第三章(十三)「『銀貨五枚』でやろう」
「ああ、美味しかった! お魚もいいけど、やっぱりお肉が一番ねー」
ズエンカのご機嫌は、夕食に豚の腸詰めを満腹になるまで食したらあっという間に直っていた。常々思ってはいたが、この子の大人顔負けの食い意地のはり方には驚きを通り越して、むしろ感心させられる。
荷を商人に引き渡すまでの業務が終わった後、船長は船員らに翌朝までの自由時間と多少のお小遣いをくれた。ぼくはズエンカを連れては夜遊びなどできないので、夕食を食べるだけの目的で市街地を訪れていた。この後はすぐに船に戻って、船長と船の番を交代する予定だ。
「そうだね。船の上だとずっと魚料理ばかり続いちゃうから──この後も港に着いたら、がっつり肉を食べることにしような」
「賛成。ねぇハイアート、日本語で『豚』って何て言うの?」
ここでも日本語講座の開講か。まぁ、腹ごなしの時間にちょうどいい。
「豚か。豚は『ぶた』って言うよ」
「ブタ? ミムン・ガロデの方の人の名前みたい。あなたの名前豚って意味だよ、って言ったら怒られそうね……じゃあ『腸詰め』は?」
「腸詰めは『ソーセージ』……いや、これは厳密には英語か」
「エイゴ?」
「ああ、英語ってのは──イギリスとかアメリカとか、日本じゃない別の国で使われている言葉なんだ。他にもフランス語とかドイツ語とか、イタリア語とかスペイン語、ロシア語に中国語……ぼくの世界にはいろんな言語があって、それぞれの国で使われているんだよ」
「そんなに多くの言葉があるの? それ全部、お互いに通じないの? ダーン・ガロデ語とミムン・ガロデ語みたいに?」
目を丸くして問うズエンカにうなずきを返しながら、ぼくは逆に、ダーン・ダイマの言語に疑問を感じていた。少なくともダーン・ガロデ内では地方によっていくつかの単語や発音の違いはあれど方言ぐらいの差異でしかなく、多くの国や種族に細分化されたこの広大な世界全域がどうしてたった二つの言語圏だけで成り立っているのだろう?
たぶんそれなりの歴史的経緯やら言語学的な事情やらが存在するのだろうが、おそらくこの世にまともな歴史書などの文献も存在しなければぼく自身もド素人なのだから、疑問に思ったところで答えが得られるはずもない。
「言葉が通じない国だらけで、困らないの? 行商人が、行く国行く国全部で話ができなかったら、すごく困ると思うんだけど」
「ぼく自身は日本から出たことがないんで、それで困ったことはまったくないけど、国外で商売をする人たちはお互いに通じる言葉を学んで話をするんだよ。例えば、英語は多くの国で学ばれているから通じやすいんだ」
「ハイアートも、エイゴを勉強したの?」
「……勉強してはいた。いたけど、まぁ、その……あ、そろそろ船に戻ろうか? いつまでも船長に留守をさせてちゃ悪いからね」
成績は悪くないが秀才とまでは言えない高校生だったぼくは、話を切り上げて席を立った。ズエンカは何かを悟ったのか、微妙な微笑みを口の端にたたえつつ、何も言わずにぼくについて椅子を下りた。
「あっ。あれ、ハリじゃない?」
店から外の通りに出たその時、不意にズエンカが声を上げた。すぐに彼女が指差す方を見やるが、雑踏の人混みに阻まれて、ハリの姿を見つけられない。
「本当? どこ?」
「あー……建物に入っちゃった。ほら、あそこの家」
再び、ズエンカが指を差した方に目を凝らす。特に看板の類も見えない石造りの家屋で、酒場や宿屋などの何かの店のようには思えない。
「……ハリがあんな所に入っていったのか? 見間違いじゃないか」
「うーん、確かに一瞬見ただけだったけど……違ったのかなぁ」
「ま、仮にそうだったとしても、彼のせっかくの余暇をじゃまするべきじゃないさ。さぁ、船に戻ろうか」
首を傾いで納得いかない様子のズエンカに、ぼくは彼女の肩を軽くポンと叩いて言った。
「起きて、早く起きてハイアート。大変なの」
ハンモックを上下に揺さぶられる豪快な感覚に、さすがに寝起きの悪いぼくでもたちまちに目を醒ました。
「おわっ。な、ななな、何が大変、なん、だ……」
「朝になっても、ハリが戻ってないの。みんな甲板で大騒ぎしてる」
ぼくは勢いよく上体を起こそうとして、ハンモックから転げ落ちそうになり、あわててハンモックにしがみついた。それから足をそっと床に下ろして立つと、身をかがめて焦燥に顔を青くしたズエンカと目線を合わせる。
「……ハリが、戻ってない? どこに行ったか分からないのか」
「誰も知らないって。ハイアート、やっぱり昨日あたしが見たハリは見間違いじゃないと思う。ハリを探しに行こう!」
