第一章(六)「お父さんとお母さんに会いたいの」
遠くで、何かの鳥の鳴き声らしい、ホイッスルに似た音がこだました。
澄んだ蒼天が三六〇度全ての方位を取り囲み、その下のはるかな地平線と山々の影が遠く霞んでいる。多くの人が行き交い、その足が、馬車の車輪が、踏みしめてできた自然の街道を、ぼくを乗せた荷車とその前後に長く伸びる商人たちの徒人や馬車の行列がたどっていく。
強い日差しにぬるむ風が、さわやかにぼくの頬をなでている。その風を受けて回転する風車が、カラカラと小さな音を立てていた。
その風車の持ち主は、ぼくの斜め前にちょこんと座っている、五、六歳ぐらいの年端もいかない少女だった。
無論、商人というわけではなく、徒党を組んでいる商人のうちの誰かの娘なんだろう。彼女はカラカラ回る風車をじっと見つめていて、風が弱まり回転がゆるむと、風の強い向きを探して回ることをずっと繰り返している。
そしてぼくが視界に入るたびに気になるのか、時折こちらの顔を何か言いたそうな表情で見据えてきて、それに気づいたぼくがふっと目を合わせようとすると、さっと目線を逸らしてまた風車で遊び始めるのだ。
お名前は何ていうの?
歳はいくつ?
その風車、よく回るね。君が作ったの?
話しかけるネタはいろいろ思いつくものの、実際に声をかけるには至らず、こんな小さい子にまで萎縮してしまう自分のコミュ下手加減には心底呆れ返ってしまう。あの少女も見るからに内気っぽいし、この両者の間の重苦しい空気はとても打破できそうにない。
そして実際夕闇が東の空から迫ってきて、野営し始める時まで、二人に交わされる言葉はひとつもなかった。
「さて、さて皆様方! 今夜は長めの逗留から再び旅立って初めての夜ということで、恒例の宴を行いますぞ。まずは今回の旅から新しく加わった者の紹介から!」
円座を組んだ二十人近い商人たちに、張りのある声でヘベニッフが呼びかける。商人たちの目は早くも、ヘベニッフの隣に立つぼくに集まっていた。
「このハイアート君は、何とスゴ腕の魔術師でありまして──護衛として我が隊商に加わりましたが、お困りごとは彼にご相談くだされば、何でも魔術で解決してくれますぞ!」
「何でもは言い過ぎですが……できる限りは善処しますので、よろしくお願いします」
左右にぺこぺこしながら、愛想笑いを振りまく。その時、左手のほど近い位置にあの少女が座っているのが目の端に引っかかった。
「……まじゅつ、し?」
ぽかんとした表情で、彼女がかすかにつぶやくのが聞こえた。高くて細くて、可愛らしい声だった。
「さあ、今夜は出逢いに感謝し、心ゆくまで呑み、食い、歌い踊りましょう! 乾杯!」
ヘベニッフの音頭で盃が高く掲げられ、和やかな雰囲気の中、宴が始まった。ぼくは瞬く間に周りを囲まれて、矢継ぎ早に話しかけられる状況を「ええ、まあ」と「そうですね」の二言だけで切り抜けていた。
やがておしゃべりに満足した商人たちが去っていき、周りが落ち着いてきてようやくほっと一息をついた、その時。
「──魔術師って、何ができるの?」
ぼくは視界の外からの少女の声にびくりとした。いつの間にかぼくの隣にちょこんとお座りしていて、こちらに顔も向けずに、彼女はそう訊いてきたのだ。
ぼくはちょっと考えてから、おもむろに手の中で光精霊力を操り、ふわっと光の球をふくらませた。こちらの手を、少女は目をまん丸にしながら凝視している。
ぼくは顔をほころばせつつ、術式を加えて光の塊を星型やネコの形に変化させていき、そのたびに彼女は心を奪われたように唖然としつつも、身を乗り出してそれらをじっと見つめていた。
そして最後に、光をネオンサインのような、文字の羅列へと変えた。
『お名前は?』
「……ズエンカ」
少し顔をうつむかせて、ぼそりとつぶやく。ぼくはさらに光精霊術を操作して、別の文字を表示させた。
『歳はいくつ?』
「……八歳。ねぇ、あたしお願いがあるの。聞いてくれる?」
「──いいとも。どんなことかな?」
ぼくは光のサインをかき消して、ズエンカと名乗った少女に大げさにうなずいてみせた。
「あのね……あたし、お父さんとお母さんに会いたいの。魔術を使ったら、できる?」
ぼくは怪訝な表情を浮かべた。ここにいる商人のうちの、誰かなのではないのか……?
