第二章(六)「新入りでござるか?」
心臓が、どくんと一つ高鳴った。
本当に、この男が彼らを殺害したのか。
であればなぜブンゴンは今、がっくりと肩を落とし、うなだれているのだろうか……。
「……では、なぜ──」
訊問を続けようとしたその時、石造りの階段を打つ靴音が聞こえてきた。
「──おお、ハイアート殿。こんなに朝早くから取調べでござるか?」
声をかけられる前に、左肩だけひと際分厚い不格好な鎧の形で、すぐにトットーと分かった。
「君こそ、どうしてこんな時間に?」
「ふと目が醒めてしまって、その後もなかなか寝つけぬので、ブンゴンの様子を見に──」
「何だ、トットーもか。取調べをするなら、代わってもいいよ」
席を立ちかけたぼくを制するように、トットーは首を横に振った。
「いや、続けていただいて結構でござる。それで、進捗のほどはいかがでござるか」
「……ブンゴンが、商人たちを殺害したと……自供した」
トットーは、顔を固くこわばらせた。口をきゅっと結び、のどの奥でくぐもったうなりを上げる。
「何と。真に、ぬしが殺したと申すか」
「……二度は言わねぇ。でもって、他に何も言うつもりはねぇ。何を訊こうがムダだねぇ」
ブンゴンがぷいとよそを向いて、それだけ吐き捨てると、また黙りこくってしまった。ぼくは自分の耳たぶを指先でなでながら、おもむろに訊いた。
「そうだね。ムダかもしれないけど、それでも訊きたい──君が、なぜ商人たちを殺したのか」
「……」
「これは、ぼくの勝手な考えだが……ブンゴン、君は、彼らを殺したかったわけではないんじゃないか? やむなく殺さざるを得なかった、とか──あるいは、元々は殺すつもりじゃなかった、とか」
ブンゴンの背中に向かって、ゆっくり、淡々と話しかける。彼は声にならないうめきを上げて、ぶんぶんと頭を横に振った。
「拙者も疑問に思うでござる。ぬしは、毒物にかけては超一流の使い手であろう。殺すつもりなら最初から致死毒をふり撒けば事足りるであろうに、なぜ──」
トットーの言葉は、再び階段を打つ靴音と鎧のガチャガチャとした金属音に遮られた。
地上から降りてきたもう一人の騎士は、いつもの囚人用食事セットを持っており、トットーが怪訝な表情を見せた。
「もう朝食でござるか。何だか今日は何もかも前倒しでござるな……ん?」
何かに気づいたように、トットーは眉根を寄せて首を傾いだ。その騎士をまじまじとねめ回し、それから──パッと表情を明るくした。
「おぬし、見ぬ顔でござるな。新入りでござるか?」
「は。先週ハバリバルクから転属命令を頂戴しまして、本日が初任務です!」
会釈をしながら、元気のよい声で答えた。体育会系な雰囲気が、ぼくには少々苦手に感じる。
「そうでござったか。三隊は隊長が少々面倒な男だが、しっかりやってくれ」
新入り騎士は再度「はっ」と短く返事をして、ブンゴンの居る檻の側へと歩み寄る。ぼくは椅子から立ち上がって、うーんとうなりながら背伸びをした。
「続きは朝食の後にしよう。ブンゴン、先に食べてくれて構わないよ」
コトリと、置かれたマグが床を打つ音に反応してブンゴンが振り返った。そこでぼくが苦笑しながら言うと、彼はそそくさとホットミルク入りの器を手に取った。
口に運ぼうとしたその手が、急にピタリと止まる。
「……おい、てめぇ。こりゃ何のつもりだ?」
険しい顔つきで、ブンゴンは食事を運んできた騎士をきっとにらみつけた。
「……何の話だ?」
「とぼけんじゃねぇ、このブンゴンの鼻はごまかされねぇぜ。こン中に入ってる、ひと口でおダブツになるヤツは何なんだと言ってんだ!」
ひと口で死ぬ──毒?
