第三章(一)「ゴーストタウンって奴かな」
「見てハイアート。あの鳥、ずっとあたしたちと一緒に来てるね。何て鳥なのかな」
馭者席の左側に座って、青く広がる大空を眺めていた少女が、すべるように飛ぶ一羽の鳥を指差した。
「うーん……ごめんね。動物のことはあまり詳しくないんだ」
ぼくは顔を曇らせて、首を傾ぐ。ダーン・ガロデ語の勉強のためにできるだけ多くの本を読んではいたが、残念ながらオド老師も動物のことにはあまり興味がなかったらしく、動物といっても牛とか豚とかニワトリといった、主に食べられているものの名前しか憶えられる本がなかったのだ。
「そっか。せっかく一緒に旅をしてるのに名前も分からないなんて、何かつまんないな」
その少女──ズエンカは、鳥から目を離さないまま寂しげな表情を見せた。まぁ実際、鳥の一羽も飛んでいなければ他に会話することもないぼくとの二人旅だから、鳥とはいえ他に連れ合いが欲しい気持ちも分からなくはない。
「……じゃあ、ズエンカが名前をつけてあげたらいいんじゃないかな。本当の名前が何かなんて、ぼくらにはどうでもいいことだしさ」
ふと思いついて適当につぶやいた一言に、ズエンカの表情がパッと柔らかくなった。
「そうだね! ハイアートにしてはいい考えじゃない」
「……あのー。『ハイアートにしては』って部分が、すごく引っかかるんだけど」
「だってハイアートって結構、頭固いでしょ? そんな考え方ができるなんて思わなかった」
「……」
確かに、ぼくは変に頑固なところがあると、例の幼なじみに煙たがられていたことがある。そいつの頭がユルユルなだけだろうと思っていたのだが……まだ関係を持って一年程度の、こんな小さな子にまで同様にツッコまれるとは、はたから見ればぼくは相当融通が利かない人間だと思われているようだ。
「──ううん、それがダメって言いたいんじゃないの。ハイアートに、まだあたしの知らないトコがあるんだなぁって。そういうの、ちょっと楽しいなって」
うなだれて沈黙しているぼくに、ズエンカが追撃をかける。七歳児(地球年齢)にフォローされる二十二歳児ですが何か。
「……興味を持ってもらえて嬉しいよ。ぼくは周りから居ても居なくても分からないような、存在感のない人間だったからね」
「そうなの?」
「うん。まぁ、ひとかどの魔術師になってからは、多少マシになったけど──でも、未だに他人と関わるのは、苦手だ」
「大丈夫。ハイアートは変な人だけど、あたしは、キライじゃないし。ハイアートのことは、たぶんみんなそう思ってくれると思う──そうだ! 鳥の名前、『ナンデュロ』がいいな」
「ナンデュロ?」
再び飛ぶ鳥を指差して、ズエンカは快活に笑う。耳慣れない単語に、ぼくは反射的に訊き返した。
「あのね、ミムン・ガロデの言葉で『友だち』っていうの」
「へぇ……そんな言葉、よく知ってたね」
「誰かから聞いたんだけど──誰だったっけ。忘れちゃった」
「まぁ、何にせよいい名前だ。早速ズエンカのお友だちになったってわけか」
ぼくが目を細めて言うと、ズエンカは頭を横に振った。
「違うよ。あたしと、ハイアートのお友だち。一緒に旅をしてるのは、あたしだけじゃないもん」
「……えっ。あ、はは、そっか。そうだよね」
一瞬ポカンとして、それからぼくは、乾いた笑い声を上げた。
情けない話だが、女児と鳥の「お友だちの輪」に自分を入れてもらえたことを、妙に嬉しく感じてしまったのだ。ぼっち気質をこじらせすぎだなぁ、と我ながら思う。
「ふふ、当たり前でしょ。ね、ナンデュロ──あっ」
ズエンカが絶句した。鳥は大きく旋回して、ぼくたちから遠ざかる方向に向けてみるみる小さくなっていってしまったのだ。
「あーあ……行っちゃった」
「仕方ないよ。ナンデュロにだって、ナンデュロなりの旅の目的があるんだ」
そしてぼくたちにも、ぼくたちなりの旅の目的がある。
ズエンカを生まれ故郷のゲイバム王国サン=サンリ領へと送り届けるという、遠く長い旅路だ。
ダーン・ガロデ南部への旅は海路が一番面倒ごとが少ないだろうと勧められ、まずはエリンズの東からミムン・ガロデに入り、オウベンドという港町を目指している。
そこまでの路程も、そこからの路程も、どれほどのものか見当もつかないが──ズエンカの身寄りを探すのはヘベニッフの遺志であり、何よりぼくの望みでもある。
