第二章(四)「なぜ身体を横にして通らなかったんだ」
「トットー、あれだ。あの馬に違いない」
村で唯一の宿屋の裏手にある馬小屋を覗き込み、ぼくはその中の明るい灰色の毛を持つ馬を指差した。トットーもひと目見て、力強く首を縦に振る。
「では宿に入って、件の老人を探すでござる。今の時間は客が最も多い故、下手に抵抗されると周囲の無関係な者を巻き込むおそれがあるでござる。慎重に参るでござるよ」
「分かった」
トットーの背後について、ぼくは宿屋の入口の両開きの扉をくぐった。一階部分の酒場はほぼ満席で、雑多なざわめきが辺りを満たしている。
「……この中からそれらしき人物を探すのは、難しいな」
「手分けいたそう。おぬしは左半分、拙者は右半分を探すでござる。見つけたら、手で合図を──これで」
トットーは右手の親指と小指をLの字になるように立てる仕草をした。これはダーン・ガロデの広い地域で共通して「オーケー」の意味を表すハンドサインだ。
「うん、それで行こう。じゃあ気をつけて」
右手に向けて進み出した騎士の背中を見送ってから、ぼくも酒や食事を楽しむ客を一人一人確かめながら奥へと足を運ぶ。
しかし、ほとんど二、三十代の男ばかりで、老人と呼べそうな者の姿は見当たらない。店の中ほどまで来た所で、トットーの調査の進み具合を確認すべく、反対側を見回して彼の姿を探した。
「!」
彼は外に面した窓際に立って、こちらを見ていた。手を胸の高さに挙げて、例のハンドサインを差し向けている。
緊張に表情を固くしながらゆっくりと歩いてトットーの元に到着すると、彼はぼくに視線で合図した。その先には、窓側の食卓に座る小柄な人物の姿がある。
コートで全身をすっぽりと包んだ上に深くフードをかぶっていて、顔や体つきははっきりと分からないが、フードからボリュームのある白い髭がこぼれていた。
「そこなご老人、おくつろぎの所おじゃまして申し訳ないが、少し話をさせてもらえぬか」
酒場の喧噪に紛れないように、トットーはやや強い語気で、老人に話しかけた。が、老人はまったく反応を返そうとしない。
「もし、ご老人! 聞こえているでござるか! 話をお聞かせ願いたい!」
今度は怒鳴るように声をかけ、老人は、頭をわずかにトットーの方へと傾けた。
「あー……わしの、ことでしゅかな……しゅまんのう、わしゃー、耳が遠くなってのう……」
ひどくかすれた声色で、老人は弱々しく間延びした言葉を発する。トットーは短くため息をひとつついて小さくうなずいた。
「では聞かせてもらうが、ぬしは先刻、馬屋で馬を交換してもらったでござろう。交換する前にぬしが持っていた馬は、どこで手に入れたでござるか」
「……馬。はて、馬なぞ、交換しましたかのう……」
そう言って老人は微動だにしないまま、十秒ほど経過した。考えているのか、ただボケているのか、判断がつきにくい。
「……おお、おお。馬、取り換えたでしゅ。あの馬より、小さい馬と、換えたでしゅ。なのに、差額だ言うて、お金、取られたでしゅ……あこぎな商売と、お、思いましぇんか?」
「いやそこは、拙者には何とも申し上げられぬでござる。それより、ぬしが前に持っていた馬をどこで入手したかを教えてほしい」
再び訊ねるトットーの声色から、イライラが如実に伝わってくる。老人はまったく意に介さないかのように、たっぷりと間を空けてから再び口を開いた。
「……あー、馬、お、落ちてたでしゅよ……」
「馬が、落ちていた……でござるか?」
「わしゃ、王都から、ここまでの間の道を、歩いていたんでしゅ。しょの途中にな、馬が、鞍が着いたまま、ぶらぶら、ぶらぶら。他に、誰もいなかったから、乗ってきたのでしゅ……」
つまり、街道で乗り手のいないあの馬を拾ったということか。
大盗賊団が乗用馬に使おうと思って鞍を着けたが、うっかり逃がしてしまった……ということならあり得るのかもしれない。
「……ハイアート殿。こう言っては悪いが、かようなモウロクした爺さんが大盗賊団と関わっているとは考えにくいでござる。本当に、偶然馬を手に入れただけかもしれぬ」
トットーが、ぼくの耳元でひそひそとささやいた。彼の言うとおりなのかもしれないが──どこか違和感が拭えない。
何というか、周りに老人という印象を与えようとして、モウロクぶりをやたらに誇張されているように感じるのだ。実際に六年間もお爺さんと寝食を共にしていたために、ことさらそう見える。
