第一章(十二)「今はまだ虚勢でしかない」
翌日、ヘベニッフ隊商一同は早朝からテピンの中央市場へと出向き、街の商人と卸しと買いつけの両方で盛んに商談を行なっていた。
ぼくはいつもどおり商人たちの警護のために現場を訪れていたが、警護と言っても何か事件があった時に駆けつけられるよう市場内をぶらついていればよいとヘベニッフに言われていたため、ぼくはズエンカを連れてこの世界では珍しい古着の店をのぞきに来ていた。
服はボロになるまで着倒した後、ハギレとして他の服の修繕に使ったり雑巾にするのが普通で、古着をリサイクルするような文化はない。
しかし、子どもの服は別だ。ボロボロになる前にサイズが合わなくなってしまうからだ。大抵は他のまだ着られる子に譲ってしまうものらしいが、そう都合よく譲る相手がいるとも限らないので、そこに目をつけた商人が主に子ども服の買取販売を始めたというわけだ。今では少しずつ大人用の服も扱い始めたというが、今回はズエンカの服が目当てだ。
「どう、ハイアート。似合う?」
ズエンカはくるくる回って、ドレープのたくさん入った毛織の豪華なスカートがふわふわと広がるのを喜んでいた。
ある王族の家から仕入れてきたというこの店の目玉商品だが、値段も目玉が飛び出るような代物なので、試着だけで欲しくなっても買わないと事前に約束させている。まぁ、本当は虎の子のモンダード貨を持ち出せば十分に買えるのだが、過ぎた贅沢は青少年教育上よろしくない。
「うん。とても可愛いよ」
「ホント? ホントに可愛い? あたしも見たいなぁ……大っきな鏡があれば見られるのに」
はにかみながらも、ズエンカは残念そうにつぶやく。
「──あ、そうだ! 今のズエンカの姿を、ぼくが魔術で見せてあげるよ」
「え、そんなことできるの? 見たい見たい!」
「ふふっ。じゃあズエンカ、そこで少しじっとしててね」
ぼくはザックから、薄べったい魔法の板──スマートフォンを取り出し、言われたとおり動かずに立っている彼女にレンズを向けてシャッターを切った。
「はい、できたよ。見てごらん」
ズエンカの眼前にスマートフォンの画面を向けてみせると、少女ははっと驚き、顔を紅潮させてそれに魅入った。
「えっ何、可愛い、でもすごい、鏡みたい、だけど違う、どうなってるの?」
「これはね、鏡のように映したら、その映したままを絵画みたいにして取って置ける魔術なんだ。こうしておけば、今の可愛いズエンカがいつでもどこでもずっと見られるってわけさ」
「そうなんだ……ねぇ、これヘベニッフさんたちにも見せてきていい?」
ようやく画面から目線を上げたズエンカが瞳をキラキラさせて訊いてきて、ぼくは笑顔でうなずいた。
その後庶民的かつリーズナブルな古着を数点買ってから、ぼくたちはヘベニッフの元に戻った。彼の周囲には市場で方々に分かれて商いをしていた商人たちがほぼ戻ってきており、雑談に興じている。
「ヘベニッフさん! これ見て、すっごく可愛いの! 着せてもらったの!」
話の腰を折るかもとか、そういう空気をみじんにも読まずにズエンカは大人たちの輪の中に突っ込んでいった。彼女の持つスマートフォンの画像に、ヘベニッフらも目を丸くしていた。
「な、何ですかな、これは?」
「先ほど、そこの古着屋で試着をさせていただいたので、その時の彼女の似姿を写し取ったものです。どうです、可愛くないですか?」
「いや、可愛いですが……これはまた、素晴らしい魔術ですな。こんなにも本物のような絵は見たことがありません」
「ハイアートね、これをね、ひと呼吸する間に描いたの! あたし、びっくりしちゃった」
ズエンカが小さく飛び跳ねてはしゃぎながら言い、ヘベニッフをさらに仰天させた。
「それはそれは、ますます興味深い。ハイアート君、差し支えなければ──私どもにもやってみせてくださいませんか。ウソを言う子ではないですし、魔術となれば不可能でもないことなのでしょうが、やはりにわかには信じがたいですからな」
「お安いご用です。では皆さん、こちらに集まってください」
指し示した場所に、商人たちとズエンカがぎゅうぎゅうに集まる。スマートフォンのレンズを差し向けてシャッターを切り、ディスプレイににぎやかな集合写真が映し出された。
「おお、あの一瞬の間に、本当に出来上がったぞ。スゲェなぁ……」
「ホラここ、ここに俺も入ってる! 俺にそっくりだ!」
画面の周囲に額を集め、商人たちが口々に歓声を上げた。しかし、ヘベニッフだけは少しつまらなそうな表情をしている。
「……どうかしましたか、ヘベニッフさん?」
「いえ、大変結構なものですな。ですが──せっかく皆さんと一緒に写していただいたのに、ここにハイアート君本人が入れないのが、とても残念だと思いまして」
彼のこういう言葉を聞くと、なぜヘベニッフが人望に厚いのか理解できる。
「あ、いや、できますよ。ではぼくも入って、もう一回写しましょう」
「そうですか! ならばぜひ、お願いします」
目を細めて喜んでくれることが、本当にありがたい。一同に再び並んでもらい、カメラのフレームに全員が入るように位置を決めてから、魔術式を描いてスマートフォンを空中に固定した。
