第三章(十九)「とりあえず見た目だけは」
火精霊力を付与すると、術式はぼくの腰ほどの高さの空中に、メラメラと揺らめく炎を浮かび上がらせる。
「うわあ、すごい! ここの料理長もマランの精霊術師ですが──さすがに、焚きつけるものが何もない場所に火を燃やし続けるような芸当はできません。見事な業ですね」
「そう? ありがとう。で、この火に海苔を、遠目からさっと通す感じで……」
表面をあぶられた海苔が黒から緑色に変わっていき、辺りに香ばしさが漂ってくる。料理人はほーっと、感動したように吐息をもらした。
「ああ、たまらない香りです。この海苔の製法は、いろいろなことに使えそうですね」
「そうだね。今回は上手くできなかったけど、ちゃんと紙状にして焼けば食材を巻いたりもできるし、何よりパリっとした食感がいい。やってみて」
「はい。勉強になりました」
料理人は深く頭を下げ、ぼくはくすぐったいような気分になって苦く微笑んだ。と。
「ハイアート、こんな感じでいい? ──あっ、何それ。今度は何やってるの?」
タラのすり身を作っていたズエンカが鉢を手にやってきて、ぼくの手元にある乳鉢を見て、興味深げに訊いた。
「これから海苔をすって粉にするところだよ。やるかい?」
「うん。やるやる」
「そっか。すり身の方は……もうできてるね。じゃあ交換だ」
餅のようになったタラの鉢を受け取り、代わりに乳鉢を渡すと、ズエンカは元の作業場に戻っていく。
ぼくは平皿を用意すると、その上にすり身を山型に盛りつけようとしたが、どうしてもあの板つきカマボコのきれいな半円形にできず、ボコボコの岩みたいな奇怪なシロモノが出来上がった。
いやいや。どうせ小さくぶつ切りにしてしまうんだし、形なんかどうでもいいんだ。
心の中で自分自身の不器用ぶりをごまかしながら、鍋に皿を置いて底がひたる程度に水を入れる。それからかまどの方に目をやると、深鍋はそこから引き上げられており、料理人がその中身を布でこしながら取っ手のついたポットに移し替えている最中だった。
「出汁の出来はどう?」
「ええ、美味しくできたと思います。スープにするもよし、煮物などにも最適ですね」
「よっしゃ。それじゃいよいよ小麦粉の出番だね。大きめの鍋を用意しておいて」
「はい。えっ、小麦粉ですか?」
カマボコの鍋をかまどにかけ、その足で小麦粉の袋を抱えて戻ってくると、鍋はすでに準備されていた。早速小麦粉と卵を投じ、魚のブイヨンをかき回しながら流し入れていく。
「……パンやビスケットにするには、水気が多すぎますね。薄焼きにするんでしょうか」
「はずれ。これをどうするかは、後のお楽しみだ、きっと想像もつかないと思うよ」
生姜風味の魚醤で味を整え、生地の完成。それからしばらくしてカマボコが蒸し上がってきた、その時。
「おう! タコイアーキ作りは進んでおるかな、ハイアート殿?」
巨大を左右に揺らし、ダビフ卿がのしのしと厨房を通り抜けてやってきた。彼はカマボコを小片に切り分けるぼくの手元を脇からのぞき込んで、ほうと感嘆をもらした。
「これは、蒸しカマボコだな。ちょっと味見してもいいか」
「ええ。料理はあまり得意ではないので、お口に合うか分かりませんが──」
ぼくの返事を最後まで聞かず、ダビフ卿は目にも止まらぬ速さで、カマボコをひと欠け口に放り込んだ。ゆっくり噛みしめて、うんうんと小さくうなずく。
「ふむ、正直に申すが……少し生臭いな。これは魚の脂によるもので、切り身をよく洗って脂を落とさなければ、このような臭みが残ってしまう」
「あー、そっかー……すみません、見よう見まねでやってみたもので」
「──だがな、脂を洗い落とすと、魚の旨みが薄くなってしまうのだ。この旨みがガツンとくる味わい、わしは好きだぞ」
領主のえびす顔に、ぼくはほっとして小さく頭を下げた。
「それで、このカマボコをどう使うのかな。これがタコイアーキというわけではあるまい」
「あ、はい。ではいよいよ焼いていきます──あっ、しまった!」
