第一章(九)「モンダード貨に違いない」
ここには隊商の出店の他に、地元の商店も便乗して露店を出しているようだ。ズエンカはその一角を眺めながらぶらぶらと歩き、ぼくはそのすぐ後ろをついていく。
「ズエンカ、何か欲しいものはないの?」
ぼくが問いかけても彼女はただ首を横に振るだけだったが、その目線が少し先の仕立屋らしい露店の店先に広げられた、厚手の亜麻の鮮やかな紅の色に釘づけになっているのは誰の目にも明らかだった。
「お嬢ちゃん、この布に興味があるのかい。お目が高いねぇ」
ついに傍らに立っていた女性店員に声をかけられて、ズエンカはおそるおそる、ぼくの顔を見上げてくる。
「いいよ、見てっても」
笑顔でそう言うと、ズエンカは弾かれたように店先へと突っかけ、ぼくは大股に歩いてその後を追った。少女は頬を赤らめ、目を近づけてじっくりと布を見つめている。
「きれいな赤だろう? ここいらは染物が名物でね、中でも赤の発色の良さで有名なのさ」
「そうですか。確かに──ズエンカ、聞いてる?」
たぶん、聞いてない。
ずっと一心不乱に、夕焼けのような布の色に目を奪われている。
「あっはっは、よっぽどのお気に入りだねぇ。ならこれでお嬢ちゃんの服を仕立ててあげようか? 三日もらえればできるけど」
「いえ、ぼくたちは隊商の一員で、今日の夕方にはここを発たないといけないので……」
「そっか。じゃあこの布で、今着ているその外套に襟をつけるってのはどうだい。それなら夕方までに間に合わせられるよ」
ズエンカが出し抜けに顔をもたげた。両の深緑の瞳の中で星がキラキラしている。
ダメだ。この物欲しそうな表情に、ぼくはまったく抵抗できそうにない。
「……それでお願いします。お代は引き取り時で?」
「悪いね、前金で半分を払ってもらってるんだ。生地代と仕立て料、お急ぎ代込みで銀貨六枚ってところかね。まず三枚頂戴するよ」
思ったよりは安い。ぼくは心の中で安堵しつつ、肩にかけていた背負い袋の口から中をのぞき込んだ。
ふと、その中に無造作に放り込んであった皮の小袋が目につく。
この袋は、イダラバの領主から余興の報酬としてもらったものだ。予定外の収入だったので特に手をつけずにいたが、ちょうどいい使い道ができた。
小袋に手を入れて、中から数枚を握り込んで取り出す──
ぼくはギョッと目を丸くした。
銀貨は、銀貨だが──この中心に浮き彫りにされた男の肖像が入った光沢のあるコインは、冶金技術の高いオラブ圏で流通しているという、モンダード貨に違いない。今居るこの地域で一般に通貨として使われているネベ銀貨よりはるかに銀の純度が高く、一枚でネベ貨の二十枚近い価値になるはずだ。そんな大層なものが、小袋の中に十枚ほど入っている。
うっかり普通の銀貨だと思い込んで油断してしまった。これは分不相応にもらい過ぎだ──だが今さら、イダラバに戻って突き返すわけにもいかない。
「お客さん? どうしたんだい」
「あ、いや! 何でもないです」
モンダード銀貨がこんな辺境の村で取引に使えるわけがない。ぼくはあわててそれをザックに突っ込んで、仕立屋に愛想笑いを返しながら、改めて自分の財布を手探りで探し始めた。
涸沼村の門をくぐり、ヘベニッフ隊商は再び旅路についた。
ぼくはヘベニッフの荷車の縁に座って、遠ざかる村の光景をしみじみと眺めていた。背後には大量に買いつけられた色とりどりの反物が積まれており、特産物を見逃さない彼の商魂を感じさせる。
薄褐色のコートの肩口を覆う、丸く真っ赤な襟が時折目の端にちらつく。隣に座ったズエンカは顔には出していないが、顔の周囲の風精霊の多さが、彼女が内心ゴキゲンであることを示唆していた。
