第一章(十一)「遅い」
「んふー! んふー!」
ズエンカは興奮のあまり、目を丸くほっぺたを赤くして、鼻息も荒くしながら肉塊にかぶりついていた。
ぼくたちは商店の並ぶ街並みをうろついていて、ふと店先の炭焼きグリルで焼かれている肉に目を惹かれた。一見するとただの豚肉の串焼きなのだが、その割にはずいぶんと値が張る。
ただのぼったくりかもしれないものの、それもまた一興と思って買ってみたが、結果はご覧のとおりだ。甘みがあって香ばしく、焼肉のタレか何かで味つけしたかのようだ。少なくとも、この世界に来てからは味わったことがない。
「嬢ちゃん、ウチのあぶり豚を食べるのは初めてかい。どうだ、超美味ぇだろう?」
グリルの奥から歩み寄ってきた髭面のゴツい店主が気さくに話しかけてきて、ズエンカは口の中をもごもごさせながらこくこくとうなずいた。
「高いから何かあるなとは思ってましたが、これは格別ですね。何か特別な調味料を使っているんですか?」
「そこは企業秘密……と言いたいところだが、そうそう真似できないだろうから特別に教えてやろう。実はこれを使ってるのさ」
店主はエプロンのポケットから、小さなガラスのビンを取り出してみせた。琥珀色の液体が、ビンの半分ほどを満たしている。
「それは……ハチミツ、ですか?」
「おお、若ぇのに物知りだな。これを水でのばしたものを肉に塗って焼いて、塗って焼いてを繰り返してあの風味を出すのさ」
「なるほど、値段も高くなるわけです」
「そう。入手困難なもので、どうしてもお高くなる。ウチは養蜂家にツテがあるおかげで何とか売れる値にできるんだが、やっぱりあぶり豚にこれだけ出せるってお大尽はそんなにいねぇ。味には超自信があんだけどよ……」
店主はしょぼくれた風に顔を伏せた。ぼくが読んできた文献に限れば、ダーン・ダイマにはサトウキビやてん菜といった砂糖の原料になる作物は存在しておらず、故にハチミツの強い甘味は諸国の特権階級を魅了してやまない。
そのためほとんどの養蜂場は権力者らに管理されていて、彼のようにコネでごく少量が取引されるか、地方の集落で野生のハチの巣から採取したものが細々と出回ることでしか一般市民の口に入る機会がなく、必然的に高価なものとならざるを得ない。
「でも、すっごく美味しいんだから、きっとみんな食べてくれるよ──ちょっとゼータクしたいって時に」
いつの間にか串についた肉を全部平らげてしまっていたズエンカが、満足げに微笑んで言った。
「嬢ちゃん、嬉しいこと言ってくれるねぇ。ちょっとゼータクしたい時のあぶり豚、か……結構いいんじゃねぇか、これを売り文句に──」
不意に、店主が何かに気づいて顔をこわばらせた。
彼の視線を追うと、通りから三人の男がこちらをにらみながら、よたよたと歩いてきていた。揃って木製の棍棒をベルトに引っかけて腰からぶら下げている。
「おうご主人、今日は客が来てんじゃないか。だったら今週の場所代、払えんだろ?」
先頭を歩いてきた小柄な男──と言っても、ぼく自身小柄な方なので身長はあまり変わらないのだが──が威嚇するような低音で問いかけてきたが、店主は首を横に振った。
「払えるほど超儲かっちゃいねぇし、つかおまえらに払うつもりは1ゾネリもねぇよ」
「あ? ふざけてんのか。こんなぼったくり値段で売ってて儲かってないわけないだろ。誰のおかげでここで商売できると思ってんだ」
「さあな。少なくともおまえのおかげでも、おまえらの親分のおかげでもねぇことだけは超確かだ」
「何だと? 貴様、少し痛い目に遭わないと自分の立場が分からんようだな」
