第二章(十三)「でっけぇ武勇伝を期待してやすぜ」
屋上の光源を見やると、そこに頭領と二人の側近の影がほのかに照らされているのが見えた。一瞬遅れて彼らもこちらを見て取り、側近らは手にしていた小型の弩を向ける。
だが、こちらが一手早い。
ぼくはすでに左右の手で二つの術式を描き始めており、そこから魔力の弾丸をほとばしらせる。
駆け抜けた銀の光弾は狙いあやまたず、きっちりと二つの弩の翼を叩き折った。
その直後にぼくは屋根へと着地し、トットーたちは背中からごとんと落ちる。──謝っている暇はないが、自分以外を同時に空に浮かせたのは初めてだったから、多少乱暴な着地になったことはご容赦いただきたい。
「いたた……ぬしら、もう逃げ隠れはできぬぞ! 神妙にお縄を頂戴するでござる!」
それでも即座に立ち上がり、双手にまさかりを携えつつ、トットーは夜の寒空にビリビリと響く怒声を張り上げた。
側近たちは威圧感にうろたえるも、フードを目深にかぶり、ランタンを掲げている頭領はまったく動じた様子を見せていない。
「分かった、分かった。もう抵抗はしねぇよ。……だが一つ、訊いていいか」
ランタンを持つ手と逆の手を開いたまま頭の高さに上げて、頭領はブンゴンを一瞥した。ブンゴンはぼくの背後に身を隠しながら、頭領に対してしかめ面だけをのぞかせている。
「どうしてここが分かった? そいつが漏らしたのか」
「……彼に暗殺者を差し向けておいて、裏切り者呼ばわりする気か?」
言葉の端々に苛立ちを含ませて、ぼくは吐き捨てるように言った。頭領はオーバーアクション気味に、肩をすくめてみせる。
「そいつは心外だ。少し言い訳をさせてほしい……俺はブンゴンを助けるつもりで、あんたとトットーを狙わせたつもりだった。だが、うっかり暗殺者に標的の顔を伝え忘れちまったのさ。それで……」
そんなわけがあるか。
奴はくだらない問答で、ぼくに冷静さを失わせたいのかもしれない。確かに頭領の言い草には腹の底からふつふつと怒りが湧き上がってくるが……その手には乗らない。
「ふざけたたわ言だ。おまえは──」
奴の言葉をぴしゃりと遮り、文句を言い放とうとした、その時。
不意に、ブンゴンがぼくの注意を促そうとしたのか、背後から外衣の袖を引っ張った。
「旦那! 奴は──あのランタンで毒粉を焚いておりやす!」
ぼくははっとした。そうか──会話に持ち込んで時間を引き伸ばし、毒ガスを追い風に乗せて吸わせるのが奴の狙いだったのか。
それを聞いた瞬間、ぼくは諸手を広げ、そこから即座に風の精霊力を働かせた。
びゅうと空気が鳴き、辺りに逆風が巻き起り──
その途端、頭領の側近の二人が苦悶の叫びを上げた。
見る間に顔色が土気色に変わり、のどをかきむしりながら次々にくずおれていく。
しまった。
とっさに繰り出した風精霊術で、風向きまでコントロールできなかったのだ。
そんなつもりではなかった。
なかったが──ぼくが、彼らを毒殺してしまった。
悔悟の念に胸の詰まる思いが襲い、ぼくは声にならないあえぎを漏らした。
一方、頭領は精霊術の発動より一瞬早く、襟元の布で口を覆っていた。辛うじて、毒ガスを吸い込むのを免れたようだった。
しかし──
「ぬぅん!」
ほぼ同時に、トットーが気合のこもった唸り声を轟かせ、まさかりをぶん投げた。
その刃が、彼の胸元へと食い込み、深々とえぐる。
声を上げる間もなく、頭領は白目を剥き、口元の周りを真紅に染めた。
「……トットー! なぜ……」
ぼくは呆然としながら、トットーを振り返る。彼は険しい表情を崩さず、言った。
「ハイアート殿、おぬしには見えてなかったでござるか? 奴は、袖口から投げナイフを──」
はたと、頭領に向き直る。
