第一章(十四)「生きているってだけで価値がある」
アブホルトを発ち、ドッセホルト、カディヘーブン、モロウホルトと数々の集落を通して、ヘベニッフ隊商は旅を続けた。
「さて皆さん、いよいよエリンズ王都が近づいてまいりましたな。到着予定の夕方まで少々時間に余裕がありますので、ここで小休止といたしましょう」
隊列の歩みを止め、街道の脇に商人一同を集めたヘベニッフの号令で、各々が間食をとったり荷台にごろりと寝そべったりと、思い思いに休憩に入っていく。
「ハイアート! さっき坂の上から、向こうの湖の近くにたくさんのお花が咲いてるのが見えたの! 一緒に行ってみない?」
休憩の間、ぼくは何をしようかと模索していると、ズエンカが街道から離れたずっと先を指差して、大声で呼びかけてきた。
「え、でもあまりここから離れるのは──」
「いいですよ、ハイアート君。ズエンカを湖まで連れて行ってください」
ヘベニッフの声がした方を振り返る。彼は髭の下にあっても分かるほどの笑みを口元に浮かべていた。
「いいんですか、ヘベニッフさん」
「もちろんです。できる限りは、ズエンカのしたいようにさせてください──彼女の両親が亡くなる前は、あのように元気で、色々なことに意欲的な子でした。彼女が以前の姿を取り戻せて嬉しく思いますし、それもこれもハイアート君、君のおかげだと本当に感謝しているのです」
ぼくは面映さを感じて、頭をかいた。彼女のために特別何かをしたわけではないが──苦しむ彼女を救えず、救世主って何なんだとほぞをかむ思いだったあの時が、遠い記憶になっていたことに今さらながら気がついた。
「ありがとうございます。じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。出発前には迎えに行きますので、時を気にせず存分に遊んできてください」
一歩早く駆け出したズエンカの後ろを小走りで追いかけながら、振り返ってヘベニッフたちに手を振ると、彼は満面の笑顔で手を振り返して見送ってくれた。
街道を外れるとすぐ林にぶつかり、その木々の間を蛇行して進むとほどなく立木はまばらになって、かわりに緑のじゅうたんの面積が次第に増えていく。
やがて林が完全にひざ丈の草むらへと変わり視界が開けた時、湖面の青と花々の紅白に彩られた光景が目の前に広がった。
「すごーい! 遠くで見るよりずっときれい!」
ズエンカの声から興奮が伝わってきて、何だかぼくまでわくわくしてくる。駆け回ってうっかり危険な目に遭わないよう、彼女の手を握って湖のほとりへと共に向かった。
花を近くで見ると、紅いのはレンゲ草、白いのはシロツメグサに似ているが、どこか違うような気がする。地球にはない花なのかもしれない。
「可愛いお花。匂いはどうなのかな」
ズエンカが花弁に顔を近づける。その時ブンと耳障りな羽音がして、小さな影が茂みから飛び出してきた。
「きゃあ! ハチが!」
反射的にのけ反って、ズエンカは尻もちをついた。ハチは彼女の頭上をうるさく飛び回って、威嚇しているように見える。
ぼくはギャーギャー騒ぎ立てるズエンカを暴れないように懐に抱きとめると、さっと術式を編み上げた。ハチはぼくたちの眼前で見えない壁に当たって、何度かコツンと音を立てる。
「ハイアート!」
「大丈夫。一応防壁魔術を周りに張ったけど、ハチは巣の近くじゃなきゃまず刺して来ることはない。このままじっとして、行ってしまうのを待とう」
ズエンカは固まったように動かず、ただ心臓だけが激しく脈打つのが、彼女の身体を支えているぼくの左腕に伝わっていた。そのうちに羽の音が小さくなって、完全に消えてしまうと、少女は内臓がまろび出そうなため息をほーっとついた。
「あー、怖かったー……」
「大丈夫だよ。ハチは普段めったには刺さないって──」
「刺しても刺さなくても、虫は怖いの! ああ、また出てきたらどうしよう。もう帰ろうかな」
半べそをかき始めたズエンカに、ぼくは苦笑して、ゆっくりと頭をなでてやる。
