第三章(二十)「奇跡じゃないだろうか」
周りが固唾を呑んで見守る中、彼はゆっくりと咀嚼して、それから驚いたように目を見開いて小鼻をふくらませた。
「これは、何とも新しい食感だ! 表面はふわっとして中身はトロトロで、そこに弾力あるカマボコの歯触りが顔を出す。加えてこの魚介の旨みが、実にたまらんな……おっと、すまんすまん。さあ、君たちも食べてみるがいい」
二個目に手を出そうとして、ダビフ卿はズエンカと料理人の物欲しそうな視線に気がつき、苦笑しつつたこ焼きの皿を指し示す。二人は先を争うようにそれを頬張り、満足げに目を細めた。
「ん~、美味っしい! 正直、ハイアートが料理できるなんて思ってもみなかった」
「いやいや、何でも料理できるわけじゃないよ? たこ焼きはたまたま作り方を知っていただけで──にしても、そんなに旨いか? じゃあぼくも一つ……」
三個目をつまもうとしているダビフ卿の脇から手を伸ばして、押しつぶさないよう慎重に取り上げると、そのたこ焼きっぽい何かをひとかじりする。
確信した。これは間違いなく、たこ焼きではない別の何かだ。
旨みはある。焼き加減も良い。しかし魚の風味が悪い方向にとんがっていて、ラードの油っぽさがくどい上に、決してタコとは似ても似つかないカマボコの歯ごたえに意表を突かれてびっくりする。食材がまともな分、ひっくり返すのに失敗してグチャグチャになった例の幼なじみの失敗作の方がずっとマシだ。
自分の中では完全に駄作なのだが、ニコニコして三個四個と食べ進めているダビフ卿らにはとてもそんなことを言い出せる雰囲気ではなく、何だか変に腹が立ってきた。こいつらまとめて日本に連れて行って、「このたこ焼きは出来損ないだ。本物のたこ焼きを食わせてやる」とどこぞの新聞社のグータラ社員みたいなことを言ってやりたい。
「……どしたの? 顔色が悪いけど」
「え、あ、いや! 良く出来た方だとは思うけど、もっと美味しくできたかなーって」
心配そうに顔をのぞき込んでくるズエンカに、ぼくは笑顔を作りながら答えた。出来もしないことに、心を乱していても意味がない。
「そうですね。カマボコはもっと弾力が強い方が食感として面白いですし、魚醤も一度煮切った方がタコイアーキに合う味に──私も、今度は自分でタコイアーキを作ってみたいと思います。ハイアート殿、この残った食材で私にも焼かせてもらえませんか」
「ええ、いいですよ。焼き方は先ほど見てもらったとおりなんで、やってみてください」
挑戦意欲に満ちた表情で調理台の前に立つ料理人にうなずきを返しながら、ぼくは火精霊術をかけて、再びくぼみのついた岩盤を熱し始めた。
「……で、これがそのタコイアーキだったってわけか。いやー、旨かったぜ,。ごっそさん」
空っぽになった紙製の船型の器(これも、ぼくが即席で適当に作ったものだ)を見下ろして、ハリはしみじみと言った。彼へのお土産にともらってきた十数個のたこ焼きは、ペロリと彼の胃袋へ消えてしまっていた。
「ねー、本当に美味しいよね。また食べたいけど、あんなにたくさんの材料、簡単に揃わないしなー」
たこ焼きの味を反すうしているのか、ぼんやりと焦点の合わない目をして、ズエンカがうなずく。マジでこいつら日本に連れて行って「おまえには味を語る資格はない!」とどこぞの美食家みたいなことを言ってやりたい。
「──さて、と。そろそろ船長らも帰ってくる頃だろう。索具と帆の点検、先に済ませちまおうぜ」
「あ、あたしも手伝うよ」
ハリが先にデッキへの階段を小走りに駆け上り、それを追ってステップに足をかけると、後をズエンカがついてきた。オンデ・ボーを離れ、再び海原を往く日々が始まるまで、あと幾ばくもない。
空も海も鉛色にくすんで、不気味な雰囲気だった。
オンデ・ボーを出航して最初の三日間はよく晴れて順調だったが、以降は日差しもなく、しかし雨が降ったり嵐になるでもなく、どんよりとした曇天に覆われている。その上、風もずっと凪いでおり、ぼくは朝から晩まで風精霊術で帆をふくらませる仕事に追われていた。
「まったく、今日はいつにも増して陰気くさい雰囲気だぜ。イヤな予感がすらぁ」
船室から、ハリが釣り竿を担いで出てきた。空を見上げて、顔をしかめながらぼそりとつぶやく。
「やめなよ。余計滅入っちゃうじゃない」
「まあまあ。そんなイヤな空気も、この俺が一発大物を釣り上げて晴らしてやるからな。見てろよー」
