第三章(四)「殺したくないなぁ」
村を後にしてから山を二つ越えて、なだらかに下る広々とした高原を進み、いくつかの小川をまたいだ。
やせた草むらの真ん中を割く湿った土と砂利でできた道の先に、もやで煙っていた小高い丘の上に建つ山城がその輪郭を露わにした時、ぼくとズエンカはほっと胸をなで下ろした。
いやはや、寄り道というには予想以上に長い距離と時間がかかってしまった。さっさと用件を済ませて、本来の旅先へと道すじを戻そう──
「謁見の時間はとうに過ぎておる。また明朝に来るがいい」
城の建つ小山のふもとに設けられた、頑健な岩と鉄でできた門構えの前に立つ番兵が、ぼくたちに冷たく言い放った。
ぼくはただ呆然としていたが、隣のズエンカは、納得できないと言わんばかりに眉根をしかめている。
「まだ日も高いのに、もう終わりってどういうこと? ろくに責任も果たさない上にろくに仕事もしないクソ──(もごっ)」
「分かりました。出直してきます」
ぼくはズエンカの口をふさぎながら、彼女を引きずって荷馬車へと戻る。無理やりに席に座らせると、彼女の怒りの矛先がぼくの方に向いたらしく、イラつきを満面にたたえた表情でにらみつけてきた。
「ちょっと、ハイアート! あんな塩対応されて、何でおとなしく引き下がるわけ?」
「ズエンカ、落ち着け。むやみに波風立てる必要もないだろう? 明日の朝にまた来れば済む話だ。──とりあえず城下町へ行って、今晩の宿を探そう」
頬をふくらませたままのズエンカを乗せて、再び馬車を発進させる。
城のある山から民家の立ち並ぶ市街地はそう遠くない位置に見下ろせたのだが、土地勘がないせいでなかなかそこに近づくことができず、夕闇が近づく頃にようやく街の一角へとすべり込めた。夜になる前に街に入れてよかったと思ったのも束の間、街並みの様子が尋常でないことに、すぐ気がついた。
城から見えた街は、石造りの建物が並ぶ整った景観だったはずだ。しかしここに建っているのは朽ちかけた木造か、ぼろぼろの布でできた、家と呼べるような代物ではないものばかりだ。集落全体を陰鬱な雰囲気が包み、何かが腐ったような悪臭がずっと漂っていた。
いわゆるスラム、貧民窟というやつだ。ある程度の大きさの街ならばどこにでもあるが、これまでの旅路では徹底的に避けてきた場所のひとつだ。
あわてて都市部の方へと脱出しようと荷馬車を走らせるが、無秩序に建てられたバラックの群れはどこまでも続いていく。どこにでもあると言ったが、この貧民窟の大きさは常識外れだ。どこかで戦争が起こって、難民が押し寄せたのでもなければ、この規模は考えられない。
「おい、止まれ!」
男の怒鳴り声と共に、いくつかの人影に通りを立ち塞がれて、ぼくは荷馬車を急停止させた。すると途端に左右の物陰からも数人、いかにも素行のよくない顔つきの男らが現れて、ぼくたちはたちまち十人ほどの集団に囲まれてしまっていた。
「……どう見ても歓迎って雰囲気じゃないけど、一応聞こうか──ぼくたちに何の用だ?」
辺りを注意深く見回し、ぼくはズエンカを小脇に引き寄せながら訊いた。周囲に立つ一様にくたびれた衣服を着た男たちは、ただニヤニヤとした笑いを浮かべている。
「用っていうかねぇ……一応ここは、俺らの縄張りなワケよ。ここに入るんなら、入場料をいただく決まりになってるからさぁ」
荷馬車の右側に回り込みながら、二十歳を過ぎた頃合いの青年が声をかけてきた。二メートル程度の細長い木の棒を肩に担ぎ、顔には二条の傷痕が走っていて、見るからにケンカっ早そうな男だった。
「……申し訳ない、ここには迷い込んでしまっただけなんだ。すぐに出て行くから、このまま行かせてくれないかな」
話し合いにはならないのは、分かりきっている。だからこれは──平和的解決を望もうとしたという、ぼく自身への「言い訳」だ。
彼らを懲らしめ、その結果、死に至らしめたとしても「ぼくは悪くない」と理屈をつけるための言い訳。
「そういうわけにゃいかねぇんだよ。おとなしく言うことを聞いてくれないんなら、痛い目に遭ってもらわねぇとな」
……やはりダメか。ぼく独りならいくらか手加減のしようもあるが、ズエンカを守らねばならない以上、一分の油断も許されない。
ああ、殺したくないなぁ。
でも考えようによっては、今後強盗に遭う人がいなくなるのなら、その方がいいのかも──
「おうコラ、小僧ども。そこまでにしとけ」
不意に、野太い声が飛んできた。振り見ると、髪と髭を乱雑に生やした粗暴な印象の中年男が、バラックの陰から横に大きい図体をのそりと現していた。
「──お、オヤジ? 何で止めるんだ?」
