第一章(三)「一応はお酒を飲んでもいい歳になったのか」
翌朝。
「──エンルバ! おまえまた、市場で何かしゃべったのか?」
「う、ううん。あたし何も言ってないよ?」
宿の居酒屋部分へと降りる前から、ソプレンたちの言い争う声が聞こえてきて、ぼくはあわてて駆け下りた。
「ソプレンさん、一体何が──うわ!」
ぼくは目を丸くする。早朝の酒場を埋め尽くすように、多くの人々が群れていた。
「あ、ハイアートさん! 今来ては危険──」
ソプレンが、ぼくの前に殺到する人波にのまれて消えた。ここからは見えないが、エンルバの悲鳴も人混みの中からかすかに聞こえてくる。
「ちょっと、皆さん! この騒ぎは一体何なんですか」
「魔術師に仕事を頼んだ屋敷の使用人にいくらかかったか聞いたら、大した額でなかったんで俺らも頼みたくて──」
「うちは倍出すから、すぐ来てくれないか!」
「頼む、こっちを先にしてくれ! 玄関から入れなくて、窓から出入りしなきゃいけないんだ!」
ぐいぐい詰め寄ってくる大衆で、宿屋の中が軽くパニック状態だ。
「待って、あの、落ち着いて──」
「──ごるああぁぁっ! いい加減にしろ、このデコ助ども! 一旦表へ出ろ!」
ドンと床を鳴らし、ホウキを携えたエンルバが一喝した。一瞬の緊張ののち、弾かれたように集団が宿屋の外へと一斉になだれ出る。
「あー……び、びっくりしたぁ……」
その恐ろしい剣幕に、ぼくまでそれに混じって飛び出してきてしまった。ぼくの傍らには戦々恐々とした表情のソプレン氏までいる。
「まったく、もう! あんたが魔術の業を安売りするから、大変なことになっちまったじゃないか。どうすんのさ」
宿の戸口に立ち、エンルバが苦言を投げかけてくる。ぼくは大きく息をついて、苦く笑った。
「そうですね。ぼくにも生活がありますから、お代をいただいてますけど──本当はタダでも、できる限り困っている人を助けたいんです。すみません、皆さん! とりあえず順番に話を聞きますんで、往来のじゃまにならないよう、道沿いに並んでいただけますか!」
ぼくは人だかりに呼びかけ、ソプレンも宿屋の前にできた行列を整え始める。
「呆れたわ。本気で全員、面倒見てやろうってのかい。……本当に、変わった人だねぇ」
その様子をじっと眺めていたエンルバが、ふんと鼻で笑った。
その騒動から三日目の夕方。
連日のハードワークでゾンビのような足取りになりつつ、ぼくは宿屋の扉をくぐった。
「ハイアートさん、お疲れ様。今日は何軒回ったのさ」
「……十二軒。さすがに、ちょっと疲れた……」
酒場のテーブルについて、ぐったりとする。ねぎらうように、エンルバが外衣の肩当てをポンと軽く叩いた。
「がんばったねえ。よし、あたしがおごってやっからさ、一杯やってきなよ。一日の疲れを癒やすにゃ、お酒が一番さ」
「えっ。いや、ぼくは──」
言いかけて、ふと考える。
そういえば、ぼくはもう二十一歳だ。一応はお酒を飲んでもいい歳になったのか……。
飲みたいわけではないが、今後は大人のつき合い方というのも、必要になってくるかもしれないし。
「……じゃあ、いただきましょうか」
「そうこなくちゃ。待ってな、すぐ持ってくる」
厨房に引っ込んだエンルバは、間を置かずに大きめのマグを両手にひとつずつ持ってきた。
「はい、お待ちどう」
「えっ……二杯?」
「もうひとつは、あたしのさ。はい、乾杯ー」
持たされたマグがカツンと音を立てる。エンルバが口をつけるのを見届けてから、ぼくもおもむろに一口、酒を含んだ。
苦い。
鼻の奥が熱い。
顔のパーツが全部ド真ん中に寄るかと思うほどのしかめ面になった後、カァーっと一気に息を吐き出した。
とにかく刺激が強い。そして、取り立てて美味いと思えるものでは、ない。
「くーっ、キくねえ。どうだい、たくさん働いた後の一杯は格別だろう?」
「……ええ、まぁ」
