲げながら駆け寄ってくるズエンカに応え、ぼくは上体をかがめて彼女の手を軽く叩いた。「ハイタッチ」は日本語──いや英語かな? とにかくこの間、ぼくがズエンカに教えたものだ。
いたく気に入ったらしく、彼女はことあるごとに使いたがる。それにつき合うのが少々面倒に思いつつも、前の世界でこんな風に喜びを分かち合うような相手もいなかったことでほんのちょっぴり嬉しくなっている自分もいて、複雑な気分だ。
「ハイアート君、よくやってくれた。これでやっとひと心地つくことができた……だがこの後も、君の魔術に頼らねばならん事態が続くだろう。船匠が損傷を診る間だけでも、休んでくれたまえ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
船長のねぎらいに頭を垂れて返し、ぼくは重くなったまぶたをこすりながら、陸地に打ち上げられた帆船へと足先を向けた。
結局、ハリがこの島を見つけたのは十九時間も後のことで、その間ぼくは一時の休憩も無しに魔術を維持し続けた。空腹もさることながら、今は一刻も早く睡眠が欲しい。
「船の中で寝るの?」
「……いや、修理の邪魔になってもよくないし、そもそも傾いた船室ではまともに寝られないだろうから──天幕と毛布を出してこようかと」
「じゃあさ、みんなで手分けして全員分の天幕を立てようよ。どうしたって寝る場所は要るんだしさ」
それもそうだ。船底の大穴なんて、修理に一体何日かかるか分かったもんじゃない。
「それじゃ、みんなを呼んでくる。ハイアートは先に行ってて」
うなずきで答えると、ズエンカはここまでオールを漕ぎ続けた疲労でぐったりとしている船員の集団へと走り去っていった。
「ほほう、これは……二ゾネリ半、ぴったりだ。しかもカンナがいらねぇぐらい表面がまっすぐ整ってやがる」
その明くる日、ぼくたちは一刻も早い再出発のために全員が一丸となって船の修復に取りかかった。船匠の見立てでは竜骨に損傷は無く最悪の状況ではないものの、多数の側甲板を張り替える必要があるし、メインマストも建て直さないといけないしで、かなりの大工事には変わりない。
ぼくたちが上陸した砂浜から見た島の奥は、ごつごつした岩の高台になっていて、その上に生い茂る緑が見え隠れしていた。そこにはぼくがひとっ飛びして岩山の上部を探った時に、広がる鬱蒼とした大森林があるのを確認できており、すでに多数の船員たちが樹木の切り出しと搬送の作業を始めている。
そして今、サンプルとしてぼくが持ち帰った丸太から、試験的に船匠の指示どおりの寸法で板を切り出してみたところだ。
「使えそうですか」
「使えるも何も、熟練の大工でもなかなかこうはできねぇよ。完璧すぎる──そうさなぁ、これが四十五枚程度ありゃ、船底の修理の方はバッチリよ」
「四十五枚!」
ぼくは愕然とした。伐木にはかなりの人数に動いてもらっているが、必要な材木があまりに多すぎる。
そう長い日数を無人島で過ごせるはずもないし、何より、荷を運ぶ商船にとって行き過ぎた到着の遅れは致命的なはずだ。
「ちょ、ちょい待った。だとすれば、先に伐採の方を手伝ってこないと──」
「ハイアート! ちょっと来て!」
あわてて岩山へ足を向けかけたその時、少し離れて夕食の煮炊きをしている最中のズエンカが大声でぼくに呼びかけてきた。
「どうしたの? 今、ちょっと忙しいんだけど……」
「さっき強い風が吹いて、たき火が消えちゃったの! 火をつけ直してほしいんだけど!」
ぼくはのどの奥で小さくうめきを漏らした。火打ち石で火をつけるのはズエンカにはまだ難しいので、代わりにぼくが火精霊術でつけてあげている。
仕方ない。さして手間のかからないそっちを先に片づけて──
「おーい、おおーい、ハイアートー! 大変なんだ、すぐに来てくれー!」
ああもう、今度は何なんだ。
イライラしながら目線を投げると、砂浜の向こう側からハリが大きく両手を振りながら走り寄ってくるのが見えた。あいつは数人のチームを組んで、マストにする高木を探しに行っていたはずだが、他の者の姿はない。
「何だ? 一人で戻ってきたのか?」
「それがよ、向こうで野犬の群れに襲いかかられたんだ! 何とか追い払ったんだが、ケガ人が出ていて──ハイアートはケガも治せるんだろ?」
まったく、何でもかんでもぼくを頼りにしすぎだ。
そう思わなくはないが、ケガ人とあってはそんなことも言っていられない。
「わわ、分かった、そっちに行く! ズエンカ、たき火の方は、えーとえーと──親方、申し訳ないけどやってもらっていいですか?」
「おうおう、合点だ。お前さんは早く、そっちに行ってやんな!」
気風よく答える船匠にペコリと頭を下げて、ハリの元へと向かう。あちこち引っぱり回されるのはたまらないが、多くの人々に頼りにされることに悪い気はしない。
前に生きてきたあの世界に比べれば、何もかもが不便で乏しくて、ただ生きていくだけで苦労の絶えないこの世界だけど。
あの世界に比べれば、人の間の中で生きていることをクッキリと実感できるこの場所が、今は何よりも大切に感じている。




