第三章(六)「君の良識に感謝する」
「やあ、お兄さん。これは羊肉だよ。燻製にしてあるからそのままでもいいが、少しあぶってからだとさらに美味しくなるよ」
「なるほど、燻製か……これならあまり臭くなくて、ぼくにも食べられるかも──」
「食べられるかも?」
不意に、背後からズエンカの声がしたので、ぼくはぎょっとして振り返った。
「あ、いや! もっと美味しく食べられるかもーってことさ。ひとつ買っていこうか?」
「さっき朝ご飯食べたばかりじゃない。どんだけ食いしん坊なの、ハイアートは」
ズエンカがむっとした表情で腕組みすると、商人はハハと声を上げて笑った。
「この肉はもう二、三日は保つから、今日の夕食か明日の朝食にするといいよ」
「──そうだね。じゃあ、ひとついただくよ。おいくら?」
「ああ、えっと。では銀貨一枚で」
ぼくは怪訝な顔をしながら、財布からコインを一枚つまみ取って差し出した。ぼくも食肉の相場に詳しいわけではないが、この値段は商売にならないレベルで安すぎる気がする。
「ありがとう。三日ぐらい保つとは言ったが、できるだけ早めに食べてくれよ。はい、どうぞ」
丁寧に紙で包み、その肉を手渡そうと商人が腕を伸ばした、その時。
出し抜けに、脇から飛び出してきた棒がその腕を打ち据えた。
苦悶の声を上げて、商人が肉を取り落とす。同時に、ぼくはざっと飛び退いて身構えた。
商人の腕を叩いたのは、鍋を逆さにしたようなヘルメットをかぶり、肩と胸の一部を金属板で覆った鎧をつけた大男の持つ、二メートルほどの棍棒だった。
「何すんのよ!」
ぼくが何か言葉を発する前に、ズエンカが叫んだ。最終的な責任はぼくがかぶることになるのに啖呵だけは一人前なのが今ひとつ釈然としないが、彼女が言わなくともぼくが同じことを言うだけなので、そこは大した問題ではない。
「……この村では、村長の許可なしに食肉を売ることは禁じられている。すぐに店を畳まねば、貴様を捕縛する」
大男は無機質に答えを返し、商人はフードの奥で愕然とした表情を浮かべた。
「そんなバカげた話があるか! たかだか肉を売るだけで、どんな問題があると──」
「知らん。俺の仕事は、村の決まりごとを守らせることだけだ。さあ、早く片づけてこの村を引き払え、さもなくば──」
「……分かった。もう商売はやめにする」
先端に金属のかぶせ物をつけた棍棒を眼前に突きつけられ、商人はうめきながらつぶやく。どうやら村の衛士らしいその男は、ふんと鼻息をついて得物を引いた。
「よし。ここに戻った時にまだ貴様がいたら、今度はとっ捕まえるからな」
衛士はくるりと背を向けて立ち去っていく。それを見送り、ぼくは複雑な思いで吐息を漏らした。──いかに横暴であっても、村に定められた法であるなら、ぼくがうかつに手出しをすべき問題ではない。
「おじさん、大丈夫?」
「……あ、ああ。大丈夫だよ。心配しないで」
不安げにフードの奥をのぞき込んで、ズエンカが訊いた。商人はそう答えるも、打たれた右腕を押さえて苦しげにあえいでいる。
「──腕を見せてほしい。袖をまくっていいかな」
返事を待たずに、ぼくは商人の手首を取って、袖口を引き上げた。赤みが出ているが、骨折であればもっとひどい腫れがすぐに出るはずだ。ぼくはうなずいて、指先から魔力の淡い輝きを放つと、手早く術式を描き上げる。
軽傷なので魔術はほぼ一瞬で終わり、商人の腕は何事もなかったかのように炎症がきれいに消えていた。
「どう? おじさん、まだ痛みがあるかな」
「お、おお……君はすごいな、治療魔術が使えるのか!」
商人はかぶりを振りながら声を震わせて言い、ぼくはそれに眉根を小さくゆがめた。
魔術師は普通の平民にとっては稀有な存在で、魔術を使うことに驚かれるのも今まで一度や二度のことではないが──彼の言い回しには違和感がある。この人はまるで、魔術の中でも治療魔術が高度な業だと知っているかのような口ぶりだ。
「あ、あの──」
「おっと、こうしてはおれんな。急いでここを去らねば、本当に捕まってしまうぞ」
ぼくの言葉を遮るようにして、商人は立ち上がりながら声を上げた。
