第二章(七)「奇跡的でござるよ」
光のまぶしさに、ぼくは再びまぶたをギュッと閉じて、鼻のムズムズをこらえながら深いため息をついた。
実際にはランプの小さな光だったが、きっと長い時間、ぼくは闇に閉ざされていたのだろう。
「トットー、ハイアートの旦那が目を覚ましたねぇ」
目をパチっと開いて、声の主を探す。
ぼくの横たわっている寝台の左側に、ブンゴンの頭の端っこが見えた。意識はまだ朦朧としていたが、彼が地下牢から外に出ていることに、ひどく不安を感じた。
「おお、ハイアート殿。無事で何よりでござる」
ガチャガチャと金属音を立てて、右側の視界の端にトットーが顔をのぞかせる。
「……全然、無事じゃないけどね……」
ぼくがかぶりを振って答えると、トットーは微笑み、左手の死角からはくっくっとのどの奥で失笑するような声がきこえた。
「いやいや、生きているだけで儲けモンだねぇ。ボジレガソフを食らって生還したヤツを見たのは、旦那が初めてだねぇ」
「……そうかもね。生きてるだけでも──というか、ブンゴンをここに居させていいのか」
「ハイアート殿、そう邪険にしないでほしいでござる。ブンゴンはおぬしが意識を失っている丸二日の間、容態の変化がないかずっと見張ってくれていたでござるよ」
「よしてくだせぇ。あっしは、恩に着せようなんざ思ってねぇんですから」
トットーは肩をすくめて、口の端をゆがめる。左側に顔を傾けると、ブンゴンが赤い鼻をこすりながらへへっとはにかんだ。
「……そうか。いや、ありがとう。というか、ぼくは二日も気を失っていたのか?」
「左様でござる。この二日間、拙者にはたいそう長く──そうだ、おぬし空腹ではござらぬか」
ぼくはゆるゆると首を横に振った。
「食欲はないよ。まだ少し気分がよくないんだ……それよりブンゴン、ちょっといいかい」
「へぇ。あっしに何か──」
少し不安げな表情で、ブンゴンが身を乗り出してぼくの視界に入ってくる。ぼくは眉をしかめながら苦笑いを浮かべた。
「──今から、訊問を始める。君には黙する権利がある」
「……!」
驚愕の色をありありと浮かべ、ブンゴンは絶句した。この状況で訊問を受けるとは、まったく予想できていなかったのだろう。
「ハイアート殿、まだ回復しきらぬうちに、そのような無理をしては──」
「トットー、ごめんね。ぼくの心配をしてくれることは本当にありがたいと思ってる……だけど、今のうちにできるだけ情報を集めて、動けるようになり次第、奴らを捕まえに行きたい──休んでるヒマなんて、欲しくないんだ」
トットーは、顔をしかめて小さくうなり声を上げたものの、それ以上は何も言わなかった。ぼくはもう一度「ごめん」とつぶやいてから、あらためてブンゴンに目線を戻した。ブンゴンは小さく首を振って、困ったように目を細めた。
「……分かったよ、旦那。何でも訊けばいいぜ──言いたくないことは、黙っててもいいんだろ?」
「ああ、それでも構わないよ。ではまず──君は、どうしてぼくに毒の名前を教えてくれた?」
ブンゴンはまた、意表をつかれたといった風に驚愕し、眼の焦点を泳がせる。
「そ、そりゃあ──」
「よく考えたらさ、おかしいじゃないか。ぼくが君ら大盗賊団に恨みを持ってて、復讐しようとしてるのは君も分かってるはずだ。そいつが放っておけば死ぬという時に、助け舟を出したのみならず、こうして看病までしてくれてるってのは、まったく合点の行かない話だろう?」
「……」
ブンゴンは、苦虫を噛みつぶしたような顔をうつむき加減にしていた。何か言いたげに唇が何度も動くが、言葉にはならなかった。
「……話してくれないのか。じゃあ、ぼくの考えを言うけど、おそらく君は──」
「だ、旦那はどうなんだ」
かぶせるようにブンゴンがしゃべり出したので、ぼくは一旦口を閉じた。彼はふーっと息を大きくついてから、おもむろに話し始める。
「……旦那こそ、あっしが仇だというなら、何で助けたんですかい。恨みがある人間がどうなろうがちっとも構わないでしょうに、身を挺してまでかばったりすんのは、変じゃねえですか」
