第二章(十)「セキガイセン?」
狙いは、やはりブンゴンだ。
彼の胸などに集中した刃先は──どうにか術式が間に合い、その防壁魔術に甲高い音を立てて阻まれた。
しかし次の一瞬に、抜刀した五人目の刺客が襲ったのは、ぼくだった。
殺さなければ、殺される。
分かっていたはずだが、その時ぼくは、左手から火炎弾を放つことをためらった。
凶刃が振り下ろされ──
その刀を持つ腕、ひじの少し上に、突然視界の外から飛来したダガーが吸い込まれるように突き刺さった。
暗殺者はびくりと動きを止め、それから全身をぶるぶると震わせながら、どうと横倒しになる。
ブンゴンが投げたのは明らかだ。
腕に刺さっただけで奴が動けなくなったのは、きっと、刃に何かの毒が塗られていたんだろう。
上体を起こして彼を見やると、仰向けからごろりと半回転して、腕を立てて立ち上がりかけている。
それに手を貸そうと伸ばしたその時、彼の傍らにどさりと何かが転がり……ぼくは背筋がぞっとして息を呑んだ。
顔面のど真ん中をかち割られ、目鼻も判別つかぬほど真っ赤に染まった、暗殺者の一人だった。
次いでガンという重い金属音につられて視線が向くと、薙いだ二つのまさかりを受け止めきれずに、吹き飛ばされた二人の刺客が尻もちをついていた。
「──トットー!」
「ハイアート殿、ブンゴン殿を連れて先に行くでござる! ここは拙者が──」
迫る山刀を、トットーは上体を低くして左の肩当てで受け、脇へと滑らせる。
「隙あり!」
左手のまさかりが、一撃を敵の首筋へと見舞う。
ドッと鈍い打撃音と共に、その頭部が虚空を舞った。
「旦那、トットーは大丈夫でさぁ。行きやしょう」
眉をひそめ、顔を背けたぼくの手首をつかみながら言ったブンゴンに、ぼくはうなずいてお互いを支え合いながら立ち上がる。
そして鋼のぶつかる激しい剣戟の音を背にしつつ、ぼくはブンゴンと並んで騎士団詰所の裏手にある馬小屋へと駆け込んだ。
緊急時に即座に騎乗できるよう、鞍を着けたままにした馬の一頭にまたがる。ブンゴンが多少手間取りながら隣の馬に乗ったのを確認してから、かかとで馬の腹を押して通りへと飛び出させた。
ブンゴンの乗る馬が、悲痛ないななきを上げた。
その胸元に、弩の矢が深々と突き刺さったせいだ。
「ブンゴン! こっちに!」
横倒しになりかけた馬から放り出されそうになるブンゴンへ叫ぶと、彼は素早く馬の背を蹴って、ぼくの頭上へと身を翻した。
ぼくの外衣の肩当てに手を引っ掛けて身体の支えにすると、ストンと鞍の後ろに尻を落ち着かせる。
相変わらず、見事な軽業だ。
「旦那、前に二人! 矢が来やす!」
前に向き直ると同時に、風精霊力を乗せた手のひらを振り回す。
騎馬の鼻先に乱気流が発生して、飛来していた二本の矢の軌道が外側に逸れていった。
通りの先には、左右に分かれて、二の矢をつがえようと弩の弦を引き絞る二人の人影が見える。
手綱を左手に持ち替え、右手の人差し指で術式を紡ぐ。魔力の光が細く尾を引いて、右側の刺客の弩を叩き割った。
すぐさま、左の刺客を一瞥する。
あっと感嘆が漏れた。
その男は弩を取り落とし、脱力したように膝をついて、倒れ込むところだったのだ。
一瞬困惑したが、その原因は、ぼくの腋の下から突き出ていた棒状の何かだとすぐに分かった。一メートル程のそれはブンゴンの両手に支えられ、末端が彼の口元に添えられている。
「──吹き矢か!」
「左側は任せてくだせぇ。旦那は右の方を──」
言いかけて、ブンゴンは再び吹き筒を唇に当てる。
シュッとかすかに空気の通る音が聞こえ、左手から無骨な蛮刀を振りかざして迫る男が仰向けにひっくり返った。
「いい腕だ。よろしく頼んだよ──まずは、急ぎ王都を脱出する。振り落とされないように気をつけてくれ」
ぼくは小さくうなずいて、馬の腹にかかとを強めに押し込む。ひづめが地面を蹴る衝撃で、ぼくとブンゴンの身体が大きく揺れた。
「防衛魔術」に反応があった。
近づいてきたのは、馬ほどの大きさの生物。誰かが乗っている気配がある。
ぼくはテントの中で身を起こすと、入口の隙間からそっと外を覗き見た。夕暮れで赤く染まる荒野の空と大地の間に、ポツンと黒い影が一つ浮かんでいる。
