第二章(五)「拙者に魔術──?」
盗賊ブンゴンの乗る馬は村の居住区をジグザグに、ぼくらを置き去ろうと懸命に走る。しかしさすがはよく訓練された王都隊の軍馬、特にトットーの乗る馬は総重量百キロはあろう彼を乗せてなお力走し、離されることなくかの馬の尻を追従した。
「この先は村の門でござる。門が閉じているうちは彼奴は袋のネズミ──むっ、まずい!」
トットーがあせりを含んだ叫びを上げる。木材を組み上げた簡素な門は、ちょうど外から馬車を入れるために開いているところだった。
「ま、待て、止まれ! 止まれー!」
門番の騎士が大声で制止させようとするが、ブンゴンはまったく速度を落とそうとしない。そこで門番は、斧槍をブンゴンの眼前にかざして止めようとした、が。
ブンゴンは鞍の上で両足を揃えてトンと踏み切ると、宙へと翻った。
斧槍の刃の上空を越えて、下をかいくぐった馬の背に見事着地し、そのまま門扉と馬車の隙間をすり抜けてしまった。
何て軽業だ。まるで、サーカスの曲乗りだ。
「──二等騎官殿! 拙者が戻るまで門を閉じ、何人も通してはならぬぞ! よいな!」
「……あっハイ! 了解です、小隊長殿!」
ブンゴンの後について猛スピードで門を走り抜けながら、トットーが叫ぶ。次いでぼくが村の外へ飛び出し、後ろを振り返ると、外側から門扉を閉じようとしている騎士の姿が目に映った。
「これ以上日が落ちれば、追うのは難しくなるでござる。早く追いつかねば……!」
トットーは歯の間から押し出すようにしてつぶやきを漏らす。ブンゴンの馬が走り続けている街道は刻一刻と薄暗さを増し、芦毛でなければすでに闇に紛れてしまっていただろう。
しかし、全速力で追ってもついて行くのが精一杯で、距離はまったく縮まらない。とはいえトットーのような重騎兵を乗せていながら、食らいついているだけでも上出来なのだが──
そうか。その乗り手の重量さえどうにかすれば、たやすく追いつくはずだ。
「トットー、君に魔術をかける。手綱を放さないように気をつけろ」
「ぬ? せ、拙者に魔術──?」
有無を言わさず、ぼくは虚空に術式を描いて、それをトットーの背中に投じた。身体の輪郭がほんのり銀色の光に包まれ、魔術で自身の重力がゼロになった彼は、旗が強風にはためくように馬の背の上空でひらひらと翻った。
「うおおぉぉ! なんじゃこりゃああぁぁ!」
トットーはわめきながらも、つかまった手綱でバランスを取って、スーパーマンが空を飛ぶような姿勢を保つ。ぼくは吹き出すのを我慢しながら、自分にも重力をカットする魔術をかけて、トットーと同様に腹ばいの格好で浮き上がった。
同時に馬がぐんと加速し、先を行く芦毛の馬の姿がみるみる近づいてくる。その気配を感じたのか、ブンゴンは上体をひねって後ろを振り返った。
その直後──ブンゴンの手元から、白い煙のようなものがふわっと漂った。
「『眠り粉』でござる! 息を止め鼻を押さえるでござ──ぬうわああぁぁっ!」
トットーの反応は迅速で、彼は睡魔に襲われることはなかった──が、乗っている馬は別だ。
彼の馬は速度を落とさぬままくずおれて、乗っていた者もろともに地面に転がった。
それを見ていたブンゴンの横顔に、笑みが浮かんだ──次の瞬間、それは驚愕へと変ぼうする。
倒れたトットーらをサイドステップでかわし、何事もなかったように急接近するぼくが視界に入ったからだ。
「な、なぜだ! 確かに粉を浴びたはず──」
対眠り粉用にあらかじめ設計しておいた魔術式を起こして、風精霊術をコントロールし、騎馬を含めたぼくの周囲に空気の層を作って眠り粉の侵入を防いだのだが──その疑問に答えてやる責任はない。
魔術を必中できる距離まで間を詰めたぼくは、さらにブンゴンに向けて術式を展開した。
「……ま、魔術、だと……!」
ブンゴンのうめきは、悲鳴へと変わった。
魔力の力場で包み、巨大な手でわしづかみにしたかのように標的を拘束する魔術に、彼の上半身が捕らえられたのだ。そのまま頭上へ持ち上げると、奴は足をバタバタとさせてむせび、悲痛な叫び声を上げ続けた。
「ひいいぃぃ! 降参! 降参だぁ! 頼むから降ろしてくれえ!」
「すまないね、君の頼みを聞いてあげるわけにはいかないよ。さて……あとは騎士様にお任せするとしようか」
馬の鼻先を転回させて、トットーの元へと走り出す。未だ無重力状態のままの彼は横臥した馬の手綱にしがみついて、足を地につけることもままならずにフワフワと宙をたゆたっていた。
エリンズ王都、騎士団詰所、地下牢。
つい三日前までぼくが居た、冷たい石と鉄に囲われた部屋には、囚われの身となった盗賊の姿があった。
大盗賊団の大幹部「押込みの」ブンゴンは、腕を組みあぐらをかいた姿勢で、まぶたと口をしっかりと閉じまったく動こうとしない。