パンと手を叩いて叫んだので、ズエンカとダビフ卿と料理人は一様に身体をびくりとさせてきょとんとした顔をした。
「ど、どうした。何かまずいことでもあったか」
「最初に、たこ焼き器に塗る油を用意していませんでした。うっかりしてたなぁ」
「何だ、そんなことか。おい、すぐに油を用意せよ」
料理人は一礼して場を離れ、一分もしないうちに帰ってきた。手にしている取っ手のついたポットの中には、白いクリーム状のかたまりが満たされている。
「えっ、これが油ですか?」
「ええ、豚の脂ですが……まさか、ゴマや木の実の油をご所望でしたか? それは希少なので、さすがにご用意が──」
「あ、いやいや。これでいいよ」
ぼくは首を左右に振りながら、それを受け取った。考えなしにサラダ油を想定していて、思わず面食らってしまったが──たぶん豚の脂、つまりラードがこの国では一般的な食用油なのだ。
タコの代わりに、カマボコ。
カツオ出汁の代わりに、魚のブイヨン。
青のりの代わりに、海苔。
醤油の代わりに、魚醤。
ソースもカツオ節もない。
そしてトドメに、サラダ油の代わりのラード……。
これでたこ焼きだなんて、大阪出身のぼくのお母さんが見たら間違いなく非難ゴウゴウだな。
でも──ぼくは最善を尽くした。これが美味しくなくても仕方ない……。
ぼくはラードを小さじに取り、岩盤のくぼみに少量ずつを落としていく。同時に火精霊術で岩盤を熱し、液状になった脂をさじの背で塗り伸ばした。
「さて、焼きの行程に入ります。すみませんが、串を用意しておいてくれませんか」
周囲の視線が急ごしらえのたこ焼き器に注がれる中、タコに見立てたカマボコをひとかけらずつくぼみに投じていく。それから盤面を生地でひたひたにすると、ジャアアッと耳に心地よい音が響いた。
キャベツとネギを目一杯にふりかけ、あとはじっくりと焼き上がりを待つ。
「……ね、まだ何もしないの? これからどうするの?」
待ちきれなくなったのか、ズエンカがこちらをチラチラ見ながら訊いてきた。ぼくはゆっくりとかぶりを振った。
「まだまだ。あせって下手にいじると、形が崩れちゃうからね。──そうだ、串は用意できた?」
「はい、こちらに」
料理人は、バーベキューに使う大振りの金串を三本、笑顔で渡してきた。
なるほど、そう来たか。
無論、ある物で何とかしなければならないのは、たこ焼き作りを始めた当初から覚悟していたことだ。
「……まぁこれでいいけど、本当はもっと細くて小さい方がいいんだよ? ──よし、ここから一番大事な作業にかかるから、よく見といて」
取り回しの悪さに辟易しながらも、串の先でくぼみの周りの生地を集めてから、焼けた生地をくぼみの表面からはがし──
「「「おお──っ?」」」
たこ焼きをくるりと返し、球状のボディを露わにしたその時、三人分の感嘆がきれいにハモった。諸君、刮目して見よ。これが、これこそがたこ焼きだ──とりあえず見た目だけは。
「何これ、まん丸で……カワイイ!」
「ふむ、この個性的な形……実に食をそそられる! 早く食べてみたいな」
「はは、ちゃんと焼けるまでもう少しお待ちください」
もう五分ほど、くるくる回しながら焼き色をつける。全体的にキツネ色になったところで、焼き器から皿へと移し、海苔の粉をパラパラと振りかける。
「……これで完成か? では、いただこう──」
「お待ちください。たこ焼きの中心はとても熱いので、口の中をやけどしてしまいます」
手を伸ばしかけたダビフ卿を制して、ぼくは言った。基本的にダーン・ダイマの人々は熱々のものを食べるという習慣がないので、いきなり焼きたてのたこ焼きを食すのは自殺行為に等しい。
「では、冷めるのをさらに待たねばならんのか? ううむ、もう待ちきれんぞ」
「そうですね。では、水精霊術で──」
摂氏……五十度ぐらいかな。温度設定を魔術で行い、そこに冷却のための水精霊力を付与する。
「……はい、これで食べ頃です。お待たせしました、どうぞお召し上がり──」
言い終わる間を待たず、ダビフ卿は稲妻のようにたこ焼きをひとつ指でつまみ上げて、あっという間もなく口へと放り込んだ。