第三章(十七)「わしに食わせてくれ」
領主やそれに比類する貴族の居所を訪れるのは、イダラバ、大湿原族国、アハドー伯爵邸に続きこれで四度目だ。オンデ・ボー領主の屋敷は他と比べて高さはないものの、造りや表構えは遜色ない荘厳さがあった。
ただ、その館に招き入れられることはなかった。祝宴の会食とやらは、門を抜けてすぐの庭園で行われていたのだ。
会場にデンと据えられた大樽が、まず目に入った。ワインであろう飲み物を、ひしゃくで杯に注ごうとする者で人だかりができている。特に規則性もなく雑に置かれた数脚のテーブルの上には、蒸しあげられた大量の魚が並ぶ。そして極めつけは、会場の端っこで豚を丸ごと串刺しにした三台の肉焼き器が、文字どおりフル回転していた。
何ともはや、貴族の会食にしては……野趣にあふれ過ぎている。
「見てハイアート、あの『ブタ』! すごく熱心な人がいるけど、熱心すぎて『ブタ』みたいになってない?」
その肉焼き器の方をチラチラ見ながら、ズエンカがクスクス笑った。確かに真ん中の肉焼き器で一瞬たりと肉から目を離すことなく真剣な表情でハンドルを操る男はでっぷりと太っており、たき火のそばで熱いからなのか息が荒く、せわしく呼吸をするたびに鼻がブヒブヒと鳴っていた。
ひどく失礼な物言いだが、おそらく周囲にはバレていない。ズエンカは豚という単語を、日本語で言っているからだ。何と言うか、学んだことの応用力がすごい。
なので、ぼくがここで吹き出してしまうと逆におかしなことになる。必死に顔に出さないよう笑いをこらえていたが──
「失礼します! ダビフ卿、魔術師ハイアートを連れて参りました!」
ぼくたちを案内した衛士が声を上げた時、その豚──失礼、その太った男が立ち上がったので、一瞬で肝が冷えた。
バレてはいないはずだが、さすがに一国の領主を豚呼ばわりは不敬にもほどがある。とはいえ、領主が手ずから豚の丸焼きを作ってるってどうなの。料理番や使用人に混じって、額に汗して肉を振る舞ってる方に誤解を招く原因があると思う。
「やあやあ、君があのハイアート殿か。わしが一応、ここの領主やっとるデレン・ダビフだ。お目にかかれて嬉しいぞ」
ダビフ卿は、どこかの寿司チェーン店の社長みたいに両手を広げて全身で歓迎の意を示す。ぼくは左足を引いて片膝をつき、胸の前で手を交差して頭を垂れた。
「シラカー・ハイアートです。領主様、このたびは祝宴にお招きいただき──」
「いやいや、そんなしゃっちょこばったあいさつなど、時間がもったいないだけだ。さあさあ、まずはたんと呑み、たんと食おうじゃないか。わしが丹精込めて焼いた豚の丸焼きをごちそうしてやろう!」
そう言ってきびすを返し、ダビフ卿は再び肉焼き器へと小走りで戻っていく。その背姿を、ぼくは立ち上がるのも忘れてぽかんと見送った。
「……お偉いサマにも、いろんな人がいるんだねー」
ぼそりとつぶやいて、ズエンカが短くため息をついた。
「そうか、真に痛ましい話だな。だが、君とお嬢さんが無事であったことを神に感謝したい」
ダビフ卿は二頭目の豚をくるくるとあぶりながら、切なげに言葉をもらした。
彼がぼくを知っていたのは、イダラバの蚤の市で、あの時の余興を見た商人からぼくのことを聞いたからだという。ダビフ卿はオンデ・ボーへ招待したいと熱望したが、その時ぼくはすでにヘベニッフ隊商とイダラバを後にしていて、その後の行方が分からずにいた。
しかし今朝方、その商人が波止場でぼくの姿を見かけたらしい。そのことはすぐにダビフ卿に報告され、三年越しにその望みが叶ったというわけだ。
ダビフ卿はぼくがイダラバを去った時のまま隊商と共に行動していると思っていたので、共連れも一緒に招待するようにと衛士に言づけたようだ。しかしぼくについてきたのがズエンカだけだったので、隊商の商人たちはどうしたのかと訊ねられ、ぼくはエリンズでの悲劇を語るに至った。
「……加えて、よい報せだ。噂によればそのエリンズの大盗賊団は、すでに討伐されたそうだぞ。亡くなられた方々の無念も晴れたことだろう」
「あ、それハイ……(もがっ)」
