第二章(十一)「旦那は盗賊の世界でも一流になれやすねぇ」
「旦那、着きやしたぜ。ここからはちっと慎重に──どうしやしたか、旦那?」
振り返ったブンゴンは、心配そうに眉根をひそめた。
というのも、ぼくが肩で息をしながら、四つんばいの格好になっていたからだ。
「いや、こんなに、長い距離を、走ったことがなかった、からね、ちょっと、疲れちゃったかな、と」
「……毒にやられてから、まだ体調が戻ってねぇんですかねぇ。旦那、飲んでくだせぇ」
ブンゴンに差し出された革製の水袋を受け取り、ひと口のどを潤して、ふーっと大きなため息をつく。非常に残念なことに、ぼくの体調はすっかり元どおりなのだが、無論そんなみっともない真実を言えるわけがない。
「そうでござるな。ハイアート殿、少し休んでいかれるがよかろう」
「いや、もう大丈夫だ。ありがとう」
片膝をついて、やはり心配げにのぞき込んでくるトットーに向けてかぶりを振りながら、ブンゴンに水袋を放り返す。それから時間をかけて立ち上がると、間近にそびえる古びた城壁を見上げた。
築城されてからどれほどの年月が経っているのか、名も知れぬ古城はおそらく天に向かってそそり立っていただろう尖塔のいくつかが途中から消えていたり、石垣があちこちでがれきの山と化している。しかし、かつての王侯が住んでいたと思われる宮殿らしき部分は、遠目からはほとんど劣化していないように見えた。
「……あの宮殿に、頭領が居るのか」
「居るとすれば、の話ですがねぇ。早速向かいましょうか、旦那。外にもあちこちに見張りが潜んでいやすが、見つからねぇように宮殿に近づける道すじがありやす」
ブンゴンが忍び足で城壁に張りつくように進むが、その後を追うぼくたちはまったくの無音というわけにはいかず──特にトットーは絶えず板金鎧のすれ合う金属音を立て続けている。
「なぁトットー、鎧は脱いでこれなかったのか? 敵の基地に潜入しようって時にそんな音を立ててちゃマズいだろ」
「ごもっともでござるが、鎧は軍衣と同じく騎士の魂でござる。戦に赴かんとする時に身につけぬのは騎士の名折れ、恥でござる」
「譲れない信念はあると思うけどさ、それで作戦が失敗したら元も子もないわけで──なぁブンゴン、君もそう思うだろう」
話を振られて、ブンゴンは振り返り苦い笑みを浮かべた顔をこちらに見せた。
「旦那、お言葉ですが旦那のお小言の方がよっぽど騒がしいですぜ。まぁ安心してくだせぇ、物音が響く屋内であればまだしも、野外でその程度の雑音が気取られるようなこたぁありゃしやせんよ」
ぼくが気まずそうに手で口を押さえると、背後からくっくっと押し殺したトットーの笑い声がかすかに聞こえた。
「さて、ここから侵入しやすぜ。ここなら砦の外壁がちょうど死角になってて、上手いこと城壁の内側に入れやす」
ほどなく足を止めたブンゴンは、十メートルは下らない城壁の上を指差して言い、ぼくたちは呆然とそれを見上げた。
「……えっ、ここからって、どうやって?」
「どうやってって、普通に乗り越えるだけですぜ。ちゃんと縄も用意してもらってやすから、あっしがちょいと登って上から垂らしてきやすよ」
「あ、いや、待った待った!」
積み上げた石垣のわずかな隙間や出っぱりに手足の先を引っかけて、まるでヤモリのように難なく城壁を登り始めたブンゴンに、ぼくはあわてて声をかけた。
「? 何か問題ありやしたか、旦那」
「大ありだ。こんな高い壁、ぼくには縄一本なんかじゃ登れないよ。それ以上に重い鎧を着ているトットーには絶対無理だ」
「うーん、じゃあこっそり見張りを始末して正面から入るしかねぇですかねぇ。それも結構難儀なやり方ですぜ」
地上に降りてきて、ブンゴンが小さくうなりながらつぶやく。ぼくは首を横に振った。
「もっと手軽なやり方があるさ。要は、この壁の向こう側に行ければいいんだろう?」
ぼくは目の前の石壁に向かって、魔力を込めて図式を描いた。興味深けに二人が見守る中、土精霊術を付与して魔術を起動させる。
音もなく直径二メートル程度の丸いトンネルが壁の反対側まで貫通し、その先に城の宮殿部分が姿を現した。
「おお、さすがは魔術師殿。見事でござる」
「こりゃあたまげたねぇ。この業があれば、旦那は盗賊の世界でも一流になれやすねぇ」
「そりゃどーも。盗賊なんてこれっぽっちもなる気はないけどね」
ぼくは肩をすくめて、先にトンネルへと入り込んだブンゴンの背中を追う。後ろからトットーが続き、三人は城壁を抜けると素早く宮殿の門へと取りついた。
「ここからが本番ですねぇ。この先は盗賊たちがウジャウジャいるに違えねぇです」
「それじゃ、作戦を始めよう。ブンゴン、アレを出して」
ブンゴンは小さく首を上下させると、腰の革袋から数枚の紙片を取り出して、ぼくに差し出した。それには古城内部の見取り図が、こと細かに描かれている。
