第一章(十五)「野に響き渡る慟哭を上げた」
「え? いきなり変なコト訊くねぇ……そんな人がいたなら、旅には出てないよ」
「そっか。そうだよね、だって変な人なんだもの。きっとこの先も、結婚なんかできないに決まってるんだから」
何かすごく失礼なことを言われてるんですが。泣いていいですか。
「……まぁ、そう、かもしれないけど──」
「だからね? ハイアートには、あたしがオトナになってもお嫁さんになってくれる人なんかいないだろーから、そしたら、あたしがなって……あげても、いい、よ……」
再び、しばしの沈黙が訪れる。
いや、いやいやいや。
気持ちはありがたいけど、哀れみで結婚されても困る。
「あ、あのなズエンカ。その……仮にそうだとしてもさ、君がオトナになる頃にはさ、こっちはいい歳したオッサンになってるんだから、君からはそういう対象にはならないと──」
子どもの戯言を上手にスルーできない自分が、実にみっともない。
それより何より、ズエンカに下手に反論するともっと面倒なことを言い返されるからすべきじゃないのだが、下手な反論をしたなと気づくのはいつも言ってしまってからだ。
反撃を想定して身構えていたが、彼女が何も言ってこないので、逆に少し心配になってきた。
首をもたげて、そちらを見やる。
──彼女は、いつの間にかまぶたを閉じて、かすかな寝息を立てていた。
ずいぶん急なご就寝だが、春も半ばに差しかかって、いい陽気になってきたから仕方ないのかな。
ゆっくり寝かせてあげようと思ったが──困ったことに、ぼくにもいきなり強烈な睡魔が襲いかかってきた。
ダメだ。麻酔でもかけられたみたいに、眠気に抗えない。
まぁ、少しぐらい寝てしまっても、大丈夫だろう……。
後で……ヘベニッフが……迎えに、来てくれるはず、だから……。
バチっと音がしそうなほどに、勢いよく目を開いた。
「あっ……」
思わず嘆息がもれた。空はすでに日が傾いて、赤く染まりかけていた。
明らかに、隊商が出発しなければいけない時間を大きく過ぎている。
ヘベニッフがぼくたちを呼び戻しに来なかった?
しかし、彼がぼくらを置いて行ってしまったとは考えにくい。一体、何があったのか──
悪い予感が頭をもたげてくる。速やかに、隊商に戻らなければ。
「ズエンカ、ズエンカ。起きて、早く戻らないと」
揺すって目を醒まさせ、まだボンヤリとしているズエンカを、無理に立たせて手を引く。少女はよたよたと足取りがおぼつかないので、最後にはお姫様抱っこで先を急いだ。
林を走り抜けて、ヘベニッフ隊商の休憩場所である、街道脇の原っぱに駆け込む。と──
そこには荷馬車だけで二十数台あるはずが、夕暮れの弱い日光に浮かんでいる影はわずか二台のみで、馬は一匹も見えなかった。
そして──その周辺には、いくつもの人影が、地面に身体を横たえている。
ズエンカを下ろして、ぼくは心臓が飛び出しそうな胸を押さえながら、おそるおそるその場に近づいていった。
最初に認識できたのは、商人のひとりであるベルザーグ氏だった。
仰向けに倒れていて──のどへの裂傷で、地面に大きな血だまりを作っていた。顔には生気がまったくなく、ぴくりとも動かない。
死んでいる。
その言葉が脳裏にひらめいた途端、さらに胸が苦しくなり、呼吸が激しく乱れた。
「……ベルザーグさん……オースさん、キブリズさん……!」
そこからさらに視界に入った二人の名を呼びながら、ぼくはよろよろと先へ進む。加えて五人の横臥した人物を発見し、そのいずれもが、のどや心臓といった急所を刃物でひと突きにされていた。
「マギタさん、コバーデさん、リドナンさん……そんな、一体、何で……!」
遺体の間をぬって、隊商の中心部へと向かう。
数える気も起きないほどの顔見知りの死のただ中で、ぼくは、背中をおびただしい紅の色に染めて倒れ伏すヘベニッフの姿に直面した。
