第三章(三)「ぼくをおたずね者にする気かっ」
まっすぐぼくに向けたギザギザの凶刃が、一メートル、二メートルと迫る。
そして、地鳴りを上げる奴のひづめが──地面に潜ませていた、魔術式を踏みつけた。
刹那、熱くただれた溶岩が、火山のように魔物の足元から噴き上がる。
火精霊術を練り込み、何かが触れた瞬間に発動する、魔術の罠。
それをまともに食らった魔物は、悲鳴を上げながら、噴火の勢いにもんどりをうって転がった。
やったか──?
恐怖と興奮が入り混じり、息づかいを荒くしながら、二、三歩ばかり歩み寄る。
魔物の右前足がひざのやや上辺りから消えており、その傷口から黒い霧のようなものが空中に漂い出していた。
凝固した魔素でできていた魔物の身体が、ダメージを受けて、元の魔素に戻っているのだ。
何度も吼えながら、それでも魔物は、残った三本の足で身を起こそうともがいている──
まさに今、この瞬間に、ぼくは……奴の息の根を止めなければならない。
ぼくの体内で、カッとアドレナリンが煮えたぎった。
「うおおぉ────っ!」
残された火精霊力を振りしぼって、両の手のひらから渾身の火炎弾を走らせる。
魔物の体躯を包み込みながら、地面をこするように烈火が駆け抜け──さっと消え失せた後に奴の姿はなく、そこにはただ、炎の軌跡どおりにえぐり取られた地面だけが残されていた。
しばらく、頭が真っ白なままその破壊の痕を唖然と見つめていたが、それが示すただ一つの事実がじわじわと心に沁み込んでいく。
ぼくが──ぼくの業が、強大な魔物を征した。
奴に打ち克つことができたのだ。
口から魂がこぼれ出てしまうかのような深い深い安堵をついて、ぼくはがくりとひざをついた。
情けないことに、目の端に少し、涙がにじんでいた。
何てザマだ。この程度の「ちょっとした用事」を済ませるのにビビっているようじゃ、「大魔術師」の名折れだ。
指先で雫をぬぐいながら、ぼくはすっくと立ち上がった。
あくまで簡単な用事だったと言わんばかりに、ケロッとした表情で、村に戻らねばならない。
なぜなら……ぼくが最強の魔術師であることだけが、ぼくとたった二人ぼっちの長旅をしなければならないズエンカの、唯一の信頼の拠り所だから。
ぼくには、責任がある。
彼女との旅路にどんな困難が立ち塞がろうと、へっちゃらだ、と笑い飛ばす責任があるのだ──
山道の先に村を囲う防塁が見えてくると、ぼくはその周辺が妙に明るくなっていることに気がついた。
灯りがついている?
村中がひっそりとして真っ暗だったはずなのに、なぜだろう──疑問に思いながら村へと足を踏み入れたその時、ぼくはその光の正体にあっと小さな感嘆を上げた。
十数人程度か、手に手にランプや松明を携えて、村人らしき人々がそこに集まっていたのだ。その中には家に入れてくれたあの中年女性の姿もある。
「──ハイアート!」
その集団から飛び出してきたズエンカが、笑顔で駆け寄って、ぼくの外衣にしがみついてきた。
「ごくろうさま。大丈夫?」
「……ああ、全然大したことなかった。へっちゃらさ」
破顔して、ぼくを見上げてくる少女の頭をゆっくりとなでてやる。と、前から人影が近づいてくるのに気づいて、ぼくは顔をもたげた。
白髪だが、若々しい風体の男性がひとり、おずおずとした足取りで歩み寄ってきていた。
「あなたは?」
「私はこの村の最年長で、今は暫定的に村長を担っております。物見からあなた様の戦いを見ていた者から話を聞き、こうして村民全員で集まり、あなた様のお帰りを待っておりました……あの忌々しき魔物を討ち倒してくださり、村民一同、感謝のあまり言葉が見つかりません。ただただ、厚く御礼申し上げます」
そう言うと、村長は両ひざをつき、両手を地面に置いて頭を垂れた。
「ちょっ、やめてください。これはぼくが、頼まれもしないのに勝手にしたことです──ただ単にぼくができること、ぼくにしかできないことがあって、その責任を果たした。たったそれだけのことなんです」
ぼくはあわてて村長の前にしゃがみ込み、彼の両手をそっと持ち上げる。彼は頭を上げて、感涙にそぼつ顔に、驚きの表情を浮かべていた。
「ああ……何と謙虚で、慈悲深い。しかし私どもは、あなた様の献身に見合う謝礼がしたいのです。このさびれた村ではご期待に沿えるものは難しいですが、できる限りのことはさせていただきたい」
「いえ、ですから……」
