第九話:谷の奥へ進むほど険しい (その一)
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「いててて……」
鈴木くんはうめいた。
確信は持てなかったが、どうやら逆さまになっているらしい。雪越しに差し込む青白い光が、まるで魔法のランプの中に閉じ込められたような錯覚を与えていた。頭上にある扉が雪や瓦礫を食い止め、おかげで内部にはわずかな空間が保たれていた。
彼は曲芸師のように身をよじり、その狭い空間で体勢を反転させた。そして空洞が潰れないよう扉を支えにしながら、雪崩の雪を掘り進めて外へ脱出した。
幸い、地表まではそれほど深くなかった。
ようやく雪の中から這い出すと、彼はリュックを下ろし、それを枕代わりにして仰向けに倒れ込んだ。
何分ものあいだ深く呼吸を繰り返した。吐き出す白い息は、まるで間欠泉のように立ち上っていた。
やがてゆっくりと身を起こし、周囲を見渡した。
どうやら斜面の麓までたどり着いていたらしい。
煙を探してみたが、この場所からでは、まだ上がっていたとしても見えなかった。
それでも、おおよその方角くらいは見当がついた。
2
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開けた場所で方角を知るのと、森の中で方角を知るのとでは、難しさがまるで違う。
遠くを見渡せる目印はない。まっすぐ進める道もほとんどない。目印になる木々はどれも似たような姿をしていて、入り乱れた木陰が視界をさらに惑わせる。
鈴木くんはリュックを地面に下ろし、中身をすべて取り出した。
「……やっぱり、コンパスはないか」
手元にあるのは救急セットと非常用キットだけだった。どちらも災害時にその場で救助を待つための装備であり、移動しながら生き延びることを想定したものではない。
救急セットには手袋、包帯、はさみ、安全ピン、ピンセット、消毒用アルコール、消毒スプレー、保温シート、ガーゼ、綿棒、電子体温計。
非常用キットには水のボトル――もっとも、この状況では凍っていたが――、ランタン、笛、イヤホン付きの手回しラジオ、携帯トイレ、ウェットティッシュ、ポケットティッシュ、歯ブラシ、歯磨き粉、タオル、石けん、マスク、非常食、それにスイスアーミーナイフが入っていた。
彼は保温シートの上に几帳面に並べた道具を、右手で顎を支えながらじっと見つめた。
そのとき、何かを思いついたように目を見開いた。
ガーゼから糸を引き抜き、スイスアーミーナイフのペンチで安全ピンを一本切断した。続いてイヤホンを分解し、中から磁石を取り出す。その磁石を、切り出した針へ何度も同じ方向にこすりつけた。
それから針にガーゼの糸を結び、宙へ吊るした。
針の回転が止まるのを待ち、前後や左右へ軽く揺らしてから、別の方向へ向けて手を放した。
それでも針は、毎回ほぼ同じ方角を指して止まった。
3
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計算は単純だった。
柔らかい雪の上を歩くのは、硬い地面を歩くよりはるかに多くのエネルギーを消費する。積雪20センチほどの雪では、1メートル進むごとに体重1キログラム当たり約2.7カロリーを消費する。
鈴木くんは、ごく平均的な十七歳の日本人男子高校生で、体重は61.9キログラム。さらに18.7キログラムのリュックを背負っていた。
つまり、1メートル歩くたびに、およそ214カロリーを消費している計算になる。
非常食の内訳は、乾パン五袋、レトルトご飯三食分、エネルギーバー十二本、大豆スナック十袋、レトルトカレー三食分、缶入りパン三缶。
総カロリーは7,250キロカロリー。安静にしている成人男性なら、およそ三日分の必要量だった。安静にしている成人男性なら。
だが彼はすでに2,743メートル歩いていた。
一時間も経たないうちに、食料備蓄の約8パーセントを使い切った計算になる。
4
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鈴木くんは森の中の小さな開けた場所へたどり着いた。
焚き火の跡が残っていた。灰はまだ温かい。まるで、ついさっき火を消したばかりのようだった。
だが、はっきりとした足跡は見当たらない。雪面は何かで掃き清められていた。木の枝でも使ったのだろうか。
彼はその空き地の周囲を歩き回り、誰かが通った痕跡を探した。
木に立てかけられていたのは……リュックだった。しかも、自分のものとまったく同じだった。
そのとき、不意に視界の端で背後から近づく人影を捉えた。
もみ合いは一瞬で終わった。体格差は明らかで、鈴木くんはあっさり相手を取り押さえる。
相手は同じ学校の制服を着て、やはり保温シートに身を包んだ男子生徒だった。
「おい、何してるんだ?」
「ご、ごめんなさい……あいつらの仲間かと思って……」
「あの毛皮を着た戦士たちのことか?」
「戦士?」
「体育館の近くで、剣を持った連中が化け物と戦ってたんだ」
「そんな人たちがいたんですか?」
「それより、お前は何してるんだ? 名前は?」
「えっと、一年A組の渡辺賢治です」
「俺は二年B組の鈴木陽翔……って、その声……お前、あの恥ずかしい告白をしたやつじゃないか?」
「は、恥ずかしいって何ですか!?」
「『田中先輩、すきだ……』」
鈴木くんは笑った。
渡辺くんは顔を真っ赤にし、唇を震わせる。
「ち、違います……僕じゃありません……」
「はいはい。それより、みんなどこへ行ったか知らないか? それと、さっき言ってた『あいつら』って誰のことだ?」
「化け物です。でも、みんながどうなったのかはわかりません。体育館の倉庫で目を覚ましたときには、誰もいなかったんです。でも建物の周りに足跡が残っていました。体育館シューズのものだとはっきりわかる足跡がたくさんあって、それとは違う足跡もありました。ここまで追ってきたんですが、途中で見失ってしまって……」
「なるほど。でも、お前、本当にあの化け物と戦う覚悟はあるか?」
「ええ。ここへ来る途中で何匹も倒しました」
「ああ、そうかそうか」
「なんですか、その反応。信じてないんですか?」
「どうやって倒したんだ?」
「ぼ、僕……気づいたら不意打ちされていて。武器はこの折りたたみナイフしかなくて、それを振り回して追い払おうとしたんです。そしたら……ブンッて……赤い光が飛び出して、化け物をまとめて吹き飛ばして、山の上にまで突き刺さって……その瞬間、山全体が揺れたんです」
「赤い光だって?」
そのとき、二人は何か音がしたのを聞いた。
5
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森の奥から、オオカミの群れ――少なくともオオカミのように見える獣たちが姿を現した。
唸り声を上げながら、二人をじっと見据えていた。