「よし……術式を作るのに少し時間がかかるから、先に『眠り粉』の用意をしといて」
「合点。二人とも、うっかり鼻から吸わねぇよう気をつけてくだせぇ」
ぼくがぶつぶつと論理式をつぶやきながら魔術式の完成図を練り上げている間、ブンゴンは地図を入れていた方とは逆側の腰につけた革袋をまさぐり、茶色の紙で包装したものをいくつか地面に並べていた。慎重な手つきでそれを開くと、あの忌まわしき──しかしこちらの武器として使うならこれほど抜群なものはない、こんもりと盛り上がった例の白い粉が露わになった。
「旦那、用意できやしたぜ」
「こっちも準備万端だ。さて、いっちょやってみようか」
ぼくは指をパキパキと鳴らし、それから指先に銀色の光を灯して、空中に大きめの術式を書き込み始める。同時に風の精霊力を取り込んで、魔術のプログラムを発動させた。
ゆるやかに風が舞い、踊るように眠り粉が持ち上がる。それは瞬く間に散り散りになって、駆け抜ける空気の流れに乗って宮殿の屋内へとなだれ込んでいった。
じっと押し黙って待つこと数分、最後に魔術でコントロールされた風がゴオっとうなりを上げて勢いよく宮殿の正門から吹き出すと、辺りはしんと静まり返った。
「……終わったでござるな。では早速、効果のほどを確認いたそう」
そう言って門の中へと踏み出しかけたトットーを、彼の軍衣の裾をつかんで押しとどめる。
「あわてるなトットー。隠れ家には罠が仕掛けてあることを忘れたのか」
「おっと、そうでござった。しからばブンゴン殿、先行して罠の解除をよろしくお願いするでござる」
ばつが悪そうに、騎士は歯を見せて笑った。
見張りらしき者が四人。
すでに眠っていただろう、毛布をかけて横になっていた者が二十三人。
合計二十七人の盗賊が、ある者は手首と足首に紐をくくられ、ある者は袖口を固く結び合わせられ、またある者は毛布にす巻きにされて、ひとりも目を醒ますことなく拘束された。
「ふう。大仕事でござったな」
「まだ終わっちゃいねぇですぜ、トットーの旦那。頭領はこの奥──大昔の王様だか領主様だかが使っていたらしい、広めの居室に居るはずでさぁ」
先の通路を指して、ブンゴンが余裕の微笑みを浮かべる。勝利を確信したかのような表情だ。
「うむ。では早速、頭領の寝顔でも拝見するとしよう。ハイアート殿、行くでござるよ」
「ああ、うん……」
トットーに手招きされて、ぼくは慎重な足取りで彼らの後を追う。作戦は大成功のはずだ──しかし、なぜかひどく胸騒ぎがして、不安な気分が拭えない。
事が上手く運びすぎると、逆に怖くなってしまうという、そんな心理学的な現象があったような気がした。どんな名前だったかは憶えていないが──たぶんそういう類の、ただの「気の迷い」でしかないのだろう。
階層をひとつ上り、あまり大きな音を立てないよう配慮しながらのゆっくりとした足取りで、宮殿の回廊を進む。しかし突然ブンゴンの足が不意に止まり、彼はかすれたうめきを、のどの奥で押し殺すようにくぐもらせた。
「こりゃあ、マズい……旦那、ここが、ヤツの居るはずの居室なんですが──」
ブンゴンが指を差す先には、少し大きめの間口があるが──そこは、木の板で隙間なく塞がれていた。
城内の部屋を仕切っていた扉はすべて朽ち果てていると、ブンゴンは言っていた。だからこれは大盗賊団が、ブンゴンのあずかり知らぬ間に設けたものに違いない。
「これは……ど、どういうことでござるか」
「おそらく、騎士団に攻めてこられた時の用心に──ここにゃ障壁を張って、他に分かりにくいよう細工した入口をこさえたに違いねぇです。万一の時にゃ、ここ以外の入口を探している間にトンズラってぇ寸法でさぁ。まったく、あの頭領の考えそうなこった!」
ブンゴンは悔しそうに歯噛みをして、小さくうなりを上げる。
だが一番の問題は、そこではない。
「……この中に居る者には、『眠り粉』が届いていない。熟睡していないのであれば、すでに異変を気取られているおそれがある」
ブンゴンとトットーは揃ってはっと息を呑み、それから憔悴したように、顔をゆがませた。
「逃げられる前に手を打たねぇと──他の入口を探してきやす!」
「待つでござる、ブンゴン殿! もはや隠密作戦は失敗、ならば最短の道すじは──強行突破でござる!」
右手のまさかりを大きく振りかぶり、トットーがその刃を、木製のバリケードへと強烈に打ちつけた。
そこに生じた亀裂に向けて、さらに左、右、左と、双手の鋼で連打を浴びせかける。
「どっせーい!」
最後に、大きく広がった裂け目へと左の肩から突進して、障壁は激しい破壊音を立てて真っ二つに割れた。
その瞬間。
鉄を打つ甲高い響きがほぼ同時に二つ聴こえて、トットーが腰から床に崩れ落ちた。