余計なことを言いそうになったズエンカの口をふさぎ、耳元でこっそり「面倒くさいことになるからやめろ」とささやく。彼女はぼくをじろりとにらんで、ふんと鼻息をついた。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、何でも。そうですか、それは、よかったです」
ぼくがごまかし笑いを浮かべると、ダビフ卿は満足したようににこりとした。
「君も大変だったろうが、そのおかげでこうして解禁の祭りの日に我がオンデ・ボーに来られたことは、神の思し召しと言えよう。これも何かの縁と思って、わしの不しつけな願いを一つ、聞いてはくれないか」
「はあ。どういったことでしょうか……」
「その、イダラバで催したという『ハナビ』というのをな、うちでもやってくれないかと……噂でそれはそれは素晴らしいものだったと聞いて、我が市民にも見せてやりたいと、常々思っていたのだ」
なるほど。今回のご招待は、それが目的か。
花火をやること自体は、まったく構わないのだが──
「……申し訳ありません。花火は夜になってから行うものなんですが──ぼくらは今日の夕方までには船に戻って出航しなければならないんです。本当にすみません」
「……そうか。ハイアート君にも都合があるからな、仕方あるまい……」
明らかに気落ちした表情で、ダビフ卿はか細くつぶやいた。そのあまりの落胆ぶりに、ひどく罪悪感を覚えてしまう。
「ねえハイアート、ハナビはダメでも、他にできるものをしてあげようよ? お祭り感のあるイイモノ、何かないの?」
ぐいと口をふさぐ手を押しのけて、ズエンカが言った。
「うーん、他にできることがあるなら、そうしたいのは山々なんだが……」
眉間にしわを寄せて、耳たぶを指先でこね回しながら思案を巡らせる。日本の祭りの光景をまぶたの裏に浮かべようとするが、思い出されるのはなぜか先ほどズエンカとダブって見えた、例の幼馴染の在りし日の姿ばかりだ。
口の端に青のりの粉をつけた、心の底から楽しそうな笑顔。そしてその手には──
「……たこ焼き」
「タコイアーキ? 何それ、もしかして日本語?」
うっかり口をついて出た一言に、間髪を入れずズエンカが食いついてきた。意図しない言葉に対する意図しない反応に、ぼくは戸惑いながらうなずいた。
「あ、うん。日本のお祭りでは、割と定番の食べ物なんだけど……」
「祭りの食べ物だと? ふむう、タコイアーキなどというものを食べる祭りは、聞いたことがないな」
今度はダビフ卿が唐突に会話に割り込んできて、ぼくは目をぱちくりとさせた。そりゃそうだ、この世界にはない祭りのことをこの世界の人間が知れるはずもない。
だが、それを説明するのも難しいし、異世界のことを語ること自体がどんな問題を引き起こすか分かったもんじゃない。
「……えーと、あの、ぼくの故郷は最果ての小さな国ですから、聞いたことがないのは当たり前です。たこ焼き自体も、決して大したものではないですし──」
「いやいや、このデレン・ダビフ、古今東西のあらゆる食をたしなんできた食通という自負がある。そのわしが食したことのない料理があると聞いては黙っていられん。すまんがそのタコイアーキなるもの、わしに食わせてくれ」
「え! そ、そう言われましても……」
これは、想像以上に厄介なことになったぞ。
実際、たこ焼きを作ったことがあるにはある──というか、例の幼馴染がホームパーティーをやる時には毎回たこ焼きをやりたがるが、いつも上手くできずに結局ぼくが作ることになるので、むしろそこそこ手慣れている。
しかし、かなりフランクな感じの頼まれごととはいえ、曲がりなりにも領主様への献上の品となるわけで。そう軽々に引き受けられるものでは──
「いいじゃない、やろうよ。ハナビの代わりと言っちゃ微妙だけどさ、あたしも食べてみたいし」
「ああ、ハナビをあきらめる代わりってことで一向に構わん。我が家の厨房と料理人を貸してやろう。食材もそれなりの品を取り揃えている。頼む、是非やってはくれんか」
食欲魔人がタッグを組んで、圧倒的に迫ってくる。
これは逃げられそうにない。
「……分かりました。やります」
ぼくは、深いため息をつきながら言った。