退屈そうにデッキに座り込んでいたズエンカがハリを一瞥して言い、彼は意気揚々と右舷に取りついて釣り竿を振るった。オウベンドを出発してから今日に至るまで小魚一匹釣り上げたこともないのに、毎回釣りを始める前のあの根拠のない自信はどこから湧いてくるのだろう。
「……お、おっ、おおお?」
五分も経たないうちに素っ頓狂な声がして、ぼくはあわててハリの方に向き直った。彼の傍に座っていたズエンカが唖然として見る方を追うと、ハリの持つ竿の身がグイグイと大きくしなっている。
奇跡じゃないだろうか。
あのハリが、当たりを引くなんて。
しかし、何か様子がおかしい。彼は獲物を釣り上げようと竿を懸命にしゃくるが、逆に釣り糸が引っぱられる強さによろめいて、ついには船縁にドシンとぶつかって上半身が完全に海の上へと乗り出してしまった。
「ハリ、竿を放せ! 危ないぞ!」
「で……でも、せっかくの大物が……うわっ!」
釣竿がぶるんと大きくひと揺れして、そのはずみでハリの全身が船の外へと放り出された──瞬間、それに備えて描き始めていた術式が完成して、魔力の光が彼の身体を捉える。
海面に引き込もうとする釣り糸からの力と、魔術の引力がつり合って、一瞬ハリが空中で停止した。
直後一秒と持たずに、ハリの握力が耐えかねたらしく釣竿が手からすっぽ抜け、彼はバンジージャンプの伸び切ったゴムひもが縮むような勢いでデッキの上に戻ってきた。
「いっ……てぇ~~~~!」
ハリは叫びながら、甲板でゴロゴロとのたうち回る。痛いだけで済んでよかったと思え、この大馬鹿野郎。
「……ハイアート……あ、あれ、見て……!」
ズエンカがこわごわと海面を指差し、ぼくは助け起こしかけたハリを放り出して右舷へと駆けつけた。ぷかぷか浮かぶ釣竿が、何かに引かれて泳ぐように移動している。
そして──そのすぐ下の海中に巨大な黒い影が映り、全身の毛が逆立つような寒気を感じた。
このおぞましい気配は、身に覚えがある。
あの影の、正体は──
ズシンと、直下型大地震のような衝撃が船体を襲った。
それより一時早くズエンカを懐に抱きこんだぼくは、床板に背中をしたたかに打ちながら、左右の激しい揺れに弄ばれるように船上を転がった。
「ハイアート!」
「……っつ……ズエンカ、下へ逃げて……他の船員も一緒に──」
痛みに息を詰まらせながら、すぐに身を起こしてズエンカを立たせる。彼女は心配げにぼくの顔をのぞき込んできたが、
「……分かった。楽勝だよね?『六行の大魔術師』なら」
「──ああ、もちろん。さ、早く行って」
ぼくが微笑んで答えると、ズエンカはまだ寝転がっているハリの元に駆け込んで、彼の手を引っぱりながら何事かを叫んで立ち上がらせた。そのまま周囲を右往左往する乗組員に大声で呼びかけつつ、ハリの手首をつかんだまま中甲板へ向かう階段へ足を向ける。
さて、いつもならただ気恥ずかしいだけの二つ名ではあるが──今は「六行の大魔術師」にふさわしく、あの莫大な魔素の塊に立ち向かわねばならない。
未だ激しく揺れる船によろめきながらも、再び右舷の縁壁に取りついて、眼下の黒い影に向け右手の術式を振りかざした。
巨木をなぎ倒し岩石に風穴をうがつほどの威力を込めた魔力弾を、立て続けに三発。
大砲が着弾したかのような水柱が立った直後に──海面が丘のごとく盛り上がった。
海を割り大波を立てて、魔物は、その姿をあらわにした。
長細い体躯が、最初は蛇に見えた。しかし頭は魚のそれに似ていて、ぱっくりと開くあぎとには、トゲのようなとがった歯がぞろりと並んでいた。
これは、いわゆる──ウツボだ。
もちろん、ぼくの知っているウツボに比べたら何百倍も大きい。あの大口に噛まれたなら、この船の甲板が真っ二つにされてしまいそうなほどだ。
間違いなく、ぼくが以前戦った魔物よりはるかに強大で凶悪なシロモノだ。さっきは「六行の大魔術師」だから楽勝だ、などとうそぶいたが──「六行の大魔術師」にもまったく歯が立たないものがこの世にあっても、何もおかしくない。
だとしても、ぼくが今ここで果たすべき責任は、これしかない。
再び、魔力弾の術式を指の先に浮かばせる。火や水の精霊術は思わぬ被害を船に及ぼすおそれがあり、威力をひとつの標的に集中して効率よく与えるのに最も適しているのは、シンプルなこの業をおいて他にない。
「──吹っ飛べ!」
銀色の光線がまっすぐに伸びて、ウツボ魔物の顔面を打つ。ガァンとトラックが交通事故を起こしたかのような衝撃音が響いた。
直撃したはずだった。
しかし奴の頭部は破壊されるどころか、ぼくを狙った牙が脇へそれる程度のダメージしか与えられず──噛みついた先は、船のメインマストだった。