タイマーをセットして、ヘベニッフの隣に入る。数秒後、カシャっとシャッターが切れる音が聞こえた。
「うん。きれいに撮れましたよ、ちゃんとぼくも──」
スマートフォンを回収し、画像が保存されているのを確認しながら発した言葉が、ガチャンという破壊音で不意に遮られた。
食器を扱う商店の売り物が、地面に落ちて割れた音のようだった。市場内はひどくざわつき、商人たちが左右に分かれて逃げ惑う。そのど真ん中を、棍棒や槍で武装した十人は下らない集団が、辺りを威嚇しながらこちらに向かってきていた。
先頭近くにいる三人は記憶に新しい顔だったので、ぼくは口をへの字に曲げて、鼻から長い吐息をもらした。
「ハイアート君、あの連中は──」
「すみません、昨日ひと悶着ありまして。ズエンカを後ろに遠ざけてください」
ヘベニッフが少女を陰に隠しながら奥へ下がるのを見届けてから、ぼくはならず者たちの前へと一歩踏み出した。
「兄貴、あいつが例の魔術師です。お願いします」
「おう。魔術師だろうが何だろうが、俺らにかかればひとひねりよ」
集団から、ずいと二人の男が臆することなく進み出た。
二人とも、手には何の武器も持っていない。
素手で戦うつもりなのか。
いや、連中の袖の近くに漂っている、精霊が妙な動きを見せている──
精霊術だ。
悟った瞬間、右の男がさっと手のひらを向けて、そこから高熱の閃きがほとばしった。
一瞬出遅れたが、十分に間に合う速さで右手を突き出して、水精霊力を放つ。
バシュッと音を立てて、すぐ手前で精霊術が相殺された。
「今だ、くらえ!」
左の男が手の先から、周囲の水蒸気を凍らせてキラキラと輝く、冷気のビームを走らせる。
火精霊術を相殺で防がれたなら、その隙を狙って水精霊術で討つ魂胆か。このタイミングでは避けられないし、何より流れ弾が他の人に当たることを考えれば避けるという選択はない。
普通は防御不可能な、必殺の連係だが──
バシュッ。
左からの氷結弾は、ぼくの左手に宿した火精霊力であっさり食い止められた。
ぼく以外の、その場にいたすべての人間が、一瞬何が起こったのか分からないといった風に唖然とした。
「……えっ。いや、ありえない──火と水の精霊術を両方、しかも同時に──?」
「バカな、相対精霊を共に操るなど、できるはずが……くそっ、もう一度だ!」
何度やっても無駄だ。
今度は二人が一斉に精霊術を撃ってくるが、ぼくはカウンターで火水の精霊術を、少し強めに打ちつけた。
術の威力を押し返し、炎と冷気がそれぞれに彼らの頰をかすめる。二人の精霊術師はぴったり合わせたように、やけどを負った顔を諸手で覆い、もんどりを打って倒れ伏した。
「あ、兄貴がやられた! 何だあいつ……バケモノか!」
「び、ビビってんじゃねぇ! 相手はたった一人だ、全員でかかれ!」
怒号と共に、十数人のごろつきたちが武器を構えて殺到してきた。
炎や電撃や、あるいは数発の魔力弾で全員を仕留めるのはたやすい──が、そうすれば確実に数人、あるいは全員が、死んでしまうだろう。
殺そうとして襲ってくる相手に対して甘い考えかもしれないが、それはしたくない──
ぼくは右手に水と土の精霊力を練り合わせると、身をかがめてポンと地面を軽く叩いた。
地表に放射状に走らせた精霊力が土を変成し、瞬く間に連中の足下が泥沼と化した。
全員が悲鳴を上げながら胸の高さまで勢いよく泥中にすべり込む、その瞬間にぼくは再び地面をポンと叩いて、元の固い土に戻した。
かくして、辺りには十数人分の手やら頭やらが草木のごとく土からニョキニョキと生え、犠牲者の阿鼻叫喚が響き渡るホラーな光景が広がった。命までは取らない手段を選んだとはいえ、地獄絵図のようなひどい有様に、鼻白む思いが隠せない。
「やりましたな、ハイアート君。さて、アレットさんとマギタさんはこの二人をふん縛るロープを持ってきて、ベルザーグさんはギルドに衛士を呼ぶように言ってきてください」
危機が去ったことを悟ってか、どこからともなく戻ってきたヘベニッフが早速てきぱきと指示を出して、事態の収拾に取りかかる。張りつめた気持ちを深いため息でほぐしながらその様子をぼうっと眺めていると、不意に袖口を引っぱられる感覚がして、ぼくは振り返った。
外衣の袖をつかみ、ズエンカが笑顔でぼくを見上げていた。
「ズエンカ、面倒ごとを呼び込んじゃってごめんね。怖くなかった?」
「ううん、怖くない。ハイアートは強いから」
確かに、ぼくは強いのだろう。愚連隊との二度の戦いでぼく自身もそれを実感した。
だが、いざ命のやり取りを必要とした時に、迷いなく人が殺せるかといえば──
もちろん、ズエンカやヘベニッフらを守るためならそれを辞さない心づもりはある。ただ、そんなことをして冷静でいられる自信はまったくない。
だから、彼女が頼りにしているぼくの「強さ」は本物の強さとは言えない。しかし──
「……そっか、じゃあぼくも安心だ。ぼくは世界最強の魔術師だからね」
ぼくの言葉も、笑顔も、今はまだ虚勢でしかない。けどいつかは、遠くない未来には、真実にしなければならない。
ぼくには、その責任がある。