「心配いらないって。せっかくこんな素敵な場所に来たのに、そんなに早く戻ったらもったいないよ──あ、そうだ。ズエンカはこれ、知ってるかな?」
シロツメグサもどきをいくらか摘み取り、紅い花も数本用意。茎を巻きつけながら白い花同士をつなげ、所々に紅い花を編み込んでいく。
久しぶりに作ったが、ちゃんと憶えていた。ぼくの例の幼なじみが、シロツメグサの群生している場所を見つける度に必ずといっていいほど作るので、それにつき合っているうちに作り方をマスターしてしまったのだ。
あいつも今ごろは大学生とかだろうが、シロツメグサがあったら普通に作ってそうだな……。
「よし、出来た」
興味深げにぼくの手元をまじまじと見つめていたズエンカの頭に、そっとそれを戴く。
「わぁ、お花の冠だ! きれいー」
「お姫様、よく似合っております。とても可愛いですぞ」
ご機嫌の直った少女ににっこりと微笑んで、かしこまったそぶりをする。彼女は頭上に載った花冠を見ようと、目線を上に向けながら左右に頭をひねっていた。
「……むー、見えなーい。あっハイアート、あれあれ! シャシン撮って!」
「はいはい」
背負い袋からスマートフォンを取り出して、おすましした姿を画面に収める。急かすズエンカにそれを手渡すと、彼女は頬を染めてじいっと画像に魅入った。
「すっごく、すっごく可愛い! ねぇハイアート、あたしにも作れるかな?」
「ああ、そんなに難しくないよ。教えてあげるから、作ってみようか」
「うん。やってみる」
「それじゃ、まず花を──とりあえず二十本ぐらいかな。できるだけ茎が長く取れるよう根元から摘み取ってきて」
ズエンカが周囲の草花を集め回るさまを、ぼくはあぐらをかいた姿勢でぼんやりと眺める。日本で暮らしていた頃は、何の取り柄も持たないまま日々を過ごしてきたと思っていたが──一応は十五年生きてきただけの知恵と業がそれなりにはあって、人に教えて喜んでもらえるような蓄積の一つや二つがあったりするものなんだな……。
きっと、どんな人間でも、どんな人生にも、生きているってだけで価値がある。
そしてきっと、その一つ一つを大切に思うことが世界を救うことにつながっている──
「集めてきたよー」
「わ、これは多すぎだ。二十本ぐらいって言ったでしょ」
「えっとね、何か、夢中になっちゃって」
割とありがちな事象だ。例の幼なじみも、ぼくが止めないと無心でシロツメクサを手折り続けるからな。
「まぁ、とにかく始めよう。まず二本取って、花の首元でこう巻きつけて──」
ゆっくり手順を説明してやると、彼女は四回目からは自分で編めるようになっていった。最後に端と端のつなげ方を教わって、初めてにしてはきちんとした紅白の花の輪を作り上げた。
「ハイアート、ちょっと屈んで? 載せてあげる」
一応、頭を下げて戴冠式をしてもらう。が、目算したとおり、ぼくの頭には小さくてはまらない。
「あれー……おかしいな、大きさ合ってると思ったのに」
「いや、ほら。頭にはかぶれないけど、こうやって腕輪にしたら──」
ぼくの手首にはぶかぶかだった。
「もう! いいよ、ほどいて作り直すから! 返して!」
「ちょっ、待って。せっかくきれいに出来てるんだから、別に壊さなくても──うわっ」
高く上げた腕に飛びつかれて、ぼくはズエンカと共に花畑の中に倒れ込んだ。
至近距離でぼくと目が合った彼女は、顔の周りに火精霊を引き寄せながら、ふてくされたような表情でぷいと横を向いた。
「……ダメだったのに、何で返してくれないの」
「ズエンカが初めて作って、ぼくにくれたものだ。失敗作だからってそんなことをしたら、もったいないよ」
「…………じゃあ、いいけど。ハイアートって、本当に変な人」
小さく息をついて、ズエンカは倒れたぼくの隣にゴロリと転がった。火の精霊は、未だに彼女の頬の周辺でフワフワとしている。
やわらかな風が二度吹く間、沈黙が二人の間に流れた。その静かさを破ったのは、ズエンカの方だった。
「……ねぇ、ハイアート……ハイアートには、お嫁さんっているの?」