「──分かった。だが、ズエンカはここに残れ。ぼくが探してくる」
ズエンカの表情に一層不安の色が差したが、すぐに自分が足手まといにしかならないと悟ったのか、彼女は泣きそうな顔でこくんとうなずいた。
「よし、いい子だ。必ずハリを連れ戻してくるからね」
少女の頭をなでて微笑んでみせると、ぼくは船倉を飛び出して、甲板までの階段を駆け上がった。デッキ上には船長と数人の船員が、一様に曇った顔をして寄り集まっている。
「おお、ハイアート君。聞いてくれ、ハリが──」
「ハリはぼくが探してきます! みなさんは出航の準備をしていてください」
すれ違いざまに叫びながら術式を刻み、船尾から身を躍らせる。
風の精霊にふわりと運ばれて空中を滑り、早朝の閑散とした埠頭へと降り立つと、市街地へ向けて走り出した。
あの時ズエンカを信じて、奴の不審な行動を追っていれば──
後から悔やんでも詮方ない。今は、ハリが無事でいることを祈るだけだ。
右手に、昨日夕食を食べた食堂が目に入った。
ハリが入っていったという建物は、この通りの先の方にあったはずだ。
「あっ……」
ぼくははっとして、足を止めた。その建物の前には一台の荷馬車が停まっていて、数人の粗野な風体の男たちが数人集まっている。
そして、彼らに囲まれるようにして──後ろ手に手首を縛められた、丘陵族の青年の姿があった。
「ハリ!」
名を叫びながら急き込むと、ハリはぼくに気づいて驚愕と恐れをないまぜにしたような目をこちらに向けた。唇が何かを言いたげにわずかに動くが、それを阻むように周りの男らがずいと前に出てきて、ぼくをギロリとねめつけた。
「何だてめえ。こいつの知り合いか」
「そうだ。何があったか分からないが、彼を放してくれないか」
はいそうですかと身柄を返してくれる雰囲気には見えないが、交渉の余地を求めてぼくは訊ねた。すると、他の者に比べてパリッとした仕立てのいい短衣を着て、整った口髭をたくわえた伊達男がぼくの前に立った。
「そりゃあ無理な相談だな。この男はウチの賭場で、てめえで払いきれねえほどの大負けをしたんだ。負け分を働いて返してもらうまで解放するわけにゃいかねえよ」
事情は呑み込めた。ハリの奴め、何て大馬鹿野郎なんだ。
自業自得ではあるが、それでも彼が船に戻れなければ、故郷の妹さんに迷惑がかかってしまうだろう。
「分かった。足りない分はぼくが払おう。だから彼を──」
言ってから、しまったと思った。
財布にそれなりのお金はあるし、虎の子のモンダード貨もまだ五枚ある。おそらくぼくの持ち合わせで払い切れないことはないはずだ。
──船にバッグを置いてきていなければ。
「──と思ったが、金を別の場所に置いてきてしまった。悪いけど、取りに行くまで待っててくれないかな」
「馬鹿かてめえ。そのまんま逃げるかもしれねえのにおとなしく待つわけねえだろ」
ですよねー。
「……だが、こいつを返してほしいならおまえさんに機会をやろう。俺と博打でひと勝負して、おまえさんが勝ったら解放してやる。ただし負けたなら──おまえさんも同じだけ負債をしょって、二人仲よく強制労働だ。乗るかい?」
「乗った」
他に、真っ当にハリの身柄を取り戻す方法がない。
ぼくは迷うことなく、二つ返事で即答した。
「ほう、いい度胸だ。じゃあこっちに来い」
伊達男が建物の扉をくぐりながら手招きして、ぼくはその後を追っていった。ぼくの背後からは、ハリを挟んだ二人の男がついてくる。
「おい、おいハイアート。大丈夫なのか、博打で勝負なんて。いくらおまえが魔──」
「いいから黙ってろ! 誰のせいでこうなったと思ってる?」
話しかけてきたハリに、ぼくは怒鳴るようにピシャリと言い放った。何とも思っていないと言えばウソになるが、本気で腹を立てているわけではなく──彼が魔術師という言葉を口にするのを止めるためだ。それを相手に知られていないことは、ぼくにとって大きなアドバンテージになる。
とはいえ、その直後に大の大人がかわいそうなぐらいにしゅんと縮こまっているのを見ると、後で謝っておこうかなという気持ちにさせられてしまう。つくづく、自分は人に甘い人間だなと思う。
とりたてて飾り気のない一室へとぼくらを導いた伊達男は、唯一置いてある中央のテーブルについて、反対側に座るようぼくに促す。周囲を警戒しながらゆっくりと席につくと、男は余裕のある表情でニヤリと笑った。
「よーし、それじゃ遊ぼうか。勝負は──その男が大負けしたものと同じ、『銀貨五枚』でやろう」