「……トットーか?」
「左様。ハイアート殿、ご無事で何よりでござった」
ゆっくりと馬の足が進むにつれ、にじんでいたシルエットが特徴的な鎧の形を取り始める。テントから這い出すと、ぼくの後についてブンゴンが姿を現し、二人は並んでトットーの馬が目の前に到着するのを迎えた。
「トットーこそ、あんな数を相手にして、大丈夫なのか」
「大した戦ではなかったでござるよ。心配させてしまったようで、逆に申し訳ないでござるな」
首を振り、微笑んで答えるかの重騎兵からは、あの鬼神のような大立ち回りは想像できない。トットーがああも強く、猛々しい男だったとは、とても意外で──実に頼もしい。
「何にせよ、夜までに着いてくれてよかったですねぇ。早速、今夜決行ってぇことでいいですかい」
「ああ、問題ないでござる。さて、おぬしの見立てどおりだとよいが……」
ブンゴンが言い、トットーはそれにうなずいて、広がる荒野の地平へと視線を投げかけた。はるか遠くにぽつんと影を落とす、一見ただの岩山に見えなくもないそれを凝視している。
ブンゴンが言うには、いつの時代のものかは知らないが、あれは朽ちた古代の城塞らしい。
この周辺はなぜか集落もなく誰も寄りつかない地域で、トットーもここに古城があることを認識していなかった。そして城壁は崩れ、所々ほころびているとはいえ、城塞であるが故に数ある大盗賊団の隠れ家の中では最も守りの固い場所という話だ。
だからこそ、頭領はここに潜伏している可能性が一番高いとブンゴンは意見した。狡猾な盗賊の頭が裏をかいてくるおそれは否めないが、騎士団が犠牲をいとわず数をたのんですべての拠点を攻めてくることを想定しないはずもなく、そうなった際に最も地の利があって生き延びやすい場所を選ぶのではないか、と。
「まぁ、ここまで来たからにはあの古城にヤツがいると信じるしかない。日が落ちるまでもう少しかかるから、その前に夕飯をすませておこう」
「そうこなくちゃ。いい加減、パンと牛乳だけのメシには飽き飽きだったんでさぁ」
テント内にとって返すブンゴンを見送って、ぼくは短くため息をつきながらトットーを横目に苦笑いを浮かべた。
「……ぼくも同感だ。トットー、囚人とはいえ食事はもうちょっと改善すべきだと思うよ」
荒野は深い藍色の中に沈み、空のところどころにか細い星明かりしか目に映るもののない闇夜へと染まった。
「今夜はおあつらえ向きにお月さんが隠れていやすねぇ。あっしは夜目が利きやすからこの暗さでも差し障りねぇですが、旦那らはこの闇ん中で動くのはちいと厳しくねぇですかねぇ」
足下に置かれたランタンの光にぼうっと浮かび上がっているブンゴンの表情は憂うように曇り、ぼくはうなずきを返した。
「うん。だからトットーとぼくには魔術を施そうと思う。トットー、今から魔術をかけるから、ランタンの方を見ないように気をつけてくれ」
「? 承知つかまつったでござる」
トットーは不思議がりながらも、ランタンに対して身体を真横に向ける。闇の中で魔力の光がほのかに輝き、力ある図画を描くと、魔力は彼のかぶとの面当て付近にまとわりついた。
「……おお、おぬしらの姿がはっきりと見えるでござるぞ。これはいかなる魔術でござるか」
「目が受ける光の量を増幅して、その上『赤外線を見る』ことができるようにしたんだ」
「せせ、セキガイセン? 一体何のことでござるか」
「んーとね、光ってのは人間の眼には見えない種類のものがあることが、ぼくの元の世界では分かっていて……そのまぁ、理屈はさておき、これで真っ暗でも問題ないね」
彼が首を縦に振るのを確認してから、ぼくはランタンの火を落として、ぼく自身の眼にも暗視魔術をかける。漆黒の中にほんのりと白く、二人のシルエットがにじみ出した。
「よしブンゴン、準備ができた。先導してくれ」
「合点でさぁ。ぐずぐずしてっと夜が明けちまいやすから、ちっと急ぎますぜ」
小走りで、しかし何の靴音もなくブンゴンが闇夜の中をすいすいと進み出す。ぼくたちはその後を、やや大股に追っていった。




