第一章(四)「市場を盛り上げる『余興』をお願いしたい」
「領主様、デルヒズにございます。遅くなりまして申し訳ありません」
「おお、ちょうどよかった。入りたまえ」
がちゃりと開いた扉の隙間から部屋にすべり込んできたのは、袖口に術式を縫いつけた黒いコートを羽織っている四十歳を過ぎたぐらいの痩せた男だった。鋭い目つきでこちらを一瞥したのち、バンダ=ラバに向けて深く頭を垂れてから、ゆったりと大股に彼の元へと歩いていった。
「彼は、うちに仕えている魔術師で、名をデルヒズという。かつてはあのゲイバム王国の宮廷魔術師であったこともある実力者だ」
紹介を受けて、デルヒズは領主の隣で胸を張って立ち、またあのにらむような目でこちらを見据えてきた。
「……シラカー・ハイアートです。よろしくお願い申し上げます」
「さて、ハイアート君は旅をしているという話だが──どこまで行く予定なのかね」
ついに訊問が始まったようだ。バンダ=ラバの問いに、ぼくは頭を小さく横に振った。
「行くあてはありません。多くの国や都市や──そこに集う人々を見て、接して、世界というものを学びたいと考えています」
「そのような目的で旅に出るというのは、いささか理解がしがたいな。君が仕える主からそのような命を?」
「……ぼくは誰にも仕えてはいませんし、誰にもかしずくつもりはありません。自分自身の自由な意志で旅をしています」
「ほう! これは異なことをおっしゃる」
眉間をひそめて、デルヒズが感嘆混じりに言い放った。
「魔術を修めた者が国家や権力者に仕官も求めず、ぶらぶらと浮浪の旅とはもったいない。才能ある魔術師はどの国でも引く手あまたのはず、なぜ仕官しないことがありましょうや?」
「……誰かの下についてあれこれとこき使われたり、束縛されるのが性に合わないんです。一生安泰の宮仕えより、その日暮らしの気ままさを好んだ──ってところです」
これはウソだ。ぼくは極力中立的な立場で世界の姿を見定めるために、明日のメシにも困るような放浪者をあえて選んだ。それにいざ世界を救うという段になればゲイバム王国に助けを借りなければならないかもしれないし、それ以前にゲイバムも本当に与してよい国かを判断しておきたい。
「そう申しておいて、本当は素性を隠したいのではないか? 浮浪の身であると言うが、魔術を独学で学べるはずもない。ハイアート氏はどなたに師事されたのか?」
「オド老師です」
言ってから、これは話すべきことではなかったかもしれないと少し後悔した。デルヒズも、バンダ=ラバも、その名前に過剰な反応を見せたからだ。まあ、他に適当な名前を探して下手に言い澱むよりはマシか……。
「ふっ、ククク! 言うにことを欠いて、オド老師の名を出すとは、デタラメにもほどがある! ゲイバム王宮の宮廷魔術師長としてその名を轟かすオド・ゴンズロロが、貴様のようなどこの馬の骨とも分からぬ輩に魔術を学ばせるなど──大方答えに窮して、聞き覚えのある名前を出しただけなのであろう?」
「失礼な。確かに他に名のある魔術師のことは知りませんが、ぼくがオド老師に師事したのは事実です。ぼくのことは構いませんが、オド老師を侮辱するような物言いはやめてください」
「ほざけ、木っ端術師めが。領主様、こやつは市民の人心を惑わすペテン師ですぞ。即刻イダラバより退去を──」
「待て、デルヒズ」
バンダ=ラバの重々しい一言に遮られて、デルヒズは言葉を呑み込む。バンダ=ラバはふーっと息をついて、それからじろりと、ぼくの顔をねめつけた。
「──師がオド老師とは、何とも荒唐無稽に思えるが……それがウソだという確証もない。オド・ゴンズロロといえば、数年前に宮廷魔術師長の座を退いて以来、表舞台から姿を消していた。彼は一体、どこにいたのだ」
「ここより東の方、マラン王国の国境沿いにある山地の奥に、あばら家を構えて住んでおりました。偶然にそこを訪れたぼくは、オド老師に魔術の才能を見出されたのです」
「なるほど。それで今、オド老師は──」
「……亡くなりました。三週間ほど前に、肺の病で」
バンダ=ラバは黙して、ぼくの目に刺すような視線を向け続けていた。それから、うむと一言うなって、
「……デタラメにしては話が整然としているし、澱みもなく動揺も見えない。しかし──そうだな、オド老師が認めたという魔術の才能、私にそれを見せてくれるか」
「それでぼくが信じるに足ることの証明になるのであれば、喜んでご覧に入れましょう。ですが、具体的には何をすべきでしょうか」
「それなら、良い考えがある」
領主の顔に、不敵な薄笑いが戻ってくる。ぼくは緊張を崩さず、彼の一挙手一投足を注視していた。
「──三日後に、十週に一度の蚤の市が中央広場にて開かれる。イダラバの蚤の市は、様々な地域から数百の商人や大規模な隊商が集まる大々的な催しで、街全体がさながら祭りのような雰囲気に包まれるのだ。そこでハイアート君には、市場を盛り上げる『余興』をお願いしたい」
「余興……ですか?」
意表を突かれて、ぼくはきょとんとしながら訊き返した。ブラックな仕事を押しつけられないか警戒していたが──ここの領主様は、割といい人なのかもしれない。
「そう。市場に訪れた客や商人たちを楽しませる催しを、君の魔術で行なってほしい。結構大変な仕事になると思うが、君の魔術の腕前に期待している」
「あ、はい。そういう話でしたら、ぜひ協力させてください。いいお祭りにしましょう」
こわばった表情を緩ませて、ぼくは目を細めた。バンダ=ラバの傍らに立つ魔術師の未だに懐疑的な視線は気にかかるが、ぼくは早くも、日本の祭りでよく行われているイベントのいくつかを頭の中に巡らせていた。
蚤の市開催当日は、瞬く間にやってきた。
「ちょっと、ハイアートさん」
ここ最近の日課になっていた、宿の大量の洗濯物を乾かして上の階へ運ぶ作業の途中、背後からエンルバに声をかけられた。
「あ、エンルバさん。遅くなってすみません、すぐいつもの場所に置いておきますんで──」
「そうじゃなくて、もう蚤の市が始まってる頃だろうに、催しをやりに行かなくていいのかい?」
心配そうに眉をハの字にするエンルバに、ぼくはニヤリと笑ってみせた。
「ぼくの催し物は、陽が落ちてから始まるんです。エンルバさんも楽しみにしてください──この宿からはもちろん、街のどこからでも見られますから」
「街のどこからでも見られる……? まったく想像がつかないねえ! でも、魔術師様がそこまで自信をもってオススメするんだ、さぞかし面白いモンなんだろうさ」
市井の人々の、魔術師というものに対する信頼が過剰な気もするが──可能な限り応えられる魔術師でありたい。
腰に手を当てて屈託なく笑うエンルバに、ぼくは小さくうなずきを返した。