「お爺さん、ごめんね。もうちょっとだけ訊いてもいいかな。お礼と言っては何だけど、これで一杯やってくれていいからさ」
ずいとトットーの前に進み出て、ぼくは銀貨を一枚、テーブルの上にパチンと音を立てて置く。その音に、老人は今までにない早さで反応を見せた。
「……ふぇふぇふぇ。ではありがたく、頂戴いたしましゅる……」
老人のコートの隙間から左手が伸びて、銀貨をつかむ。
その機を逃さず、ぼくはガシッとその手首を捕らえた。
「ふぁっ? な、何をしゅるでございましゅか」
「──あれ? お爺さん、ずいぶんきれいな手をしてるね。まるで三十歳そこいらの、若人のような手だ……」
振りほどこうともがく腕をわしづかむ手に、ギュッと力がこもる。
「あんたが本当に爺さんか、確かめさせてもらうよ──顔を見せろ!」
空いた手を奴の頭に差し向ける。
腕をかざして遮ろうとしたので、とっさにその手から──風精霊術を繰り出した。
うなりを上げて、激しい気流のうねりが奴の頭部だけを狙って駆け抜ける。
「……むうっ? ぬしは……!」
トットーがうめくように叫ぶ。
暴風は、フードと共にふさふさした白い髭をも吹き散らして、その正体を露わにしていた。
手から受けた印象よりは、多少老けて見えた。目はぎょろりとして鋭く、それ以上に大きく赤い鼻が特徴的な男だった。
顔の方に意識を取られている隙に、男の左手にいつの間にか、諸刃のナイフ──いわゆるダガーと呼ばれる武器が握られていることに気づくのが、一時遅れた。ぼくはその切っ先が狙う、奴の手首をつかんでいる手を反射的に引っ込めつつ、後ろに飛びずさることしかできなかった。
「おのれっ……尋常に、お縄を頂戴せい!」
猛然と、トットーが両腕を広げて男に突進する。
男は即座にダガーを投じ、それはかぶとのわずかに空いた面の隙間へと、吸い込まれるように飛んだ。
しかしトットーは一瞬もひるむことなく頭を下げ、面当てを刃にかち当てた。ダガーはカチンと軽い金属音を立てて脇へ逸れる。
男がダガーを投じた真の狙いは、トットーの視界を下げさせることだったのだろう。奴は直後に高く跳び上がり、膝を抱え空中で一回転した。
そのためトットーはおそらく奴の姿を見失って、諸手は虚しく宙を掻き、勢い余ってテーブルに突っ伏した。男はテーブル上のトットーの背中を蹴って、木製の窓へと飛び込み──体当たりで破って店の外へと躍り出てしまった。
「くっ、こしゃくな! 彼奴を追うでござる!」
トットーも窓枠に手足をかけて、通り抜けようとする──が、ガッと鈍い音がして、動きが止まってしまった。
窓枠に、彼の尋常でない大きさの板金の肩当てがめり込んでいる。
「よ、鎧が……引っかかったでござるうぅぅ!」
なぜ身体を横にして通らなかったんだ。
心の中で即ツッコミしたものの、今さら言っても仕方がない。早く何とかしなければ奴に逃げられる。
「ど、どうしよう。引っぱろうか?」
「いや、あと少しで通れそうでござる。すまぬが背中を押してもらえるか」
トットーの背に両手をついて、うなり声を上げながら思い切り足を踏んばる。だが決して腕力のある方ではないぼくが押しても、彼はびくとも動かない。
「くそ、こうなったら少々乱暴だが、魔力で押すぞ。ちょっと痛いけど我慢しろ」
術式を彼の背中に描いて、気持ち弱めに魔力を込める。
野太い悲鳴を轟かせつつ、トットーは窓枠の破片を散らしながらロケット弾のように屋外に向かってすっ飛んでいき、砂塵を上げてゴロゴロと地面に転がった。
「あっと、申し訳ない。結構優しく押したつもりだったんだが、まだ思いの外強かったな……生きてるか?」
「……ああ、かたじけのうござる。おかげて無事脱出でき──ぬおっ!」
起き上がりかけたトットーが、再び地面に身を伏せる──その頭上を、芦毛の馬が豪快に駆け抜け、瞬く間に走り去ってしまった。
「ハイアート殿、馬を! 彼奴を絶対に逃してはならぬでござる!」
ただのぽっかり空いた大穴と化してしまった窓を通り抜けて外に出たぼくは、うなずいて宿屋の裏手へと走る。二頭の馬の手綱を引いて馬小屋を出ると、そこにトットーが待ち構えていた。
手綱を素早く受け取るや、トットーはパッと馬にまたがり勢いよく駆け出した。ぼくも一瞬遅れて、その後を追いかける。
「トットー、君はあの男を知ってるのか?」
「彼奴は大盗賊団の大幹部、『押込みの』ブンゴンでござる。ここで会ったが百年目、ついにつかんだ彼奴の尻尾、決して放してなるものか!」