ブンゴンは毒に関しては超一流だと、今しがたトットーが言っていた。であればわずかな匂いから毒の有無を察知することも不可能ではないのかもしれない。
「バカな言いがかりはやめるんだ。私がおまえを殺す理由などあるものか」
騎士はいらつきを隠さず、吐き捨てるように言った。
確かに、騎士がブンゴンを毒殺する理由は何も思い当たらないが、ブンゴンが何かを企てて騎士に因縁をつけている可能性は大いにある。ぼくはいつでも両者に割り込む心構えをして、かの盗賊の挙動を注視していた。
「ワケなんぞあっしが知るかよ。だが、コイツが毒入りなのは間違いねぇ。ウソだと言うならてめぇが飲んでみろ!」
ブンゴンは手にしたマグを、格子の間から彼の眼前に突き出す。騎士はふんと鼻を鳴らして、ブンゴンの前に片ひざを立てて身をかがめ、左手を伸ばしマグを手に取った。
いや、取ろうとしたように見えた。
彼の手がつかんだのは、ブンゴンの手首だった。腕を引っぱられたブンゴンの顔面が、ガンと音を立てて鉄格子に衝突する。
そして騎士の右手には、突如として現れた──忍者が使う棒手裏剣のような、細く尖った二十センチメートル程度の寸鉄が握られている。
警戒はしていたものの、その瞬間にぼくにやれたのは──二人の間に躍り込んで、寸鉄の先に腕を挿し入れることだけだった。
「うあぁ……っ!」
前腕の中心に鋭利な先端が突き刺さり、ぼくは激しい痛みに悲鳴を上げた。
騎士は無表情で寸鉄を引き抜き、再びブンゴンを狙って振り下ろす。
が、この一瞬の隙に描き始めていた術式が完成し、そこから魔力の弾丸がほとばしった。
凶器は、それを持っていた手ごと、銀色の輝きに打たれて消滅した。
「…………!」
騎士は叫びを押し殺して、ブンゴンの腕を手放すと、よろよろと数歩後ずさる。
耳障りな鋼の衝突音が響いた。
トットーが左ひじからぶち当たり、反対側の鉄格子に騎士の身体を押しつけたのだ。
「動くな! おぬし、なぜこのような──」
右手にまさかりを振りかざしながら訊いたトットーが、驚いて絶句する。
いつ吐き出したのか、その男は口の周りを血に染めていた。それは真っ赤な鮮血ではなく、何かに濁って黒ずんでいる。
「ど、どういうことでござるか。これは、一体……?」
「……トットーの旦那。そいつは……もう死ぬねぇ。ここに来る前に、すでに毒をあおっていたに違いないねぇ」
戦々恐々とした顔で、ブンゴンが弱々しくつぶやいた。その言葉を証明するように、騎士だった男はひざからくずおれ、座り込んだ姿勢で動かなくなった。
「す……すでに毒を……だと?」
「暗殺が困難な標的には、少し前に毒を飲んでおき、任務が成功しようがしまいが死んで正体を隠す──それが大盗賊団の、暗殺部隊のやり方なんだねぇ……」
「で、ではこの者は──!」
トットーが愕然として、かすれた叫びを上げた。うかつにも騎士団の懐中に賊の侵入を許してしまったのだから、おそらく彼の衝撃は言葉で表せないほどに──
痛い。
全身の筋肉が緊張して、上手く動きが取れない。
額に汗がにじんで、頭がくらくらしてきた。
「……でもってハイアートの旦那も、もう……助からねぇ。あの暗器にも、猛毒が──」
ブンゴンの声が、遠くから聞こえてくるかのように感じる。
気がつけば、ぼくは石の床に、左側の頬をつけて寝転がっていた。
腕も脚も、痛みが増している。
毒──毒が、ぼくの命を奪いかけている。
このままでは、本当に死んでしまう。
魔術。
魔術なら、この危機をしのげるはずだ。
しかし、それには──
「ど、ど……毒、の、名……前……」
マヒしていく舌を必死に動かして、しぼり出せた言葉はそれだけだった。
「──毒の、名前──拙者には、皆目──薬師を呼んで──」
切れ切れに、トットーの声が耳に届く。
やはりダメか。
もう、意識が……続かない……。
「トットーの旦那! 袖をまくって、あっしに傷口を見せてくれ!」
ブンゴン?
なぜ、ブンゴンが、そんなことを──
「……その円状の黒ずみ方……ハイアートの旦那、その毒は──ボジレガソフでさぁ! ボジル草の根をすり下ろして、しぼった汁を丸一日温めたものですぜ!」
かっと目を見開いた。
露わになった左腕の、周囲に黒いあざのような輪が浮かんだ、血が流れる刺し傷。
魔力。術式。
傷口に、体内の、ボジレガソフを集めて、排出──
腕が魔力をまとい、刺傷から血の赤に混じって、白濁した雫が滴った。
「どっ、毒が……? おい、体温を保て! こいつは、助かるかもしれねぇ──」
「医務室へ──暖炉に火を入れ──毛布をかき集めてくるでござる──」
どんどん周囲の音が小さくなり、視界が再び暗転して──
何も分からなくなった。