奴がひざをつくと同時に、手の中からこぼれ落ちた細身の短刀が、チンと鋭い金属音を立てて石畳に跳ねた。
うかつだった。
トットーの一撃が遅ければ、倒れていたのは、ぼくの方だった──
「……すまないトットー。ぼくが彼らに誤って毒を浴びせてしまったことに、戸惑わなければ──」
三人の横たわった亡骸を見渡し、頭を振りながら、ぼそりとつぶやく。トットーは苦笑いを浮かべて、ふっとため息をついた。
「……ハイアート殿は甘いでござるな。されど、人として大切な心をお持ちということでもある……気に病むことはござらん。奴らは生かして捕らえたところで、縛り首になる運命でござる」
「……」
トットーに柔く諭されたものの、ぼくの心はひどくざわついたままで、ただ押し黙ってうなずく他に、何もできなかった。
取り逃した者も少なくないとは思われるものの、頭領が死に、合わせて四十人ほどの死者と逮捕者が出たエリンズ大盗賊団は、事実上壊滅した。
その数日後、トットーが大捕物の後始末から解放されるのを待ってから、ぼくは彼と共に商工ギルドへと足を運んだ。
「あっ、ハイアート!」
執務室の奥にある小部屋に通されたぼくたちは、そこで以前カウンターで会ったギルド副長と、テーブルを挟んで真向かいに座り、彼に勉強を教わっているものと思われる少女と相見えた。彼女はぴょんと椅子を飛び降りると、むっとした表情でぼくに詰め寄ってくる。
「や、やあ、ズエンカ。元気そうだね──」
「何が『元気そう』よ、今までずーっと放ったらかしにして! あたしが元気かどうかなんて、こんなに遅くなる前に一度ぐらい確かめに来たらいいじゃない!」
うーん、相変わらず手厳しい。
でもズエンカの、いかにもズエンカらしい怒鳴り声に安心している自分がいる。──いや、ぼくにマゾっ気があるというわけでは決してない、と思う。たぶん。
「ごめん、ぼくが悪かった。ズエンカのことは心配だったけど、一刻も早く終わらせたくて、様子を見に来る暇も惜しかった。だけど──もう、終わったよ」
ズエンカはその一言に、毒気を抜かれたように茫然自失となった。ぼくはひざを折って目線を彼女と同じ高さに合わせると、彼女の小さな両肩にポンと手を置いた。
「そう、終わったんだ。ぼくたちは──ヘベニッフさんたちの仇を取ったんだよ、ズエンカ」
ズエンカは呆気にとられたままだったが、やがて堰を切ったように両のつぶらな瞳から、大粒の雫をあふれさせた。
「……ありが、とう……ありがとう、ハイアート……!」
彼女はぼくの首根にぎゅっと抱きついて、嗚咽混じりの声を上げる。
そして──ぼくにもようやく麻痺していた悲しみが胸の奥から湧き上がってきて、食いしばった歯の間から絞り出すようなむせびと共に、ぼろぼろと流れる涙が、とめどなく頬を濡らし続けた。
深緑のガウンをまとった正装の法審査官がゆっくりと石造りの階段を降りてくると、周囲の騎士たちが一斉に、右の拳を左手で包むというエリンズ独特の敬礼を行った。
法審査官は地下牢の一室、かつての大盗賊団の大幹部だった男──「押込みの」ブンゴンの前へと、鉄格子越しに立った。ブンゴンは格子から一歩離れ、直立不動の姿勢で、じっと彼の持つ二つ折りにされた書類を見つめている。
「犯罪人、ブンゴン。相違ないか」
「へぇ。あっしが、ブンゴンに間違いねぇです」
ブンゴンがわずかに頭を下げて答える。法審査官は紙片を開き、ひと呼吸置いてからそれを読み上げた。
「エリンズ司法審査会議による厳正な審議の結果、犯罪人ブンゴンを──永久禁獄の刑に処す」
「……へへ、ありがてぇや。それで文句ねぇよ」
鼻をこすりながら、ブンゴンは薄笑いを浮かべる。
「……執行は後日行われる。追って沙汰を待て」
法審査官はきびすを返して階段を上り、その後を騎士たちが続く。しばらくの後には、檻の前に立つぼくとトットーだけが残された。