このヤクザ映画のチンピラ役みたいな男たちは、ヘベニッフがテピンに増えてると言っていた噂のならず者たちのようだ。どこの世界でも、徒党を組んだ悪人のやることはあまり変わらないらしい。
「ズエンカ。これあげるから、ちょっと店の奥の方へ行っててくれるかい」
ぼくは剣呑になりつつある空気に青ざめるズエンカに自分の串焼きを持たせると、店主とチンピラたちの間に割って入った。
「な。何だ、おまえ──」
「いい加減にしないか。せっかくの美味い肉が、あんたらのせいで台無しだ」
「ああ? 邪魔すんなら、貴様からぶん殴るぞ!」
覚悟はしていたが、いざ恐喝が自分自身に向くと、胃袋がぶるっと震えた。正直な話、とても怖い。
だがぼくには、目の前の蛮行を止める責任がある。
「そいつは勘弁してほしいな。ぼくは平和的解決を望むのでね──それでも暴力に訴えようとするなら、後悔することになるよ」
「なめるなよ、この野郎!」
男が右腕を振りかぶり、ぼくは目をぱちくりとさせた。
遅い。
迫るこぶしの速さが、八割程度の力で武術の修業につき合ってくれていたアーエン師匠の五割ぐらいに見える。
自分でも驚くほど、なめらかに身体が動いた。
右手で相手の右腕を内側から制しながら、股の間へと右足を強く踏み入れる。
同時に全身を左へ半回転させて、右肩と背中の間の部分を男の胸部へと打ち込んだ。
アーエン師匠に打ち込んでも一、二歩後ずさりさせられる程度だったので、ひるませるつもりで放った体当たりだったが──男は二メートルぐらい離れて後ろに立っていた二人の仲間と、仲良く仰向けに転がっていた。
「おほっ。いいぞ兄ちゃん、全員ブチのめしてやれ」
店主が拍手をしながら口の周りの髭をもぞりと動かして笑ったので、ぼくはさも自信あり気に胸を張った。
「ど、どうだ! ぼくの方が強いことが分かったはずだ、こんな争いでケガをしてもつまらないだろう? おとなしく──」
「くそったれ、殺してやる!」
忠告もみなまで聞かず、体当たりでのされた男以外のチンピラたちが、棍棒を振り上げて威勢よく吼えた──瞬間、掲げた棍棒が、彼らの手元付近でスパッと両断された。
「──そう来るなら、ぼくも本気を出すよ。ただ、ぼくは殺さない。これ以上歯向かわないなら、の話だけど」
両の手の先に魔力の刃を走らせる術式を浮かべたまま、ぼくは、努めて静かに言った。
「ひぃっ。ま、魔術だぁっ」
「ちくしょう、勝ったと思うなよ! 絶対に許さないからな!」
一人は一目散に逃げ去り、もう一人はぐったりした仲間を肩に担いでその後を追っていった。その背姿が遠くなるのを見送ると、ぼくは全身の力がスーっと抜けていくのを感じた。ぺたんと尻をついて、深くため息をつく。
「おおっ? 兄ちゃん、どうしたんでぇ」
「……腰が抜けてしまいました。すみません、荒事はその……苦手なんです」
店主の大きな手で腕を引っぱり上げられ、ぼくはふらふらと立ち上がって、もう一度ため息をついた。
「まぁ確かに、兄ちゃんに向いてるようには見えんわな。でも、助けてくれてありがとよ、あいつらのほえ面が見られて超気分よかったぜ」
店主がコートの肩当てをバンバン叩いてきて、それに愛想笑いで応える。と、ぼくの左脇に小さい影がちらついて、ぼくはハッとした。
「ズエンカ、大丈夫? 怖くなかったか──」
少女は平然とした顔でぶんぶんとかぶりを振った。よく見ると、右手に握っている串から豚肉がきれいさっぱり消えている。
案外図太いな、この子。
「しかし、だ。魔術師様ならいらぬ心配かもだが、あいつらメンツをつぶされることに対しては超しつこいからな……油断するなよ、兄ちゃん」
店主が真顔になって言ったことに対して、ぼくは不安げにうなずいた。




