第二章(九)「郭嘉か荀彧にでもなったような気分で地図上を指差した」
「合点承知でござる。こちらがエリンズ騎士王国全土の地図でござるよ」
鉄格子の隙間から、トットーはA3用紙ぐらいの大きさの丸めた紙を差し込んだ。それを受け取ったブンゴンが石畳の上に広げると、彼は苦々しく顔をしかめた。
「こりゃ結構いいかげんな地図ですねぇ。ハバリバルクがドッセホルトより近いように描かれてるし、北の山脈も王都から見てもっと西寄りになってないとおかしいですねぇ」
「左様でござるか。騎士団ではこれを昔から使っていて、特に不都合はなかったでござるが」
「心配ねぇですぜ。あっしが地図に多少のこだわりがあるだけで、実用的にはこれで十分でさぁ。さて大盗賊団の隠れ家ですがね、国内には八箇所ばかりあって、頭領はそれらを転々としながら潜伏してるんですねぇ」
ブンゴンは地図上に次々と指を差していき、四箇所目からはトットーから手渡されたペンでバツ印をつけていく。バツ印は広大なエリンズの国土の内に、かなり広範に分布されていた。
「ブンゴンは、頭領がどこに居るのか知っているのか?」
「あっしは大盗賊団の中でも頭領の居場所を知る数少ない立場にはありやしたがねぇ、今はもう最後の隠れ場所から移動しちまってるでしょうねぇ」
「この八箇所以外に、隠れているということはないでござるか」
「ここらの隠れ家はそれぞれに食糧などの備蓄がされてて──さらに、あっしもいくつか手掛けやしたが、侵入者を防ぐための巧妙な罠が多数仕掛けられてやす。そういった安全な隠れ家を設けるには時間がかかりやすから、この短期間にあっしの知らねぇ新しい隠れ家が増えてることは考えにくいですねぇ」
トットーはあごに手を当ててうなる。しばらくの間、三人は地図をにらんで沈黙した。
「頭領を押さえれば勝ちでござろうが、どこに居るかは分からぬとなると──攻め入ってみる他にないでござろう。早速、戦闘団の派遣の申請を──」
「いや。闇雲に軍隊を動かすと目立つし、戦う前に逃げられたら面倒になるだけだ」
立ち上がりかけたトットーを制して、ぼくはかぶりを振った。トットーは再びのどの奥でうなり声を上げて、椅子に座り直す。
「んー、じゃあ救世主様のご意見を頂戴しましょうかねぇ。どうすりゃあの小ずるい当代頭領の尻尾を捕まえられやすか」
ブンゴンに訊ねられて、ぼくは耳たぶを触りながら地図上の敵拠点をじっくりとねめ回した。それからふと顔を上げてトットーの方を向き、それに気づいた彼は首を横に傾けてぼくと目を見合わせた。
「トットー。その戦闘団ってのは、一度にどれくらい動かせる?」
「すぐに派遣できるのは第一から第三戦闘団の三部隊でござるな。各々の規模は騎兵・徒兵合わせて三百、合わせて九百人程度でござる」
思ったより大規模だ。ぼくは驚きを呑み込みながら、今度はブンゴンに向き直った。
「隠れ家ってのは、戦力としてはどの程度かな」
「場所によってばらつきがありやすが、多くて数十人程度でさぁ。隠れ家自体も、一見民家に見える建物の地下だとか、そういった場所が多いねぇ。城や砦みてぇな守りの固ぇモンとは違うから、騎士団に攻め込まれてまともに戦えるシロモノじゃありやせんねぇ」
そりゃそうだ。ぼくは鼻で大きく息をつくと、郭嘉か荀彧にでもなったような気分で地図上を指差した。
「では、これらの隠れ家を、戦闘団に攻撃させよう」
「……先ほどと言うことが違うでござるぞ、ハイアート殿。軍隊は目立つから、逃げられては面倒だとおっしゃっていたでござろう」
怪訝な表情のトットーに、ぼくは苦笑して答えた。
「そう、逃げさせるのが目的さ。エリンズの外側に近い隠れ家から攻め入り、各所を占拠する──戦わずに逃げてくれれば、無闇に犠牲を出さずに済むから好都合だ。そうしたら、彼らは戦闘団の包囲を突破して国境の外に逃げる危険を冒すよりは、国内中央の隠れ家の方へと一旦身を潜めるだろう」
「そうですねぇ。あっしが当代なら……国外に逃げるとしても、できる限り長旅の準備や隠してあるお宝をかき集めてからだねぇ。旦那、その読みはたぶん当たりですぜ」
ぼくはブンゴンの親指と小指を立てる仕草にうなずきを返して、さらに中央付近の三つのバツ印を指で円を描くようにして示した。
「そして、ここの隠れ家のどれかにヤマを張って、目立たぬように少人数で突入する。当たりを引く可能性は三分の一だ──できるだけ、不確実性のある部分は無くしたいが……」
「三箇所を同時に小隊で攻めればよいのではござらぬか? この外の隠れ家を攻める戦闘団から十人程度を割くのであれば問題は──」
「いや、隠れ家には巧妙な罠が仕掛けてあるそうだぞ。下手に突入すれば返り討ちだ──戦闘団に、罠を避けて攻め入れるような技術のある者はいるのか?」
ぼくがかぶりを振って訊ねると、トットーはむむ、とうなって沈黙した。
「……つまり、突入には罠に詳しい人物が必要だ。そして──ここには、それが居る」
二人の視線が集中し、ブンゴンは、ぎょっとして目を白黒させた。