見返りが欲しくてしたことではない、と言いかけた口を閉じた。感謝を形にしたいという村長の思いを無下にするのも、それはそれで間違っている気がするのだ。
ぼくは鼻から短く息をついて、それから、隣に立つ少女の背中をポンと叩いた。
「……では、この子にご飯を腹いっぱい食べさせてください。お礼はそれで十分です」
村長は一時呆けたような顔をして、それからおもむろに、穏やかな笑顔へと変わっていく。
「ええ、ええ。結構でございます。すぐにご馳走を用意させていただき──」
「イヤ」
村長の言葉を遮って、ズエンカがぶっきらぼうに吐き捨てた。
「……え、何で? まだ夕飯食べてないし、お腹空いてるでしょ……」
「それだけじゃ足りない。お酒を一杯つけてちょうだい──ハイアートに」
ぼくは嘆息混じりに、苦く笑った。
一夜明けてまだ薄暗い早朝のうちに、ぼくとズエンカを乗せた荷馬車は村を離れ、ゆるやかに上る細い道へとすべり出た。
背中から追いかけてくる、村人たちの「『大魔術師』様、バンザーイ!」という声が非常にこそばゆく、それらが聴こえなくなる距離まで早く行きたい。荒れた山道を、ズエンカの尻が痛くならないように気づかって進む速度がもどかしく感じる。
「……ハイアートって、やっぱり変な人だよね。感謝されるのがキライなの?」
大きなあくびを一つして、ズエンカが目をこすりながら訊ねる。ぼくはため息をついて、わずかに首を横に振った。
「キライなわけじゃないけど……ぼくは別に親切な人間でも、『大魔術師』だなんて大それた名前で呼ばれるような人間でもないから。ぼくという人間を、実際より過度に出来た人物だと思われるのは、イヤだな」
「そっかなぁ。あたしはハイアートのこと、十分『いい人』だと思うけど?」
「そんなことないって。ぼくは、しなくてもいいと思ったことは絶対しないからね。本当にいい人ってのは、そんな考え方しないんだよ」
「ほら出た。そういうトコだよ、頭が固いってのは。ハイアートはさ、別に自分をよく見せたくて飾ったり、カッコつけたりしてるわけじゃないでしょ? それでも、他の人がそういう風に思いたいんだから、好きにそう思わせてあげたらいーの。誰も損しないんだし」
「……うーん。いや、確かに。でもなぁ……」
正論かもしれないけど、納得がいかない。
ぼくが腕組みをしてうんうんうなっていると、ズエンカはムッとした顔を隠さず、ぼくの二の腕の肩に近い部分をグーで何度も突いてきた。
「いてて。肩パンはよせ、肩パンは。暴力反対」
「往生際が悪いからだよ。ハイアートは『いい人』でもう決まりなの。そうじゃなかったら、何で今朝、おばさんに領主の城までの道を訊いてたわけ? そっちに向かうんでしょ?」
思わず、気まずさが顔に出てしまう。
元々は大湿原族国の南端を進み、最短ルートで丘陵族国へと入る予定だった。だが今は、途中から北寄りに向かい、領主のいる城下町に行こうとしている。多少寄り道になってしまうが、ズエンカには説明するほどのことでもないと考えていた。
「……あの、ぼくの勝手な判断でごめんね。ここの領主に謁見できないかと思って──」
「どうしてわざわざそんなことをするの? ううん、分かってる。あの村の話をしに行くんだよね。昨日、ハイアートがお酒を四杯も呑んでフラフラしてる時に、領主の責任がどうのとぶつぶつ愚痴ってたの聞いてたもん」
あれ、そんなこと口に出して言ってたっけ? 記憶にないなぁ……。
「……そうだね。正直、魔物を放ったらかしにした領主に腹が立ったのは間違いない。せめて文句のひとつも言えたなら、と」
「そのことで大変になったのは村の人たちで、ハイアートじゃないのに? ──あのね、怒るのってすごく疲れるし、お腹が空くしで何もいいことなんかないの。それを自分が迷惑したわけでもないのに怒るなんて、ムダにくたびれるようなことができるあなたは、要するに『いい人』なの。ね? いい加減認めなさい」
「…………」
ズエンカにまくし立てられ、ぼくは長く押し黙った後に、苦虫をかみつぶしたような顔をしながら深いため息をついた。
「……まいったな、またズエンカに説教されてしまった。分かった、ぼくの考えはどうあれ、人から『いい人』と思われることに抵抗しない。それでいいかい」
「まぁまぁ上出来ね。それじゃ早いトコそのダメ領主に会って、一発ブン殴ってこよう」
「しないよ! ぼくをおたずね者にする気かっ」
ズエンカは声を上げて、高く笑った。