「おまえらなぁ、そいつの乗ってる馬車が、馬もつないでないのに走るのを変に思わねえのか? その男は魔術師だ、相手が悪すぎる──まだ首が胴体にくっついているうちにさっさと消えろ、この馬鹿ガキどもめが!」
中年男がすごみを利かせて怒鳴ると、青年らはわっとクモの子を散らすように走り去って、瞬く間に見えなくなってしまった。
「……ったく。じゃましたな、兄さん。あんなんでも、それなりにかわいがってる連中なんでな──もう、行っていいぞ」
「はい。ありがとうございます」
小さく頭を下げると、男は困惑げに、怪訝な顔をした。
「何だそりゃ。礼を言われる覚えはねえぞ」
「──人を、殺したくないので。それより……コレの意味が分かったあなたも、ただ者ではないはず。あなたは一体……?」
ぼくはすでに描き終えて、発動のために魔力を込めるだけの術式を持ち上げてみせる。「首が胴体にくっついているうちに」という言い回しは、馬車の周囲二メートル強の範囲に魔力の刃を一周させる、この術式をひと目で読み取ったという意味に他ならない。
「……昔の話だ。今は、ただの貧乏なその日暮らしのジジイよ。さ、早く去ってくれないか。これ以上、意味のねえおしゃべりにつき合わされるのはごめんだ」
ぼくは再び頭を小さく下げて、それから荷馬車を引っぱる魔術をかけ直した。車輪がカラカラと回り出して前進を始めた時、ぼくはもう一度彼の方を振り返ったが、そこに中年男の姿はすでになかった。
素性はまったく知れないが、相当魔術に通じていることだけは間違いない──おそらくは彼自身、実力ある魔術師のはずだ。どんな事情があって、貧民に身をやつして過ごしているのか……。
関心はつのるが、それを追求したところで、彼の言うとおり意味などないのだろう。
答えの出ない謎に気もそぞろなぼくの複雑な表情を、傍らのズエンカが、不思議そうに見上げていた。
日が上り始めた早朝、珍しいことにぼくはズエンカより早く目を醒ました。
貧民窟でトラブルになりかけたあの後は、ほどなく無事に市街地へと抜けることができた。それからは順調に宿を見つけて一泊し、現在に至っている。
静かに寝息を立てているズエンカを起こさないよう慎重に部屋を離れて、水の冷たさに辟易しつつ顔を洗って戻ってくると、ズエンカがベッドの上に呆けたような顔をして座っていた。
「おはよう、ズエンカ」
声をかけると、彼女ははっと振り返って、それからホーっと長いため息をついた。
「びっくりした。起きたらハイアートが寝てないんだもの、何事かと思っちゃった」
「何事かと、って……君より早く起きただけで、一大事みたいに言わないでよ」
「言われたくなかったら、お寝坊グセをなんとかするのね。何をしても全然起きてくれない時もあるし、ハイアートを起こすのって結構大変なんだから」
これで何度目だろうか。またもや、ぐうの音も出ないほど完全論破されてしまった。
「……毎度ご迷惑をおかけして申し訳ない。それについては、後で改善策を講じておくよ。さ、宿を出る支度をしよう」
ズエンカはうなずいて、クスッと微笑んだ。
「時間だ。入れ」
城門前の庭で待たされていたぼくとズエンカは、槍を携え綿でふくらんだ厚手のキルトに身を包んだ衛士に呼ばれ、彼について行く形で城内へと入った。
領主の城は外見の素朴な構えとは裏腹に、ホールは豪奢そのものだった。色彩の豊かな絨毯とタペストリーに飾られ、目がチカチカするほどだ。
「豪華ねぇ。領主様って、やっぱりお金持ちなのね」
ズエンカがヘーっと感嘆混じりにつぶやいて、ぼくは苦い顔を浮かべながらうなずきを返す。
「そうだね……でもぼくには、このきらびやかさに違和感があるように思うよ」
違和感の正体は、街の様子との対比だ。領主の城があり、言うなれば首都であるはずのこの街は、街の規模や建築物のグレードなどがまるで辺境のそれのようで栄えているとは言いがたい。
加えて、あの貧民窟の大きさ。城の中だけがいっぱしの王国のような贅を尽くした様相となれば、もはや嫌な予感しかしない。
ホールの少し先にある部屋に通されたぼくらは、左右四人の兵士に挟まれながら、外衣の裾をからげてひざまずいた。部屋の奥、一段上がった高台に据えられたひじかけ椅子には、紋章の刺繍をふんだんにあしらった深紅の重厚なガウンを肩にかけた壮年の男性がすでに鎮座している。
「……久方ぶりに謁見とは、果たしていかなる者かと思ったが──大湿原族に黒い髪の者はおらぬ。おまえは何者か、まず素性を明らかにせよ」
領主であるはずの男は頬杖をついて、気だるそうに訊ねる。ぼくは片ひざをついた姿勢のまま、顔を上げた。