「──その襟、気に入ってくれたかな」
笑顔を浮かべて、あえて訊いてみる。ズエンカは横目でぼくを見て、おもむろに、こくんとうなずいた。
「そう。これからは遠慮なく、欲しいものはぼくに言ってね。何でも望みどおりにしてあげられるわけじゃないけど、言うだけはタダだからさ」
「……ハイアートは?」
「え?」
「ハイアートは……欲しいもの、ないの?」
逆に聞き返されて、ぼくは自分の右側の耳たぶを触りながら、うーんとうなった。
「……ないなぁ。朝夕の食事と、安全に寝られる場所さえあれば、特に欲しいものは──強いて言うなら、『世界の平和』かな」
「世界の……平和?」
まるで意味が分からないといった風に、ズエンカは首を傾ぐ。ぼくはふふっと鼻で笑った。
「ここだけの話だよ。ぼくはね──この世界を救うために、すごく遠い所からやって来たんだ。だから最終的にはズエンカも隊商のみんなも、多くの街や国の人々も、もちろんぼく自身も幸せでいられる世の中が、ぼくの一番欲しいものなんだ」
「……ハイアートって、やっぱり、変……だけどやっぱり、キライじゃない……」
夕日が照らす赤々とした光の中で、少女は、嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
『……ハヤ君……起きて……』
あれ、この声……誰だったっけ……?
『早く……ハヤ君、早く起きて……』
なつかしい感じがするし、身近な感じもする。だけど思い出せない……。
『……早く起きないと……ブッ叩くよ!』
カーン、と木製の大さじがおデコを打つ高い音が響いた。
「ぁ痛────っ!」
叫び声を上げて、ぼくは跳ね起きた。テントの中は外からわずかに差す細い光だけで薄暗く、その光がほのかにぼくと、しかめ面で見下ろしてくるズエンカの姿を浮かび上がらせていた。
「やっと起きた。ハイアート、今日は日の出前に出発して、昼のうちにテピンまで行くって、忘れたの?」
「……あっ、ごめん。すぐ支度するよ」
忘れてたわけじゃないが、多少眠り過ぎてしまった……さっきまで何かの夢を見ていた気がするが、上手く思い出せない。それこそ本当に忘れてしまったようだ。
コートを羽織ってテントの外に出ると、風の冷たさに身がこわばる。ヘベニッフ隊商と旅に出てから半年近くが経ち、一年を通じて割と温暖なダーン・ガロデの地にも冬が近づいていた。
「ハイアート、早く朝ごはん食べちゃって。片づかないから」
縁いっぱいにまで麦粥が注がれた木のボウルを、ズエンカがぼくの手に押しつけるようにして渡してくる。急がせるくせに、今朝もいつもと同じように特盛りなのはどうかと思う。
「ズエンカ、朝食の用意をしてくれるのはありがたいんだけど──どうしていつも、こんなに量が多いのかな」
「……は、ハイアートが遅いから、鍋の残りを全部入れるから多くなっただけだもん。別にたくさん食べてもらおうとか思ってるわけじゃないもん」
怒ったように、ズエンカはぷいとよそを向いて言葉を荒げた。
そうか、ぼくが寝坊してばかりだからか──科白だけ見ると何だかツンデレっぽいが、ぼくに向けられた言葉だと思うと、ガチで怒られているだけにしか見えなくなるから不思議だ。
それはともかく、急いで食べないとまたあの子のご機嫌を損ねてしまう。ぼくはボウルを傾けて粥をかき込み、ゲップ混じりに「ごちそうさま」とつぶやいて器をズエンカに突き返した。
彼女は何も言わずひったくるようにして手に取り、洗い桶のある荷車へと向かうが、なぜか空のボウルを見つめて満足げに微笑んでいた。




