第三章(七)「時代劇の定番ワードが浮かんでいた」
宵の口を過ぎ、村の中心街に建つその店舗はすでに店じまいをしていて、周囲には人の気配が絶えていた。少し離れた小屋の陰にひそんで、ぼくとズエンカと、商人のアハドーがじっとその店の様子をうかがっている。
「……ねえ。あの肉屋の不正を調べるって、こうやって見張ってるだけなの?」
じれたようにズエンカがぼやいて、アハドーがうなずきで答える。
「うむ。私が蚤の市で肉を売っていた理由は、ふたつある。ひとつは実際に衛士が取り締まりを行っていることをこの目で確認したかった。もうひとつは──こうして騒ぎを起こすことで、何かしらの動きがあると踏んでのことだ。私が市場から追い出された話は店主の知るところとなっているはずで、動くなら今夜だ」
彼の計画は、多くの要素を希望的観測に依存していて、そこはかとなくあざとさを感じるが──特にこれといった代案も思いつかない。
なのでズエンカと同様に夜が更け行く間、店先を監視しているだけの状況に何かしら文句を言いたくもあるが、今は現状に甘んじざるを得ない──
と思っていたら、現状に甘んじていた時間はそれからほんの五分程度で終わった。
「あっ、あれ!」
ズエンカが指を差すよりも早く、ぼくもアハドーもその変化にすぐ気がついた。肉屋の店舗の傍から、ほの明るい光の輪が生じたのだ。
手からぶら下げたランタンの灯りに、その人物の顔が照らされる。中年で、肩近くまで伸びた長めの髪の毛先をくるくるとカールさせた男だ。彼は店を離れ、闇夜の中を一人で歩き始めた。
「……肉屋の主人のソブに違いないな。さあ二人とも、奴の後を追おう」
見るからに「計画通り」と言いたげな顔をして、アハドーはぼくたちの肩をポンと軽く叩いた。……事がうまく運んでいるはずなのに、このやるせない気持ちは何なのだろう。
ソブの持つランタンの灯火を、離れた所から後を追いかける。ソブは数分かけてゆっくりと歩き、やがて一軒の屋敷の前で足を止めた。
村のほとんどの民家が木製の建物だったが、その屋敷は石造りで、周囲と比較すれば豪邸と呼べるものだった。ソブは鉄で補強された頑丈そうな門を挟んで何者かと話し、それからわずかに開いた門扉の隙間を抜けて中へと入っていった。
「立派なお家だね。もしかして、ここは──」
「ああ、村長の邸宅だ。こんな夜分に村長をお訪ねとは、一体何のご相談なのか──ぜひ知りたいものだね」
そう言って、アハドーはふふんと鼻で小さく笑う。その言い草に、ぼくの脳裏には「悪代官と越後屋」という、時代劇の定番ワードが浮かんでいた。
「で、どうする? さすがに約束もなしに村長の家にはおじゃまできないよ」
「そうねえ。じゃあ、誰にも見つからないようにこっそりおじゃまするってのはどう? ハイアートが魔術を使ってくれたら簡単にできるんじゃない?」
いたずらっぽくズエンカがささやき、アハドーが腕組みをして二度深くうなずいた。ズエンカに言われるまでもなく、アハドーは最初からそのつもりだったに違いない。
「……分かった。裏に回ろう」
ぼくはため息まじりにつぶやき、村長の屋敷を大きく迂回するように歩き出した。
家屋の側面からそっと接近し、三人は石壁に張りついてそっと身をかがめる。
「ここなら周りから目立たずに入れそうだ。まずは、侵入先に誰もいないかを確認する」
風の精霊術を操り、壁の向こう側の音を耳に集める魔術を使う。物音ひとつしない状況を確認してから、ぼくは立て続けに土精霊力を込めた術式を、石壁に向けて作り上げた。
直径八十センチメートル程度の、上体を低くしてにじり入れば普通にくぐれる丸い穴がきれいに貫通する。ズエンカがおーっと感心したような声を小さく上げ、その背後のアハドーは、何かに肝をつぶしたように目を丸くしていた。
「えっと、何か問題があったかな、アハドーさん?」
「……問題があったなんてものではない。君は今、一体どうやって……風精霊術を使いながら土精霊術を使えたんだ?」
あ、そうか。
風と土の精霊は相対染性だ。その両方の精霊術を使いこなせる精霊術師は、世界で「無垢なるもの」であるぼくしか存在しない。少しでも精霊術に造詣があるなら、天地がひっくり返ったような驚きを覚えるのも当然だ。
やはりこのアハドーという男、単なる商人ではない。何か素性を隠しているのか……?