「き、君のお父さんとお母さんって──」
「ズエンカの両親は亡くなったのです、ハイアート君」
いつの間にかぼくの側に来ていた、ヘベニッフが申し訳なさそうに言った。
「そう、なんですか……」
「あの子の両親は、ダーン・ガロデ南部サン=サンリ出身の旅商人でして、ネウリズ村で我々ヘベニッフ隊商と合流しました。しかし、六週間前ぐらいですが──運悪くこの地域特有の流行病にかかり、イダラバで息を引き取ったのです」
ヘベニッフの話を聞きながら横目でちらりとズエンカの方を見やると、彼女は暗く沈んだ表情で、ひざを抱えていた。
「私はズエンカを、商工ギルドの方で預かってもらおうと思っていたのですが──あの子は両親のような商人になりたいから、隊商について行きたいと申したのです。旅をすることは危険なことですが、得るものも多かろうと思い、引き受けました。今回は元々の予定もあり北部への旅路となっていますが……いつかあの子を連れてサン=サンリを訪れ、彼女の身寄りがいないか探そうと考えています」
ぼくはただ黙して、ヘベニッフが語る彼女の身の上話に耳を傾けていた。ズエンカの身に起こった不幸を思うと、暗たんたる気持ちになる。ぼくは短く吐息をもらすと、ゆっくりとズエンカの方に向き直った。
「ズエンカ。確かに魔術は使えるけど、ぼくは神様じゃない。この世からいなくなってしまった人と会わせることまではできないよ。ごめんね」
「……ううん、ダメだったらいいの。困ること言ってごめんなさい」
ズエンカは強く頭を左右に振って、悲しげに目を伏せた。その顔の周囲に水の精霊が濃厚に漂い、より一層、ぼくの胸の奥に痛みが募る。ここ最近、魔術で人の役に立つことができていたという自負と自信が、見るも無残にしぼんでしまった。
女の子ひとりの苦しみすら救えなくて、何が救世主だ──
歓迎の宴の夜から、二日と半分が過ぎた。
隊商の旅は雨が降っても風が吹いても先へ先へと進み続けたが、その間、ズエンカとは顔を突き合わせることもないままで、彼女のことがずっと心にへばりついて離れなかった。
何かできることはなかったのだろうか。
何か言ってやれる言葉はなかったのだろうか。
答えのない自問自答が、何周も頭の中を堂々巡りしている。
昨日の荒れた天気とは違い、空には目にしみるような青さが広がっていた。柔らかな風が進む道の後ろから絶え間なくそよいでいて、風車で遊ぶにはいい日だなと、ぼんやり考えていた。
「おおい、みんな! 止まってくれ!」
隊列の中央付近から大声がして、ぼくの乗る荷馬車がゆっくりと停止した。何かトラブルがあったのだろうか──ぼくは荷台から身を躍らせると、列の前方へと駆け込んだ。
発生した問題はすぐに分かった。誰かの馬車を牽いていたらしい、顔に斑点模様のある馬が、右側の腹を地面に着けて横たわっていた。
「どうしましたか」
「おお、魔術師さん。見てのとおりだよ。馬がモグラの穴につまづいたらしい──転び方が悪くて、右の前足が折れたみたいなんだ」
商人の一人が、馬を遠巻きに見ながらぼくの問いかけに答える。よく見ると、彼の背後から、心配そうに馬の様子をのそき込む小さい人影があった。
ズエンカだ。
「マギタ、持ってきたぞ」
「ああ、すまん。ちょっと借りるぞ」
その時、前の馬車の陰から別の商人が姿を現して、手に持っていたものを渡した。大木を伐る時などに使うような、大ぶりのまさかりだった。
「あ、あの。それ、どうするんですか」
ぼくがまさかりを指差して訊くと、商人は首を横に振りながら、苦々しくつぶやいた。
「……首をはねるのさ。足の骨を折った馬は、こうする他にない」




