第八十二話:死の直前であっても忘れない
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「お茶でも淹れるの?」
女子の一人が尋ねた。
「ううん、そういうんじゃないよ」
伊藤さんはヒーターの上に水の入った壺を置きながら答えた。
「じゃあ、何?」
「お風呂」
「えっ? こんな小さな鍋で?」
「まあ、実際には蒸しタオルとかで身体を拭く感じになると思うけど」
「それ、いい考えだね。みんな、こんなひどい状況なんだし……。ねえ、あの子はどう?」
「小林ちゃん?」
「それが名前? 屋上から飛び降りた子?」
「飛び降りたのかどうかは分からないよ。佐藤先生の話では、どちらかというと事故みたいだったし……」
「それで、あの子はどうなの?」
「先生と一緒に寝てるよ。まるで、親子みたいに」
2
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「それで、何がしたいの?」
高橋さんは、中村くんが小林さんを見ながら、もう八回も周囲をうろうろしているのに気づいて尋ねた。
「ええぇ〜。いや、何でもない……」
彼は右手で首の後ろをさすりながら答えた。
「あなたが、彼女にこんなことをしたんでしょ?」
彼は息を呑んだ。
「俺が?」
高橋さんが続けようとしたが、伊藤さんが高橋さんの口元に右手をかざし、首を横に振った。
「違うよ。佐藤先生の話によると、小林さんは、彼のせいじゃないって言ってたんだって。彼女は、彼が優しくしてくれたって……」
伊藤さんが説明した。
「じゃあ、あなたは彼女に何て言ったの?」
高橋さんが食い下がった。
「俺……何も言ってない……。た……ただ、もう彼女がいるって……」
中村くんの声は、次第に小さくなっていった。
「それで、今は何がしたいの?」
「俺……ただ、彼女が大丈夫かどうか見たかっただけ」
「うん、大丈夫だよ。まあ、あなたのおかげでは……」
「高橋さん!」
伊藤さんが厳しい声で言った。
「もう大丈夫だから。心配しないで。私たちが彼女を見ておくから。気にかけてくれて、どうもありがとう」
そう言って、伊藤さんは中村くんに礼を言った。
彼はため息をつき、わずかに頷いてから、その場を離れていった。
「ふわふわ……」
小林さんが、佐藤先生に抱きついたまま、眠りながら呟いた。
3
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「おい、中村! どこ行ってたんだ? 探してたんだぞ」
井上くんが言った。
「ああ〜、ちょっと……」
「それはともかく、フォローしてくれてありがとう」
「ああ、気にしないで、先輩。俺はただ、本当のことを言っただけだから」
「それに、ガスマスターだって?」
「それはもういいって! それだけ言いたかったなら……」
「ああ、ごめん、ごめん。実は、頼みたいことがあるんだ」
「何を?」
「みんなのために、あの男たちにお風呂を使わせてもらえないか、頼んでみたいんだ……」
「それで、俺がどう役に立つんだ? 俺、あいつらの言葉は分からないぞ」
「ああ、それは問題ないよ。俺が話すから……」
「じゃあ、俺は何をすればいいんだ?」
「ここにいる人たちは、俺があの男たちと一人で話してたら、かなり怪しむと思うんだ。だから、目撃者が一人ほしい」
「それなら、誰でもいいだろ……」
「うん、でも……ほら、あの……なんて言えばいいかな。今、みんな、俺にちょっと不信感を抱いてるんだ……。でも、君は俺を信じてくれた」
「誤解しないでくれよ、先輩。俺は、先輩が本当にあの男たちの話を理解してるなんて思ってるわけじゃない。だからって、理解してないとも思ってない。ただ、仲間たちに本当のことを言っただけだ」
「うん、うん。それは全然問題ないよ。むしろ、目撃者としてなら、先輩は中立な立場の人として見てもらえるから、もっと助かる。だから……協力してくれない?」
中村くんは、しばらく黙り込んだ。唇を固く結び、わずかに引きつらせ、眉間には皺を寄せていた。
「なあ、中村。もし俺に協力するかどうか迷ってるなら、断れないような条件を出してあげようか。協力してくれたら、小林ちゃんには、嘘をついたことを黙っておく……。どう? いい取引だろ?」
4
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「みっちゃん、見なかった?」
伊藤さんが尋ねた。
「田中先輩? ほんの数分前まではここにいたよ」
女子の一人が答えた。
「うーん、外に出たんじゃないかな」
別の女子が、ヒーターの近くにしゃがみ込み、右手の人差し指を頬に当て、目を左上に向けながら言った。
二つの寮の間を通って建物の外へ出ると、3頭のチィが低空飛行で通り過ぎた。彼女は冷たい風に身を震わせた。
地面の雪は、生徒たちや軍人、そして民間の使用人たちに踏み固められ、荷車の車輪によっても固く押し固められていた。
空はすでに暗くなり始めていた。
彼女は、自分がいる寮の建物の右側から、かすかな青みがかった光が漏れているのに気づいた。
近づいていくと、押し殺したすすり泣きが聞こえてきた。
田中さんだった。
彼女はしゃがみ込み、建物の壁にもたれかかっていた。右手で口元を覆い、左手にはスマートフォンを握っていた。
頬には幾筋もの涙が流れ、その目は大きく見開かれたまま、画面を食い入るように見つめていた。
5
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「田中……先輩……。僕……僕……あなたのことが……好き……」
渡辺くんだった。
彼は森の中にいた。動画の上のほうには、体育館のある山の頂上が映っていた。そして……彼は、あのトカゲのような姿をした羽毛のある生き物たちの群れに追い詰められていた。
動画は、鮮やかな赤い光が画面全体を覆ったところで終わった。




