序章(十二)「大工になるべきですなぁ」
「では、参りますぞ」
二メートル弱の細長い棒を腰の高さに構え、その先をぼくの顔面にピタリと向けた熟年の大男が、口の端を持ち上げながら言った。
「はい、師匠」
同じ長さの棒を、胸より少し高い位置に据えて、ぼくはうなずいた。
アーエン師匠は一歩踏み込んで、槍の穂先に見立てた柔らかい綿で包んだ棒の端を、ぼくの顔面に向けて繰り出した。
考えるより早く、ぼくの持つ棒がそれを下から打ち上げ、左から右へくるりとひねる一連の流れで右下へと逸らす。同時に相手の槍の柄にすべらせるように師匠の胸元へと突きかけた。
身体を退いて、師匠がぼくの刺突のリーチの外へと逃げる。瞬時に身体を振りながら前に出て、再び頭部を狙う一撃を走らせた。
槍を左へひねり、柄を打ち合わせる。師匠はとっさに持ち手を頭の高さまで上げて、突き下ろす構えを見せた。
左足を引きつけつつ、左下へと穂先を押し下げる。
「よし、そこまで!」
「ありがとうございました」
構えを戻し、槍を引きながら、師匠が号令を放つ。ぼくは得物を立ててふうとひと息つくと、ぺこりと頭を下げた。
「とても良くなりました。防御については兵士としても十分実戦に耐えうる段階と言えましょう」
「はい。ですが……正直、師匠はまだ全力を出されてはいないですよね」
眉間にしわを寄せながら言うと、アーエン師匠は苦く笑った。
「確かに、まだ多少の手心はございます。しかしハイアート様がたったの二年半で槍術をここまで修得されるとは思っておりませんでした。驚くべき成長です」
そうかなぁ、とつぶやきながらも、ぼくはうつむき加減にしてはにかんだ。
無手の修業をひと通りこなしたあと、剣、弓、槌矛といくつかの武器の適性を試してきた。剣や槌矛は重すぎてすぐに息が切れてしまった。弓に関してはもう天敵という他にないぐらい、いやというほど引いた弦を自分の腕や胸に当ててしまい何度も痛い思いをしたため、とても満足に扱えるようになれる気がしなかった。
結局、槍を専攻して修業することになった。それぐらいしかまともに取り回せる武器がなかったし、何より、距離を取って戦える方がいい。
元の世界では武術を修めようなんて考えたこともなかったのに、いざ必要に迫られて始めてみると、魔術の修業と同じぐらい熱心に取り組めた。まぁ、テレビや漫画やネットといった娯楽が何もないせいでもあるとは思うけど。
「そろそろ、槍の修業も次の段階に入ってよい頃でしょうな」
「次の段階?」
「ええ。それには準備が要りますので、しばらくここを離れます。その間、槍術の基本の動作を反復練習しておくのを、おろそかにしないように願いますよ」
「はい。右ひねり、左ひねりとその足捌きの訓練ですね。分かりました」
その次の日の朝、アーエン師匠は簡単な旅支度だけで家を離れ、山を降りていった。
槍の修業の次の段階に移る準備をすると言って、アーエン師匠が家を離れてから二週間が過ぎた。
その間、武術訓練のため多少おろそかになっていた魔術の勉強が進んだのでそれはそれで喜ばしいことだったが、さすがに不安になってきた頃だった。
「爺さん、ハイアート様。今戻りましたぞ」
玄関先で野太い大声がして、テーブルで向かい合わせに座っていたオド老師ときょとんとした顔を見合わせたあと、ぼくたちは立ち上がって外へ向かった。
「こりゃ、小僧。こんなに長いこと家を空けおって、一体どこまで──」
小言を言いながらドアを開けた老師とぼくを待っていたのは、黒いたてがみに濃い褐色の肌をした馬にまたがったアーエン師匠の姿だった。
「どうです、いい馬でしょう。きちんと軍事訓練を受けた馬をもらい受けるのに多少遠出をしてしまいました。これから馬上で槍を扱う訓練に入りたいと思いますので──どうしました、ハイアート様?」
アーエン師匠はぽかんと口を開けて、目を丸くしているぼくに小首を傾げながら訊いた。
なので、ぼくは、かすれた声で答えた。
「……あの、師匠。ぼく、そもそも一度も馬に乗ったことないんですが」
「それより、急に馬を持ってこられても飼う用意が何もできておらぬぞ。馬立ても設けておらぬし、飼葉も必要になるじゃろう」
オド老師も加わっての責め立てに、アーエン師匠はしまったといった風に天を仰いだ。彼は武術の達人ではあるが、それ以外が意外にポンコツだということもここ二年ほどのつき合いで何となく実感していたので、ああやっぱりとしか思わなかった。
「──まぁしかし、乗馬の訓練が重要なのは確かじゃ。ちょっと村へ行って仕入れてくるわい」