屈託のないエンルバの笑顔に、ぼくは愛想笑いで応じた。ハタチになったからといって、すぐオトナになれるわけじゃないけど、コドモみたいに思われたくない年齢でもあるわけで。
「じゃ、後はごゆっくり。食事も用意でき次第持ってくるからね」
きびすを返して、彼女がテーブルを離れようとしたその時、ひづめと車輪のきしみが宿の玄関先に近づいてくるのが聞こえ、その手前で停止した。
その直後に入ってきたのは、カラフルなガウンをまとった貴族と、二人の斧槍を携えた鎧かぶとの騎士だった。
「いらっしゃい。お客さん……ってわけじゃなさそうだね。領主家のお偉いさんが、こんな庶民の憩いの場に何の用だい?」
「この宿屋に、流れ者の魔術師がいると聞く。お取り次ぎ願いたい」
臆した様子もなくエンルバが問うと、貴族らしき男が左右をねめつけながら言った。エンルバを含んだ周囲の人々の目が一斉にこちらに向くのを感じ、ぼくは気だるげに立ち上がった。
「ふむ、そなたが噂の魔術師か。その魔術師の外衣、確かに紛い物ではなさそうだが──」
「ぼくがその魔術師で間違いないよ。それで、ぼくに何か?」
品定めをするような男の視線を不快に思いながら、ぼくは腕組みをして訊いた。男は咳払いをひとつして、かかとをカチンと合わせて背筋を伸ばした。
「我が主、イダラバ領主バンダ=ラバ侯がそなたを晩餐に招きたいとの旨、伝えに参った。承諾の意あらば、今より我らと共にご同行願いたい」
「……先に晩ごはんを食べてたなら、断る理由もできたのにな。分かりました、行きます」
「うむ。では魔術師殿、こちらへ」
ふーっと大きく息をついて答えると、貴族はうなずいて、玄関先に停まった馬車を指し示した。
街の中心部へ向かうこと数分。
ぼくを乗せた馬車は、やがて石材を積み上げて造られた堅牢な大邸宅の門をくぐり抜けて、正面玄関へと到着した。
以前マランで見た精霊術養成所の建物より大きくはないが、個人の住まいというには初めて見る大きさのそれに気持ち圧倒されながら中へと招かれ、屋敷の奥の一室へと通された。
食堂らしきその部屋には中央に大きく縦に長いテーブルがひとつ置かれ、その最奥、俗に言うお誕生日席に落ち着いた色合いの重厚なガウンを身につけた白髪の紳士が鎮座していた。
「ようこそ、魔術師殿。私はこの街の領主である、デイン・バンダ=ラバだ。以後、お見知り置きを」
「──シラカー・ハイアートです。領主様、本日はお招きいただき誠にありがとうございます」
「ハイアート君だな。それでは、席にかけてくれたまえ。晩餐の用意をさせよう」
ぼくは胸の前で手を交差させて、ひざまずいた。イダラバの領主は目で合図を送り、彼の傍らに立つ、先ほどぼくをこの家に連れてきた男が手元でチリンと鈴を鳴らした。
背後の扉が小さく開き、次々と、胸の前にうやうやしく料理を一皿ずつ掲げ持った使用人が列を成して入ってきた。流れるように、テーブルの上にローストされた鶏やパイなどが並べられていく。
最後に脇についた使用人から、ガラスの器に丁寧に真紅のワインが注がれて、ご馳走の用意がすべて整った。
「さあハイアート君、遠慮なく食べたまえ」
「……まず、ご用向きをお伺いします。先にご馳走になってからでは、多分に問題のある話であっても断りにくくなってしまいますから」
バンダ=ラバは薄笑いを浮かべて、かぶりを振った。
「そう構えなくともよい。イダラバのような街に魔術師が訪れたと聞き、一度会って話してみたいと思っただけのこと。ただ家に呼ぶよりは晩餐の席に招待した方が、会話も弾むかと考えたのだが」
「そういうことでしたら、ご相伴にあずかります。領主様に感謝を」
グラスを持ち上げて一礼し、なめる程度に口をつける。見た目はジュースに見えるのに、渋みばかりでまったく美味しいと思えない。
その時不意に、コツコツと戸を叩く響きが、ぼくの背後から聞こえてきた。




