第一章(十三)「子どもの無邪気さって怖い」
商いを早じまいして、逃げるようにテピンを後にしてから数週間が過ぎた。
その間もヘベニッフ隊商は草原を抜け、荒野を進み、多くの村を訪れた。そして春の訪れを待ってから国境の山を越えて、ぼくたちはダーン・ガロデ北部最大の国、エリンズ騎士王国へと入国した。
三日ほど前に、主に酒類を取り扱う商人のリドナンがうっかり馬を逃がしてしまい、今のぼくの主な仕事は彼の馬の代わりに荷馬車を引くことだった。魔術で酒樽を満載した荷車を牽引するぼくの隣にはずっと、ズエンカが座っていた。
特段何かを話すということもなく、空が青いねーとか、今朝は結構冷えるねーとか、他愛のないことしか言葉を交わさないのに、彼女はぼくの側を離れようとしなかった。
ただある時、リドナンがぼくたちを「夫婦みたいだな」と揶揄したことがあって、その時だけは今までの寡黙さがウソのように、
「そっ、そんなわけないでしょ! 何であたしが、ハイアートと結婚なんてするの!」
とズエンカに全力否定された。
そりゃあ、ぼくも七歳児(地球時間)と結婚したいとは思わないし、彼女が大人になったならと考えたこともないが──そこまでキッパリと言い切られるのは、正直へこむ。
この年頃の娘さんというのは、一番身近な男性……大抵は父親に「お嫁さんになる」とか言い出すのが定番なんじゃないのか。
ますますへこみそうで、ぼくはそれ以上考えるのをやめた。仮にそう言ってたとしても大人になれば忘れてしまうことだし、それ以前にサン=サンリで彼女の親族が見つかればそれまでの関係なのだ──
商人たちの隊列はいくつかの丘を越えて、最も国境に近い村であるアブホルトに到着した。
村の入口の木組みの簡素なゲートは小さな集落にはよくある感じだが、その前に立つ人物は、非常に珍しい。
全身をピカピカの板金の鎧かぶとに包み、斧槍を携えた騎士だったのだ。鎧の上には身体の前後に黄と黒に彩られた布を垂らしただけの軍衣を着け、斧槍の刃の根元にも同じ色合いの帯が巻きついていた。
「……隊商か。面倒をかけて申し訳ないが、荷と持ち物をすべて改めさせてもらうぞ」
「は、それはまったく構いませんが……ギルド証だけではダメなのですか」
ヘベニッフが難色を示すと、騎士はかぶとの隙間からわずかに見える顔を曇らせて、首を横に振った。
「現在、エリンズ国内に大盗賊団が潜伏しているため警戒を強化している。何とぞご協力願いたい」
「それでは仕方ありませんな。存分にお調べください」
騎士はひとつうなずいて、高らかに口笛を吹き鳴らした。間もなく村の門の奥から同様の装いをした騎士が出てきて、先頭の荷車から幌の中や荷台の下をのぞき込んだり、商人の背負ったザックを開けさせたりし始めた。門の前に立っていた方の騎士はそのまま門の番をしながら、隊商全体をじっと見張っている。
「よし、次はおまえの貨物だ。どこにある?」
「あ、ぼくは商人ではなく、隊商に護衛として雇われた者です」
指を差して問われ、ぼくは手を左右に振って答えた。騎士の眉根がいぶかしげにひそまる。
「護衛? 鎧も着けず丸腰のおまえが護衛だと? 意味が分からんな」
「ぼくは、魔術師です。精霊術も使えます。槍や戦槌を持った兵士の何倍も強いですよ」
少しいらつきながら言うと、騎士はバカを見るような目つきを向けた。ウソつきか変人とでも思われたのだろう。
「魔術師が、隊商の護衛を? ますます意味が分からん。ここの商人は王宮御用達の商品を運んでいるとでもいうのか? さもなくば行商の稼ぎで魔術師を雇い入れるなど──」
だんだん面倒くさくなってきた。
「高給をもらってはいません。ごく一般的な護衛の報酬で雇っていただいてます」
「……魔術師なのに、なぜ、そんなことを──いやはや、おまえが盗賊だとしてもそんなトンチンカンなウソはつくまい。ともかく、手荷物の検査はやらせてもらうぞ」
騎士の頭の中ではウソつきではない、つまり変人の方に確定したようだ。ぼくはふーっとため息をついて、背負い袋を肩から外した。
「もう勘弁してほしいですよ。何なんですか、あの騎士連中のしつこさは」
いらだちまぎれに酒の入ったマグの底をテーブルにドンと音を立ててぶつけ、右隣の席に座るヘベニッフの苦笑を買った。
あれから背負い袋の中身を丹念に調べられ、小袋から出てきたモンダード貨についてまた長々と尋問されたので、解放される頃にはすっかりくたびれてしまった。ぼくだけでなく、同様の取り調べを受けたヘベニッフをはじめとする商人たちもうんざりしていた様子だった。
「まぁ、大盗賊団とやらが取っ捕まるまでこの調子なのでしょうな。ルギオーの時といい、実に迷惑な連中です」