「うーん、大盗賊団につながる唯一の手がかりだからとか、まだ君が商人らを殺害したという確証が得られてないとか……後から考えれば理由はいくらでも立つけどね、でも──」
「……でも?」
「でも、その時はなーんも考えてなかった。危ない、って思ったから助けた。それだけだったな」
ブンゴンが呆気にとられて何も言えずにいたので、ぼくはふっと笑って話を続けた。
「まぁ、ぼくが思うにはさ。人がわけも分からずに傷つけられたり、殺されそうな時に──助けたいって思うのは、当たり前だと思わない? それがどんな人間かなんて、その時は何も関係ないじゃない。……違うかな?」
ぼくが首をひねりながら訊ねると、小難しい顔をして押し黙っていたブンゴンが、不意にプッと吹き出した。
「旦那……あんた一体、何モンなんですかねぇ。当たり前なわけがない──あんたみてぇな底抜けのお人よし、世の中にそうそういるモンじゃねぇよ……」
「左様でござるな。世の中にそうそうおらぬお人よしな御仁が、この場にふたりも揃うとは滅多にないことでござろう。奇跡的でござるよ」
トットーが歯を見せて笑い、ブンゴンは決まりが悪そうに肩をすくめた。
「ふたり、って……まぁ、そうですねぇ。確かにあっしも、何も考えてやしやせんでした。バカですねぇ、あっしも、ハイアートの旦那もさぁ……」
「だから、断言する。ブンゴン、君は──殺していない」
言ってから、じっくりとブンゴンの表情を観察する。彼はうろたえて、それからひどく悲しそうにがっくりと肩を落とした。
「ハイアートの旦那……あっしが、殺したんでさぁ。あっしが『眠り粉』を使ってなけりゃあ……」
「……ブンゴンが、眠り粉を使ったんだね。それから何があったか──もう、すべて話してくれないか。ぼくの復讐の相手は君じゃないと、ぼくはとっくに確信しているんだ」
「……旦那……」
やや間があって、それから小さく鼻をすする音を交えながら、ブンゴンは口を開いた。
「……隊商は人数が多くて、脅して奪うのは危険だった。それであっしが、眠らせて荷をかっさらおうと言いやした……」
彼は、とうとうと語る。
商人たちと馬を眠らせ、荷馬車を運び出す準備を終えたところ、大盗賊団の頭領が命令した。
「こいつらの懐も漁れ」
ブンゴンは反対した。「下手に刺激して目を醒ましてしまうと厄介だ、欲を張らずに商品だけもらってさっさとずらかろう」とその行為をいさめた。
しかし──
「こうすりゃ、もう二度と目が醒めねぇだろう?」
頭領はそう言って、躊躇なく、商人の一人に短剣を突き立てたのだ。
それから頭領は手下に商人全員の殺害を命じ、彼らの命は次々に奪われていった。ブンゴンは凶行を止めることもできず、ただ傍観することしかできなかった。
馬と懐中の小銭まですべて回収し、場を立ち去ろうとする段になって、頭領はブンゴンに告げた。
「おまえはオヤジの代からの長ぇつき合いだし役に立つ奴だから、今回は大目に見てやる。だが次に俺の命令に従わねぇ時は、命はねぇぞ」
先代頭領に拾われた恩義で、代替わりした新しい頭領の暴虐ぶりにも今までは目をつぶってきた。しかし今回のことで心底愛想が尽きて、ブンゴンは隙を見計らい大盗賊団をこっそり抜け出した。
追手がかかる前にできるだけ遠くへ逃げようとしたものの、乗ってきた馬の足に異常があったため、やむなくモロウホルトに逃げ込んだが──
「拙者らに御用となった、というわけでござるな」
「……運命、ってぇやつなんでしょうねぇ。あっしはもう、すっかりあきらめがつきやした。旦那、あっしのことは、どうにでもしてくだせぇ」
ブンゴンは寂しそうに微笑んだが、その表情にはつき物が取れたような、清々しさがあった。
「うむ……殺人の罪はなくとも、窃盗を繰り返した罪には問われよう。刑罰は百叩き以上、最高で絞首刑にも──」
「待った。その、ブンゴンの刑罰についてなんだけど……」
苦々しい顔をして腕組みするトットーに、ぼくは言った。彼は小難しい表情のままこちらに向き直る。
「何でござるか、ハイアート殿」
「トットー、この国には──『司法取引』っていうのはないのか?」