「そうだ! 早くしないと──ハイアートも片づけるの手伝お?」
「あ。う、うん」
ズエンカに促され、ぼくは腰を上げて、荷造りを始めている商人の元へと歩み寄っていった。
村外れに場所を移し、ぼくたち三人は路傍の草むらにどっと腰を下ろした。
「ふう。やれやれ、とんだ災難だった。君たちまでつき合わせてしまって、誠に申し訳ない」
商品を詰め込んだ背負い袋を脇に下ろして、商人はフードを取り去りながら言った。その露わになった頭に、ぼくは目をパチパチとさせて小さく驚いた。
彼は五十後半ぐらいで、その頭髪は淡い金色をしていた。色の濃淡はあれど、丘陵族の髪色は一様に赤茶色をしているので、それは彼がこの地域の人間ではないことを如実に表している。
「ええと、おじさんは──」
「歩いたら少し小腹が空いたな。ハイアート君だったか、君も食べないか。遠慮はいらんぞ、食物は売るほどあるからな」
いつの間にか商人の手には先ほどまで店頭に並んでいた羊の燻製肉があり、彼は有無を言わさずナイフでこそぎ始めると、ぼくたちにひと切れずつ配って回った。
商人が肉切れに歯を立てるのを待って、ぼくはそれを口にした。水分が抜けててかなりの歯ごたえだが、ほぼ抵抗なく食べられる風味になっている。あくまで「ほぼ」であって、進んで食べたいものではないが……。
「ハイアート君──この村が無許可で食肉を売買できない理由、君に分かるかね」
「……いや、分からない。おじさんは知ってるの?」
「私も、確かなことは存じ得ぬ。だが──ジカンプ村に肉屋は、たったひとつしかないらしい」
もうひと切れずつ切り分けて、全員に手渡してから、商人は言葉を続けた。
「──丘陵族というのはね、狩猟を生業としている者が多い種族なんだ。他に肉を売れる商人がいないなんて私はおかしいと思うんだが、君はどう思う?」
「……確かに、ぼくも不自然だと思う。よっぽど許可の条件が厳しいのか──」
「そうじゃなかったら、そのたったひとつの肉屋が売り場をひとり占めしたくて他の人をじゃまするために何かやってるか、だね」
脇から差し込まれたズエンカの意見に、商人が深くうなずく。そこに邪意が介在するという考えに及ばず、ただ唖然としていたぼくに、ズエンカが小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「考えもしなかったって顔に書いてあるね、ハイアート。商売ってのは、どんなことをしても儲けが一番大事ってのが常識なの。まぁ、ズルさとは縁のないハイアートが分からなくても仕方ないかなー」
嫌味に聞こえる言い方だが、裏を返せばぼくが誠実で正直な人間だとお褒めの言葉をいただいているという取り方もできなくはない。というか、そう思わないと精神衛生によろしくない。
「……勉強しときます」
「ま、そう落ち込むことはない。しかし、お嬢さんはまだ小さいのに商いのことをよく分かっているんだね。──ええと」
「ズエンカ。あたしは両親とも商人で、将来はお父さんたちみたいな商人になりたいの」
「ほう。これはこれは、将来有望なお嬢さんだ。しかし私はね、商売人が儲けばかりに執心して買う側の財布に過ぎた負担をかけてしまうことは、世の中全体として良くないことになってしまうと考えているんだ。分かるかね」
少女は口元にこぶしを当てて数秒の間考えるそぶりを見せ、それから自信ありげに顔を上げた。
「……分かるわ。ものの値段が高くなり過ぎるのは、多くの人が貧乏になっちゃうことと同じだから。違う?」
「そのとおり。ズエンカ、君は本当に頭がいいね。だから私は、この村の食肉が不当に専売されていないかを探りたいのだ。そこで──ハイアート君、私に協力してくれないか? 魔術師の助けがあれば、調査もたやすかろう」
力強い視線を投げかけつつ、商人はぼくに問いかけてくる。おいそれと彼を信用することはできないが──
「……分かった。そういう目的であれば、協力は惜しまない。それで、おじさん──」
「グレッズ・アハドーだ。ハイアート君、君の良識に感謝する」
アハドーが握手を求めるように右手を差し出し、ぼくは口の端をゆるませながら、それをギュッと握り返した。