言ってから、ヘベニッフは少し寂しそうな表情を見せた。当時を振り返ると、共にオド老師のことも思い出されてしまうのだろう。
オド老師が亡くなった話は、イダラバで再会して一番最初に伝えたことだった。その時ヘベニッフは「残念です。ゴンズロロ殿がゲイバムの重鎮であったことを後になって知り驚きましたが、願わくばまたひと度まみえ、語り合いたかったものです。魂の旅路に幸あらんことを祈ります」とだけ語り、それ以降はオド老師のことをぼくと話すことはなかった。きっと、オド老師の死についてはぼくの方がつらいだろうと、配慮してくれているのだ。
「それにしても、こんな小さな村に騎士がいるなんて思ってもみませんでした。それも大盗賊団のせいなんでしょうか」
「いえハイアート君、エリンズ騎士王国はすべての集落に駐在所を設けて、騎士を最低二名、二週間交代で常駐させているのです──なので、この先王都までにいくつかの街や村落をたどりますが、おそらくはその度に駐在の騎士たちに今回のような厳重警戒の取り調べを受けることとなりましょうなぁ……」
ヘベニッフが遠い目をしながらつぶやき、ぼくを含めた周囲の隊員たちがうえーっと嘆きの声を上げた。
「大トーゾクダンか何だか知らないけど、迷惑な人たちはみんな、ハイアートがやっつけたらいいんだよ! ハイアートはぁ、すごく、強いんだからぁ……」
急に、左隣に座っているズエンカが物騒なことを言い出したので、ぼくはドキリとした。
「こら! そんな乱暴なことを言っちゃ──あれ、ズエンカ?」
よくよく見ると、ズエンカは頭をふらつかせ、顔全体を真っ赤にしていた。目が座っており、焦点が合っていないように見える。
「あ、あの──まさか、誰かズエンカに酒を飲ませました?」
「いや、俺らはそんなこと──というか、その子の飲み物はハイアートがあげてただろう」
確かに、この食堂の店員に甘い飲み物はないか訊ねて、ボメイタとかいう聞いたことのない果実の搾り汁しかないというのでそれを与えたのだが……。
「ちょ、ちょっと店員さん。ボメイタの搾り汁って──」
ぼくに呼び止められた店員は、隣の少女をちらりと見て驚いた様子を見せた。
「あれっ、子どもにそれを飲ませたんですか? ボメイタの実は完熟すると内部で自然に発酵して、強いものではないですが果汁がお酒のようになっていまして──」
それを先に言ってくれ。
「すみません! 部屋で寝かせてきますので、失礼します!」
ぼくはあわててズエンカを抱きかかえると、ヘベニッフに一礼してから食堂を飛び出した。彼女は激しく首を横に振りながら、ぼくの背中をペチペチと叩いてくる。
「やだー、抱っこ赤ちゃんみたいでやだー! おんぶがいいー!」
「分かった、分かったから、そんなに暴れないでくれ」
そんなに変わらんだろ、とは言わず、ぼくはズエンカを一旦下ろして背中を向けた。少女はピョンと飛び乗って首根っこにしがみつくと、首すじにアルコールで熱くなった頬を押しつけてきた。
「ごめん、ズエンカ。よく確かめなかったぼくのせいだ」
「ううん、あたしは平気ー。……あのねハイアート、あたしもね、ごめんなさいってしたいの」
「え。何を?」
「……村に来ても、お部屋とか、ずっとあたしと一緒でしょ? それで、ごめんなさいなの」
ズエンカは、自分がぼくの自由を縛りつけていると思っているのか──本当に、子どものくせに可愛くない考え方をする奴だ。
「ぼくは、ズエンカと一緒でイヤだと思ったことはないよ。そんな心配はしなくていい」
「……でも、でもみんな、オトナの女の人とイイコトしたいんだよね? ハイアートもそうじゃないの?」
危うく、背負ったズエンカごとすっ転びそうになった。一体誰が彼女にそんな話をしたんだ。
「ハイアート、あぶなーい」
「ご、ごめん。ちょーっとばかり衝撃的だったんで。──まぁその、ぼくはそうでもないよ。ズエンカの方が、ずっと大事だ」
十歩ほど歩く間、ズエンカは黙っていた。首元にしがみつく力が、少しだけきゅっと強くなった。
「……ありがとう。だったらさぁ、あたしがオトナになったら、あたしとイイコトしよー?」
理にかなっている。
かなってはいるが、非常に返答に窮する提案だ。子どもの無邪気さって怖い。
「──はは、君がオトナになるまで、憶えてたらねー……」
結局、ぼくはにこやかな笑顔でそのように答えた。万が一ズエンカが大人になるまでぼくと一緒だったとして、億が一このことを憶えていたとしても、意味が分かる歳になればその「イイコト」をぼくとしようなどとは思わないだろう──