他の者と同様に、すでに、事切れている。
「あ、ああ……あああああ!」
ぼくはひざをついて、戦慄し、野に響き渡る慟哭を上げた。
強盗に遭ったということは、一目瞭然だ。
そういう危険から、彼らを護らねばならなかったのは、他でもないこのぼくだったはずだ。
ぼくが──ヘベニッフたちを、死なせたのだ。
悲鳴を上げ続けながら、ぼくは後悔と、大切な人たちを失った悲しみに打ちひしがれて、地面に額をこすりつけるようにして屈み込んだ。
その時……地面からかすかにひづめを打つ音が響いてきて、ぼくの耳に伝わった。
そうだ。犯人が、まだこの辺りにいる可能性がある。
ぼくにはまだ──護らなければいけない者がいる。
弾かれたように上体を持ち上げ、ぼくはキョロキョロと首を振ってズエンカの姿を探した。
あっと、思わず声をもらした。
少女は、いつの間にかぼくのすぐ後ろにいた。顔からは血の気が引いて、ぎゅっと身を縮こませ、無言でカタカタと震えている。
「ズエンカ、みんなを殺した奴がまだ近くにいるかもしれない──そこに隠れるんだ」
ぼくは残された荷車の近くに転がる、空の樽を指して言った。しかしズエンカは、身がすくんでいるのか、愕然とした表情のまま動こうとしない。
「急いで! 大丈夫、君だけはぼくが、必ず護る」
背中を押してやると、ようやく彼女はふらふらと歩き出して、足から樽の中に身をすべらせた。
「ここで、じっとしているんだ。心配いらないよ、ぼくは……誰にも負けないから」
不安げなズエンカの顔を隠すように、ぼくは樽のふたを閉じる。
ひざを叩いて立ち上がる時には、かすかだった馬の足音が徐々に近づいてきているのが、はっきりと聴こえていた。
戦う覚悟はできている。
歯をぎりぎりと食いしばり、身の内に魔力をたぎらせて、ぼくは伸びている街道の先をにらみつけた。
間もなく、三頭の馬の影が赤光の中に浮かび上がったが、同時にぼくの目に映ったのは──黄と黒に彩られた帯のはためく様だった。
そして白銀の鎧と軍衣に身を包んだその騎手の姿は、ここに来るまでの数々の集落でさんざん遭遇してきた、エリンズ騎士団のものだったのだ。
「こ、これは! 何とむごいことを……おい、そこな御仁!」
時代小説に出てくるような古めかしいダーン・ガロデ語で、先頭の騎士が叫んだ。その騎士は他の者と違い、左肩だけが分厚くふくらんでいる板金鎧をつけていた。左手で手綱を持ち、もう一方の手中には、柄は短いが幅広の刃を持つまさかりが握られている。ぼくは相手の右手の動きへの警戒を緩めることなく、ゆっくりと歩み寄った。
「待て、そこで止まるでござる。ぬしには、この者らを殺害した疑いがある故、取り調べる必要がござる!」
騎士は、まさかりをまっすぐにぼくの顔に向けて構えつつ、威嚇するようなどら声を張り上げる。ぼくはあわててかぶりを振った。
「違う、ぼくじゃない。ぼくは、この隊商の仲間で──!」
「話は王都で訊かせてもらうでござる。一等騎官殿、この者に縄を打ち、後ろに乗せて行け。二等騎官殿はそこの荷台にご遺体を乗せて、馬をつなげて牽いてくるのだ」
マランで似たような処遇を受けた記憶があるが、かつてオド老師がそうしたように、今回も下手な抵抗は避けるべきだろう。ぼくは表情を曇らせながらも、諸手を肩の高さまで上げて無抵抗の意思を示すと、後ろ手に縄の縛めを受けた。
ズエンカをどうしようかと考えたが──騎士たちに捕まってどうなるか分からないよりは、隠したままにして後で助けに来る方が安全かもしれない……ぼく一人なら何とでも危機を脱しようがあるが、彼女を伴ってでは、その自信がない。
ぼくは馬の尻に荷物のように積み上げられ、先に駆け出したござる騎士の馬を追って、ぼくを乗せた馬は駈歩で街道を走り始めた。