「申し訳ない。あ、今こいつに食わせられるもの、何かないか。山道を来る途中は何も食わせてなかったから、腹を空かせてるだろうし」
「ああもう、家にある野菜でも食わせておけ。まったくどうしてこうも後先を考えずに……」
ぶつぶつ文句を言いながら、オド老師は荷車に乗って山道を降りていった。アーエン師匠は白髪頭をかきながら渋い顔をして、それからスイッチを切り替えたように笑顔をぼくにむけた。
「ハイアート様、そういうことであれば最初に馬に乗る訓練から始めましょうか。まずは馬に慣れてもらうために、餌やりから──」
この人の辞書には「反省」という文字が存在していないらしい。ぼくは眉間にしわを寄せて、深いため息をついた。
ぼくたちの三日分の野菜をたいらげた馬は、心なしか少し機嫌がよさそうに見えた。
「こうして見ると、馬って可愛げがありますね」
「ええ、こいつは気性もやわらかくて従順な奴です。そうだ、こいつに名前をつけませんか?」
馬の首筋をなでていると、アーエン師匠が提案を向けてきた。ぼくは耳たぶを触りながら、少しの間思案を巡らせた。
「じゃあ……『セキト』」
「セキト? 奇妙な響きですな」
「ある有名な武将が乗っていた名馬の名前なんですよ。こんな風におとなしい馬じゃなかったらしいですけど」
「それはまた、大層な名前をつけてもらったな。ではハイアート様、早速セキトに乗ってみましょう」
一つ一つ丁寧に教えてもらって、ぼくはセキトの背に腰を乗せた。思いの外視線が高くて、内心ドキドキしている。
「上体が前に傾いてます。頭と腰と足が縦にまっすぐになるように座ってください」
「こ、こうですか?」
「そうです。姿勢が悪いと乗り心地が悪くなるだけでなく、馬にも負担をかけてしまいますから──ああ、上半身は腰の上にただ乗せるようにして、背中や腕から力を抜いて……」
停まっている馬の上にただ乗っているだけなのに、もう色々とケチがついてくる。これでは歩かせたり走らせたりする時が思いやられる。
「……だいぶよくなりました。ではセキトを歩かせてみましょう」
「え、もう?」
「私が手綱を引きますので、ハイアート様は座っているだけでいいですよ。はい」
アーエン師匠がそっと手綱を引いた方向へ、セキトがゆっくりと常歩を始める。想像以上の上下の揺れに面食らいながら、ぼくは背筋を伸ばした姿勢を保とうと必死になっていた。
数十分ほど経過し、行き先を気にする余裕もなかったものの、次第に家からほど近い森林の木々が迫ってきたことにはさすがに気がついた。
「森まで来てしまいましたよ。師匠、どこまで歩くんですか」
「ここが目的地です。せっかくですから、馬立てを作るのに頃合いの材木を採ろうかと思いまして」
なるほど。そして伐採した木材を馬に引かせれば一石二鳥というやつか。いいアイデアだ。
「──あっ、しまった! 木を伐る斧を忘れてしまいました。すみません、取りに戻りましょう」
……前言撤回。やっぱり戦闘以外はポンコツだ。
「師匠、大丈夫です。ぼくがやります」
セキトの背中から降りて、直径二十センチメートルほどの太さの木の側でたたずむアーエン師匠の元に向かう。
「こっちに倒れるように伐ればいいですね」
「ええ。やってください」
ぼくは木の幹に向けて、術式を描く。魔力の光がさっと通り抜け、端の数センチを残してきれいに切断された。
「よいしょ、っと」
アーエン師匠が幹を押し込むと、メキメキと音を立てて樹木が倒れていく。チェーンソーで伐るよりきれいな断面が露わになった。
「ハイアート様、お見事です。魔術の腕はもう爺さんを超えたのではないですかな」
「とんでもない。まだまだですよ」
ぼくは苦笑して首を横に振った。
「今帰ったぞい。アーエン、あの馬立てはおぬしがこさえたのか?」
すっかり暗くなった頃、オド老師が玄関口に姿を現して、かまどの前で煮炊き中のアーエン師匠に訊ねる。アーエン師匠はにやりと笑って、かぶりを振った。
「いいや。木を伐ってきたのも、それを地面に打ち込んだのも、ハイアート様だ。杭を作ったものの、それを打ち込む掛矢がないと言ったら──」
「え、いえいえ。土精霊術でそこだけ泥に変えて、手で押し込んでからまた土に戻しただけで、大したことは……」
「大した業ですよ、ハイアート様。こりゃあ救世主より、大工になるべきですなぁ」
「馬鹿者。大工の代わりはいくらでも利くが、救世主の代えは他におらぬわ」
二人は高く笑い声を上げる。そういえばぼくは救世主としてこの世界に呼ばれたんだっけなと、たまにそれを忘れかけている時がある。
そんな世界の危機が来るなんて想像もできないほど、穏やかで平和なひと時だった。