「まだダンマリでござるか。往生際が悪いでござるな」
手に黒パンと牛乳を満たしたマグを携えたトットーがぼくの傍らに来て、ため息をついた。ぼくは鉄格子をはさんでブンゴンと真向かいで丸椅子に座り、彼の一挙手一投足をじっと眺めている。
この男を捕まえただけではダメだ。
大盗賊団そのものを、叩きつぶさなければ。
そのためには、奴から聞き出さなければならない──大盗賊団の全容を。
「ハイアート殿。彼奴の夕食の時間ぐらいは、おぬしも休憩したらよかろう。じれる気持ちは分かるが──」
格子の隙間から食事を差し入れて、トットーが呆れたようにつぶやいた。ぼくはゆるゆるとかぶりを振って、再びブンゴンを見据える。
「──聴取はいつでも交代するから、あまり根を詰めぬようにな。ではご免」
トットーは階段の上へと消えていき、地下牢は再び、ぼくとブンゴンの二人だけになった。
「……どうした君、食べなよ。牛乳が冷めちゃうよ」
抑揚のない声で、ぼくはぼそりと言った。
ブンゴンは目を閉じたままふーっと細く長い息をついて、パンと牛乳を手にした。
「……なぁ……おまえさん、ハイアートと言ったかねぇ。何で魔術師が、騎士団に捜査のご協力なんざしてるんですかねぇ。騎士団と宮廷魔術師って、仲が悪いってぇ話じゃなかったかねぇ……」
ちびちびとパンをかじりながら、ブンゴンが訊いてきた。彼が檻に入ってから、初めて口にした言葉だった。
「エリンズの魔術師じゃない。ぼくは旅の者で──三日前、あんたらが皆殺しにした隊商の一員だった」
ブンゴンははっと顔を上げて、ぼくを凝視した。それから眉間にしわを寄せて、彼は苦い顔でうつむいた。
「……すまねぇ」
か細くかすれた小声だったが、ブンゴンは確かにそう言った。
どういう意味──いや、どういう意図なのか。
なぜ、彼は謝罪の言葉を口にしたのだろう……無論、それで許すつもりは毛頭ないのだが、妙に心に引っかかる。
「……ともかく、それを食べたら今日はもう寝な。また明日、じっくり訊問してやるからな」
ぼくは椅子から腰を上げて、もどかしさにイラつきを覚えながら、上り階段に足をかけた。
まだ夜も明けきらない頃に目が覚めてしまい、ぼくは気持ちが落ち着かないまま、再び地下牢を訪れた。
階段を降りる靴音に反応したのか、鉄格子の奥で横臥していた人影が、急に起き上がり低い姿勢でこちらを見据えてくる。
「……何だ、おまえさんか。もう朝になったんですかねぇ」
「いや、まだ夜中だよ。上手く眠れないんだ……起こしてすまなかったね。訊問は朝食の後にするから、まだ寝てていいよ」
ブンゴンの問いにかぶりを振りながら、ばくは牢の前の丸椅子に腰をかけた。
「さいですか、じゃあもうひと眠りさせてもらうかねぇ」
そう言って、ブンゴンはごろりと身体を横たえる。ぼくは背中を向けた盗賊の寝姿をぼんやりと眺めていた。
大盗賊団の一味である彼は、当然あの場にいて、ヘベニッフたちの殺害に加わったはずだ。無論、見た目で判断してはいけないが──この男が、相手の命を奪ってまで強引に盗みを働くほど、そこまで粗暴な人間には見えない。
無関係なら、なぜこうも頑なに何も話してはくれないのか。なぜあんなにも辛そうに「すまねぇ」と謝罪をもらしたのか。
分からないことだらけだ。
「……ああ、もう! こう視線を感じてちゃ、ちっとも眠れねぇ。変に待たれるより、やるんならさっさと始めてほしいねぇ」
ガバッと身を起こして、ブンゴンが声を荒げて叫んだ。ぼくは眉をハの字にして、後頭部を掻きながら首をひねる。
「そうか……じゃあ、申し訳ないけど訊問するね。えーと、エリンズの法により君には訊問に対し黙する権利がある。いいかな?」
捜査権を持つ騎士の代理である以上、騎士と同様に話を訊く際には毎回「訊問を始める」と宣言し、冒頭に黙秘権について説明する文言を入れる手順を踏まないと、訊き出したことの証拠能力を認めてくれない。
「ああ、何でも訊いていいですぜ。まぁあっしは、何もしゃべらないですがねぇ」
そう返して、ブンゴンは腕組みをして目も口もギュッと閉じてしまった。昨日はこの前置きにすら何も答えなかったのだから、それに比べれば大きな進歩だ。
さて、どう訊こうか。
問いかける言葉を数回、頭の中で反すうしてから、ぼくはおもむろに口を開いた。
「ブンゴン。君は──商人たちを殺したのか」
その時、ブンゴンはカッと目を見開いて、ぼくを見つめ返した。
その瞳に、動揺の色がありありと浮かんでいる。
ぼくがただ黙して返答を待っていると、彼は顔中をくしゃくしゃにして、のどの奥からしぼり出すような苦汁に満ちた声を出した。
「…………ああ、そうだ! あっしは……あっしが、商人らを……殺したんだ……!」