今までの人生の中で最も重い責任を感じながら、ぼくは眼前に浮かべた魔術式にやや強めの魔力を込める。荷馬車は上り始めたゆるやかな坂道を、速度をゆるめることなくたどって行った。
上り坂の勾配がきつくなったりゆるくなったりを繰り返しているうちに、ぼくたちはいつしか、いくつもの小高い山が囲む高原のただ中を進んでいた。高く太い幹を持った樹木はすっかり姿を消し、地面に張りつくような丈の低い草が一面に茂っていて、そこに斑点のようにポツポツと水たまりが見え隠れしている。
ミムン・ガロデに入って最初の経由地となる、大湿原族国に差しかかったということなのだろう。
大湿原族国、というのは正確な呼び名ではない。正しくはモビ・タリダ王国大湿原族領という。
昔はこの地域に住む大湿原族と呼ばれる種族による集落がいくつかあり、それらを束ねる族長がいて国家のような形態を成していたが、今は王国に占領されて植民地的なものになっている。
そのような国難は大湿原族国だけではなく、ミムン・ガロデのほぼ全域が、いくつかの大国による侵略とその大国同士の対立などで混沌としていた時代があったという。現在は戦争もほとんどなく落ち着いているというが──なぜ戦争が止まったかについては、オド老師は教えてくれなかった。
「あっ。あれ、村じゃない?」
日が傾きかける頃、ズエンカが出し抜けに山間を指差した。山が落とす影にまぎれて捉えにくいが、山麓のわずかな平地に張りつくように建つ数棟の小屋と、それを取り囲む防塁がかすかに見える。
「本当だ。宿はないかもしれないけど、軒先を貸してもらうぐらいはできるかもね」
標高が高くなってきたせいかこの地域はかなり冷涼で、夜の寒さが厳しい。たとえ牛小屋などであっても、屋内で一夜を明かせるのならありがたいことだ。
村へと舵を切り、その入口と思われる防塁の隙間にたどり着いたのは、太陽が山の陰に完全に隠れる頃だった。
「……何か、変じゃない?」
ズエンカに言われるまでもなく、その村に差しかかる前から異変には気づいていた。
まだ黄昏時だというのに、村全体が暗くて、静かすぎるのだ。
外を出歩く者はおろか、民家から明かりひとつ見えない。一般的には夕飯時の頃合いにも関わらず、煮炊きをしている様子もない。
「うん。確かに人の気配がまったくしない──ゴーストタウンって奴かな」
「ゴーストタウン、って何?」
「ああ、ええと。何かの事情で人が住まなくなって、廃墟だけが残された集落のことだよ」
「……何かの事情って?」
「それは分からない。飢饉だったり、自然災害だったり。他国の兵士や無法者の集団に襲撃されたのかもしれない。──とりあえず、本当にゴーストタウンなのか調べてみようか」
ズエンカと共に荷馬車を降りて、手近な家屋に近づいてみる。家の中からは物音ひとつ聞こえてこない。
「すみませーん。誰かいますかー?」
板張りの戸をドンドンと叩いて呼びかけてみるも、やはり反応はない。
「お留守みたいね」
「ああ。他も回ってみよう」
それから二軒の民家を巡り、同様にノックして声をかけるも、何の音沙汰もなかった。
「──ダメだな。ここは本当に、誰もいなくなってしまった村なのか──」
「ねぇ、ハイアート! こっち来て!」
隣の小屋をのぞきに行ったズエンカに呼ばれて、彼女の元へと近寄る。獣の匂いが鼻をついて、そこが家畜の飼育小屋であることをすぐに悟った。
扉のない素通しの入口からそっと中を窺うと、左右に列を成しておとなしく寝そべる八頭の牛の姿が見えた。
普通に生きていて、時折、口をもぐもぐとさせている。
牛乳を絞るためなのか、食肉用なのかはまでは、ぼくには分からないが──
「牛が飼われているのだから、少なくとも飼っている人がここに住んでいるはず……ってことだな」
「うん。でも、そしたらますます分からないよ。どうしてこんなひっそりと──」
ズエンカの言葉は、突然の牛のいななきに遮られた。
一匹が声を上げた途端に、他の牛たちも騒ぎ立て、静寂さが一瞬で破られる。
何事かとおののくぼくの耳に、牛の鳴き声に混じって、オオオン……と不思議な音が響いてきた。
風の唸りか、鳥の絶叫なのか。山間に幾重にもこだましていて、まったく得体が知れない。
「な、何あれ? 変な音……」
少女はぼくの外衣にしがみついて、不安げな表情で見上げてくる。ぼくは眉間にしわを寄せてかぶりを振った。
「分からない。でも、何かただごとじゃない──」
その時、背後でギィっときしる音がして、ぼくは反射的に振り返った。