「すまぬ、ブンゴン殿。拙者らも会議にて、最低でも期限刑まで減じるよう訴えたでござるが……力及ばず、真に申し訳ない」
「君は、この国の英雄と言っても差し支えない活躍をしてくれたのに──この仕打ちには納得がいかない。悔しいよ、ぼくは」
トットーはひざまずいて頭を垂れ、ぼくは満面に苦渋をたたえてかぶりを振った。
「……よ、よしてくだせぇ、旦那がた。あっしは縛り首でもおかしくねぇ大罪人ですぜ。命を拾ってもらえただけでもありがてぇこと、この上なしでさぁ」
ブンゴンは歯を見せて笑い、それから鼻でひと息ついて、牢の石床にどかっと腰を下ろしてあぐらをかいた。
「それに生きてさえいりゃあ監獄の中でだって、噂話ぐらい耳にできやす。ハイアートの旦那──エリンズの監獄にまで響き渡るような、でっけぇ武勇伝を期待してやすぜ。何たって、旦那はこの世界を救う救世主様ですからねぇ!」
ブンゴンは笑顔を絶やすことなく、鉄格子の隙間から右手を差し出す。ぼくはただうなずいて、その手を握り返した。
「これで間違いないでござるか、ハイアート殿」
騎士団詰所前に立つぼくとズエンカの前に、カタカタと車輪の回る音を立てて荷馬車がすべり込んだ。しかしそれを牽いてきたのは馬ではなく、トットーだ。
ぼくは荷車の側面に彫り込まれているしゃれた紋様をひと目見て、うなずいた。かつて主に置物やら首飾りなどの美術品や装飾品を積んでいた、ヘベニッフの荷馬車に間違いない。大盗賊団の隠れ家から押収された品々の中に残されていたと聞いて、証拠品としての用が済んだ際にもらい受けたいと頼んでいたのだ。
「しかし、荷車だけでよいのでござるか? 馬の一頭ぐらい、こちらで用立てできるでござるが──」
「うん、馬は使わないつもりなんだ。世話が大変だし、お金もかかるしね」
「ていうかトットーは、まだよく分かってないのね。ハイアートはすごい魔術師なんだから、荷馬車を魔術で動かすぐらいチョチョイのチョイだよ?」
なぜか自慢げに胸を張るズエンカに対して、トットーはかぶとの面当てをぺちっと叩いて苦笑いした。
「これは失敬つかまつった。ハイアート殿が世のどんな魔術師よりもすごい『大魔術師』ということは、拙者もしかと心得ているでござるよ」
「もう。二人とも、恥ずかしいからそんな言い方しないでよ。──さて、もう出発しなきゃ」
ズエンカを持ち上げて馭者席に座らせ、その反対側に座ろうと荷馬車の後ろを回り込んだ時、ぼくはその荷台に帆布で包まれた大きな荷物が積んであるのに気がついた。
「あれ? トットー、これは何?」
「拙者からの餞別でござる。食糧、水、燃料……サン=サンリとは行かぬが、オウベンドまでは十分に保つと思うでござる。──ハイアート殿。サン=サンリまでは途方もない長旅でござるが、ズエンカ殿を故郷まで送り届けるというヘベニッフ氏の生前の望みを無事に果たせるよう、心より願っているでござる」
トットーの心づくしを嬉しく思うと共に、決して長いつき合いではなかったが彼との別れを惜しいと感じる気持ちがにわかに湧き上がってきて、不意にぼくの目頭が熱くなった。
「……ありがとう。何から何まで世話になってしまって、申し訳ない。いつになるかは分からないけど──また会おうな、トットー。ブンゴンのことも、よろしく頼むよ」
「もちろんでござる。ではハイアート殿、ズエンカ殿、お達者で!」
魔術をかけられた荷馬車が車輪をきしませて、ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。
ぼくとズエンカは次第に遠ざかる重騎兵の姿を、やがて雑踏の人波に隠れてしまうまで、手を振りながら見送った。