「ど、どういうことですかい旦那。あっしは──」
「ブンゴン、隠れ家の罠のいくつかは君が仕掛けたと言っていたね。罠についても相当に得意分野ではないかと思うんだが、どうなんだい」
「……そりゃあ、あっしは罠を仕掛けるのはもちろん作動させずに外すのも、大盗賊団で一、二の腕前と自負しちゃおりますが……」
「それなら問題ないね」
「いや、問題大ありですぜ! あっしはこのとおり、檻の中でして──」
「まぁそこは、トットーに融通を利かせてもらうってことで」
流し目でちらりと一瞥すると、今度はトットーがぎょっとする番だった。
「またもや無理難題を言うでござるな! しかし、罠に長けた者が必要であることは論をまたないでござる……」
苦渋に満ちた表情で腕組みをするトットーは、やがて顔をうつむかせて、歯の間から絞り出すようにして言った。
「……承知つかまつったでござる。拙者が、ブンゴン殿を作戦行動のために一時的に牢から出すことを許可してもらうでござる」
「よしっ。ありがとうトットー、恩に着るよ」
笑顔で手を差し出すと、彼は苦々しく笑んで、それを握り返した。
「ブンゴン殿、頼まれ物はそれでよいでござるかな」
「ええ、申し分ないでさぁ。……しかし、これは何ともはや……」
ブンゴンは中身をあらためていた背負い袋の口を閉じて背中に負うと、腰につけられた麻縄の輪を指先でいじった。そこから伸びる縄の先は、ぼくの手に握られている。
「一応の逃走防止策を示さぬと、牢から出す許可が出なかったでござるよ。加えて、もし逃走されたなら拙者の首をかけて責任と取ると申してしまったからな。ブンゴン殿、くれぐれも妙な気を起こさぬよう、よろしく頼むでござるよ」
妙に疲れた顔で、トットーはため息をつく。ブンゴンは渋い表情でかぶりを振った。
「トットーの旦那の首がどうなろうと知ったこっちゃねぇですが、ハイアートの旦那にご迷惑をかけるようなこたぁ絶対にしやせんよ。しかし、こんな腰縄ひとつで、よく防止策だなんて認めてくれたもんですねぇ」
「ああ、実はこの縄には魔術がかけてあってね……切ろうとしたり無理な力がかかると、巻いてある者にひどい苦痛を与える仕掛けがしてあるのさ」
ぼくが不敵な笑みを浮かべると、ブンゴンはぎょっと目を丸くして、弾かれたように腰縄から手を放した。
「えっ、本気ですかい? そんな物騒な仕掛けなぞしなくても──」
「ははっ。そんな術式を構築するだけでも面倒くさそうな魔術なんて、かけるわけないだろ」
そう言っておどけるように舌を出すと、彼は一瞬きょとんとして、それからすぐに苦虫を噛みつぶしたようなしかめ面になった。
「あーっ。旦那、一杯食わせやがりましたねぇ」
「本当に一杯食わせたのは、法審査官にだけどね。──さ、これで準備万端だ。出発しようか」
「承知つかまつった」
トットーを先頭に上り階段を進み、三人は地下牢から建物の外を目指す。以前に比べて守衛の数を増やした両開きの扉が引き開けられると、ふわりとした自然の風を感じてぼくはほっと息をついた。ブンゴンを暗殺者から守るため、数日間ずっと詰所に閉じこもっていたせいで、多少気が滅入っていたのだ。
「あー、久々の外の空気ですねぇ。これでお天道さんが出てりゃもっとよかったんですがねぇ」
薄笑いで、ブンゴンが天を見上げながら言った。雲が低く澱み、いつ雨の雫に見舞われてもおかしくない空模様だった。
「各々方、油断めさるな。暗殺者がどこから狙ってくるか、分からぬでござるよ」
トットーが左右を警戒しながら、詰所を出た先の通りに足を踏み出す。ぼくは口元をきゅっと引き締めて、かの重騎兵の背中に隠れるように後をついていったブンゴンに追従して外へ出た。
三人の厳重警戒とは裏腹に、街の通りは平穏そのものだ。まばらに行き交う市民に、布をかけた荷を乗せてのんびりと進む馬車。その一つ一つを疑うのがバカらしくなるほど、日常的な光景しか目に映るものはなかった。
「……よし、問題ないでござるな」
「そうだね。トットー、奴らももう襲撃をあきらめたんじゃないかな?」
苦笑いして、ぼくは鼻から長めの息をついた。現在はすでに戦闘団が大挙して各拠点に展開しており、大盗賊団は逃げたにせよ戦ったにせよ、混乱の最中にあるはずだ。
「そうであればよいが──王都を出るまでは、警戒を緩めるべきではござらぬ。さぁ、馬小屋に向かうでござるよ」
鎧を鳴らしながらのそのそと進むトットーの背中を追って、詰所の裏手へと向かう。その三人の横を、前から来る荷馬車が通り過ぎていこうとしたその時、荷台にかぶせてあった布が不意にバサッと音を立てて翻った。
その瞬間、ぼくは地面に身を投げ出し、右脇を下にして倒れ伏した。
縄を握ったままだったので、それがぴんと引っぱられてブンゴンも仰向けに倒れ、上手い具合に彼の上半身があった場所を数本の弩の矢が何にも当たらずに通過していく。
荷車に隠れていたのは、五人の男たち。
うち四人は矢を撃ち放ったあとの弩を放り出して、大振りの山刀のような刃物に持ち替えると、猛然と飛びかかってきた。