「ん? よく分からないけど、ハイアートは他の魔術師よりずっとすごい『大魔術師』だから何でもできちゃうの。すごいでしょ?」
「……『大魔術師』?」
「あ、その、まぁその辺の話は後で。今は中に忍び込む方が先決だ」
話をぶった切って、ぼくは壁の穴へと這っていく。文字どおり勝手に作った屋敷の勝手口を抜けた先は、おそらく食料貯蔵庫らしい、小麦の詰まった袋が積まれた小部屋へと通じていた。
「さて、ここまでは上手くいった。あとはソブらの密会現場までどう行くかだが──」
ズエンカたちも後から侵入してきて、ぼくが穴を元どおりに塞いだのを見届けてから、アハドーが声をひそめてつぶやいた。
「もちろん、考えてあるよ。まず足音が出ないように、靴に風精霊術をかける」
そう言って、自分のブーツの底へと術式を施し、トントンと足踏みしてみせる。まったくの無音にアハドーが上出来だと言わんばかりにうなずき、それに微笑みを返してから、二人の靴にも同様に術をかけた。
「それから、もうひとつ。姿が見えないよう、身体の周りを光が迂回していく光精霊術をかける」
「何だと? 光精霊術なんてまれな業を、君は──」
再びアハドーが驚くのをよそに、ぼくは多少複雑な魔術式を描き上げた。他人から見れば、ぼくの姿は右目の瞳孔だけを残して目に映らなくなっているはずだ。
「すっごーい。ハイアートが消えちゃった」
「うん。視覚がなくなるので目は消すことができないけど、よっぽど注意して見ないと見つかることはないと思う。これから二人の姿も消すから、その前にお互いを見失わないよう、みんなで手をつないでおこう。ズエンカ、手を出して」
両手を上げたズエンカの右手をぼくが取り、左手をアハドーが握る。それから個々に魔術を与えて、すべての人影がこの場から消え去った。
「ねえ、あたし本当に消えてる? 見えなくなってる?」
「ああ、大丈夫。それじゃゆっくり、ひとかたまりになって動くよ。手を放さないように気をつけて」
ズエンカの手を軽く引っぱりながら、慎重に歩き出す。足音もなく姿も見えず、彼らが本当に後ろからついて来ているのか非常に不安ではあるが、ぼくは少女の手の感触を信じつつ食料庫の外に通じる扉の取っ手に手をかけた。
「……ここだ。ここから話し声が聞こえている」
ドアの前で耳をそば立てながら、ぼくはひそめた声で言った。
厨房や廊下で使用人らしき者を数人やり過ごしつつ、屋敷内を捜索すること三分半。何かしらの会話を交わしている二人の声を聞きつけて、ぼくたちはある一室の前までやって来ていた。
「中に入れそうかね」
「……やってみます」
扉をおもむろに引き開け、わずかに生じた隙間からのぞき込む。
壁掛けのランプの薄明かりに照らされた室内には、簡素だがゆったりと座れる背もたれのついた椅子が二脚、L字に向かい合わせる形で据えてあった。
そこに腰を下ろして、言葉を交わす二人の男。一方は肉屋のソブだが、もう一人は生え際から頭頂部まで禿げ上がり、代わりにもっさりとした顎髭をたくわえた老人──あれが村長なのだろう。
部屋の中に入るためにはもっと大きくドアを開け放たねばならないが、彼らに勘づかれる危険が大きい。
ほんの数秒間、彼らの目をくらます作戦が必要だ──
壁にかかったランプの大きさやここからの距離をじっくりと目測し、慎重に設計した術式に出力を絞った風精霊力を付与する。
ランプの内部で、瞬間的に超小型の竜巻が発生した。
当然に火がフッとかき消えて、室内が暗闇に閉ざされる。
「あっ、ランプの火が……これは大変失礼しましたな。おーい、誰か灯りを持ってきてくれ!」
闇の中で、誰かが叫んだ。たぶん村長の声だろう。
使用人が照明を復旧させるまで、十分時間がある。ぼくは扉をそっと引き開けると同時に、ズエンカの手を軽く引っぱった。
人が通り抜けるに足る隙間から身をすべらせ、部屋の隅へと移動する。とその時、ランタンを手にした使用人がやってきて、手際よくその火を壁掛けのランプに移すと、明るくなった室内からそそくさと退散していった。
「いやはや、驚きました。のんびり世間話などせずに早く用件を済ませるべきでしたかな」
「まあ、悪く思わんでください。──では早速、本題の方を」
再び椅子に座って、二人は言葉を交わす。この「特等席」からなら、彼らの会話を一言一句もらさずハッキリと聴くことができる。
「そうですね、それでは手短に──本日、蚤の市が開かれてましたでしょう。そこにこっそり肉を売る商人が混ざっていて、すぐに追い出されたと耳にしました」
「おお、その話か……その商人、昨日許可が欲しいと申し入れてきてな。行商人に許可は出せんと突っぱねてやったのに、性懲りもなく露店を出しておった。少々痛めつけてやったら、さすがに懲りたようだったがな」
そう言って村長は高笑いし、肉屋の店主も合わせて笑い声を上げる。
八歳児でも奴らの態度が腹立たしく感じたのか、ぼくの手を握っているズエンカの手に、小さく力がこもった。
「それで、村長殿の特段のお計らいに、これは謝礼をいたさねばと──どうぞ、お納めください」
ソブは懐をまさぐり、手のひらに余るほどのふくらんだ皮袋を取り出すと、村長の眼前に差し出す。村長は手を伸ばして大事そうにそれを受け取り、今まで以上ににっこりと笑みを浮かべた。




