第一章(二)「この世の終わりかと思いました」
日が昇ると共にぼくは客室を離れて、一階の居酒屋部分へと降りてきた。
「あ! お客様、昨日はありがとうございます! エンルバから聞きました、お客様は魔術師だそうで──」
昨晩クレーム対応をしていた宿の主人らしき中年男性が奥から駆け込んできて、ぼくの前に急停止すると頭を低くして言った。
「いや、まぁ。その駆け出しみたいなものですから」
「いやいや。あっという間に雨漏りを直していただき、さすがは魔術師と感心しきりで──あ、屋根の修理代といったら何ですが、朝げを召し上がっていかれませんか。すぐに用意いたしますが」
「え、いいんですか? では、遠慮なくご馳走になります」
主人に促されるままにテーブルに着き、さして待つこともなくパンと野菜のスープが運ばれてきた。
「ささ、お召し上がりください」
「いただきます。いや、実は路銀が尽きかけてまして、食事もままならないかと心配していたところだったので……本当に助かります」
と言いつつ、スープに浸したパンにかぶりつく。主人はぼくの対面に座って、心配そうに目を細めた。
「そうですか。それは、さぞお困りでしょう」
「ええ。なので今日は、この街で何かお金になる仕事がないか探そうと思って──」
「それでしたら、ひとつ頼まれごとをお願いできませんか。もちろん謝礼はお支払いします」
ぽんと手を叩いて、主人がウキウキした様子で答える。顔に「渡りに船」と書いてあった。
「え、お仕事いただけるんですか? いやあ、何から何までありがたいです」
「では、お食事が終わり次第でお願いします。早急に対処せねばならないものですから」
スープの中のニンジンに似た何かの根菜を頬張りながら、ぼくはうなずいた。
「二日前に、大きな地震があったでしょう。あの雨漏りも、たぶんそれが原因だと思うのですが──」
宿屋の玄関口から出て、建物を右手にぐるりと回り込みながら、宿の主人──ソプレン氏はぼやくようにつぶやいた。
「ああ、確かに揺れましたね。大したことはなかったですけど」
「ええ……ハイアートさんは肝が据わってますね。私は、この世の終わりかと思いました」
そうか。体感的には震度三か四ぐらいだったように思うけど、それぐらいは大したことないと感じてしまうのは、ぼくが日本人だからか……。
「まあともかく、その地震で──着きました、ご覧のとおりなんです」
ソプレンが指差す先には、宿屋の一階部分の石造の壁が一部砕けていて、穴が開いたように崩れ落ちていた。
「これは放っておけないですね」
「はい。すぐに修理をしようと思ったのですが、石材を積み直そうとすれば上の木造部分を一度取り壊さなければならないということで、途方もない大工事になってしまうのです。ハイアートさん、上屋をこのままで、石壁だけを修復することはできませんか」
「なるほど。やってみましょう」
じっくり観察しながら、頭の中で術式を構築する。サイズ、形状を注意深く設定した術式を描き起こし、土精霊力を込めて発動させると、欠けた石壁を塞ぐ形の一枚岩が地面の方からニョキっと生えてきた。
「おお、すごい! あっという間ですな」
「継目がないので、石積みの壁より頑丈だと思います。……他に何か、やることはありませんか? こうも簡単に終わってしまうと、お代がもらいづらいです」
ぼくが苦笑いを浮かべて訊くと、ソプレンは大げさに首を横に振ってみせた。
「とんでもない、大助かりです! お礼を差し上げますので、どうぞ表の方へ」
ソプレンと共に宿の玄関先に戻る。と、その周辺が妙な人だかりでざわついていた。その集団の側には昨日の女性店員がいる。
「あ! 魔術師さん、旦那さん。どこ行ってたの」
「ああ、裏手の壁のことで──それよりエンルバ、こりゃ何の騒ぎだ」
怪訝な顔をしてソプレンが訊ねると、エンルバと呼ばれた店員は困ったように肩をすくめた。
「いやあ、市場で魔術師さんの話をしたら噂が広まっちゃって……こないだの地震で壊れた屋根や壁を直してほしいって人が……ね?」
「『ね?』じゃないよ、お客様に迷惑をかけるようなことを──うわっ!」
集団がどっと動き、ソプレンを押しのけつつぼくの周りへと殺到する。あっという間に人垣に取り囲まれてしまった。
「あ、あんたが魔術師だろ? その外衣、領主様の屋敷で見たことあるぞ」
「うちの屋根も直しておくれよ、頼む」
「家が斜めに傾いてて──」
次々に要望が押し寄せ、ぼくはすっかり面食らってしまい何の応対もできずにいた。その時。
「皆さん、落ち着いて! 魔術師様はうちの建物の修繕を、仕事として請け負ってくださったのです。魔術師様のお働きに見合う報酬の用意がある方だけご依頼ください!」
「えっ。ソプレンさん、ぼくは別に──」
「いいんだよ、魔術師さん。こうでも言っとかないと、あいつらつけ上がるからさ」
ソプレンが割って入り、さらに戸惑うぼくに、エンルバがこっそり耳元でささやく。
かくして、宿屋の前にあった人だかりは数人を残すのみとなった。ソプレンが上手く仲介に入ってくれて、各々の状況を鑑みて緊急性の高そうな案件から巡っていくことで合意した。
「それじゃ、行ってきます。エンルバさん、今日もここに泊まっていくので、部屋をひとつ取っておいてください」
「あいよ。心配しなくとも今日はたぶん空いてるさ、雨が降りそうにないからね」
笑顔で手を振る彼女に、ぼくはクスリと失笑した。
ソプレンの宿屋に戻る頃には、日が完全に沈んでいた。
大商人や大地主といった、いわゆる街のセレブリティの屋敷をはしごして、とにかく建物の修繕に東奔西走した一日だった。
作業自体はものの数分で片づけたのだが、セレブ連中のお抱えの魔術師として雇い入れたいという誘いを断るのに相当な時間をかけてしまったのが、遅くなった主な原因だ。謝礼金も五週間は生活できそうな金額を提示されて、そんなにもらってよい仕事ではないと、一日の食費程度まで値を下げさせて受け取ってきた。まったく、セレブってのはどんだけ見栄っ張りなのかと……。
「ハイアートさん、お帰りなさいませ。お部屋のご用意はできております」
戸口に現れたぼくを目ざとく見つけ、ソプレンが頭を低くしながら足早に寄ってきた。
「ありがとうございます。では、お代を──」
「そのことなんですが、まだ修繕の謝礼をお支払いしていなかったでしょう。なので、ハイアート様がここをお発ちになるまでの間の宿代を、無料にさせていただく……という形でいかがでしょうか」
「えっ。それは、実にありがたいですが……いいんですか?」
「もちろんです。工事をするとなったら、その何倍もかかってしまうところでした。こちらこそ、本当にありがとうございます」
再び、ソプレンが深々と頭を垂れる。
「──分かりました。しばらくの間、こちらにご厄介になります。その間、何かぼくにできることがあればお手伝いさせてください」
「お気遣いいただき恐縮です。では夕食をご用意させていただきますので、おかけになってお待ちください」
ソプレンは一礼して、厨房へと消えていった。その背姿を見送って、どうにか一人でもやっていけそうだなと、ぼくは小さく安堵をついた。




