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第二章:氷の宮廷と、仮面の初日

レイラが隣国の宮廷に到着したのは、曇天の午後だった。

黒塗りの馬車が石畳を軋ませながら進むたび、周囲の視線が冷たく突き刺さる。

彼女は“王妃”としての役割を演じる準備を、すでに整えていた。心を持たないふりをして、冷酷な王妃として振る舞う。それが、彼女に与えられた新たな舞台だった。

宮廷の扉が開かれた瞬間、空気が変わった。重厚な絨毯、無表情な侍従たち、そして誰も歓迎の言葉を口にしない沈黙。レイラは一礼し、無表情のまま歩を進める。

彼女の足音だけが、広間に響いていた。

 

(……当然ですわね。わたくしは今、氷の王子の婚約者。ましてや、追放された身ですもの。歓迎など、あるはずもないわ)

 

その夜、晩餐の席にて。

カイン王子は王座の隣に座るレイラに一瞥もくれず、淡々と食事を進めていた。周囲の貴族たちは、レイラを“悪役王妃”として見る目を隠そうともしない。それでもレイラは、完璧な礼儀と冷淡な微笑みで応じた。

彼女は“仮面”をかぶっていた。それは、心を守るための鎧でもあった。食後、カインがふと口を開いた。

 

「よく演じていたな。祖国の評判通りだ」

 

レイラは静かに答えた。

 

「演じることには、慣れておりますの」

 

その言葉に、カインはわずかに目を細めた。それが嘲笑なのか、興味なのかレイラにはわからなかった。

ただ、その視線の奥に、ほんの一瞬だけ“孤独”のようなものが揺れた気がした。レイラはその夜、寝室の窓辺でひとり思った。

 

(この国では、心を持たないことが強さになるのね。けれどあの人の瞳の奥にあったものは、何だったのかしら……)

 

そんなことを考えていると、誰かがレイラの部屋の扉を叩いた。

 

(こんな時間に、誰かしら……?)

 

「どうぞ。開いておりますわよ」

 

レイラがそう言うのと同時に、扉が静かに開いた。入ってきたのは、黒い軍服姿のカイン王子だった。

 

「夜分に済まない、レイラ。今夜中に処理すべき書類がある」

 

彼は淡々とそう告げると、手にした書類を机の上に置いた。

その動作に、感情の揺れは一切ない。けれどレイラは、ふと感じてしまった。

この人は、誰にも頼らず、誰にも弱さを見せずに立ち続けているのだと。

微かに目の下にあるクマを見て、レイラはいつも入れてもらっているラベンダーティーをカインの前に置く。カインは、それを見て少し眉をひそめながら言う。


「……これは、何の真似だ?」


「何って、ラベンダーティーですわ。知っていまして?ラベンダーには、リラックス効果がありますのよ」


「それは、俺も知っている。そのことを聞いているんじゃない。何故、君が俺にこんな事をするのか聞いている」


そう言う、カインにレイラは一口飲んでから答える。


「遅いティータイムですわ。今日は朝から忙しかったですもの、ティータイムをする暇もなかったですの。だからカイン様、少しわたくしに付き合ってくださる?」


カインは少し考えてから、言う。


「……そいう事なら、仕方ないな」


カインは前に出された、ラベンダーティーを一口飲む。それを見てレイラも、もう一口飲みながら心の中で思う。


(遅いティータイムなんてただの口実。本当は、少しでも休んで欲しかったの。……あんな、目の下にクマまでつけていますもんの。気になって仕方ありませんわ)


カインは黙ってティーカップを置いた。その指先が、わずかに震えているように見えたのは、気のせいだったのだろうか。

 

「……香りが強すぎるな。だが、悪くない」

 

彼はそう言って、窓の外に視線を向けた。

夕暮れの光が、彼の横顔を柔らかく照らしている。

レイラは、カップを両手で包みながら、静かに言葉を継いだ。

 

「カイン様は、いつもお忙しいですもの。少しでも、心が休まる時間があればと思いまして」

 

「心など、必要ないと言ったはずだ」

 

「ええ、存じておりますわ。でも……“必要ない”と“持っていない”は、違いますもの」

 

カインは、何も言わなかった。ただ、ラベンダーの香りが満ちる室内で、沈黙がふたりを包んだ。

その沈黙は、冷たさではなく、どこか――心の残骸が、静かに揺れるような温度を持っていた。

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