第十一章:あなたを失いたくない
夜の帳が降りる頃、宮廷の大広間には仮面を纏った人々が集い始めていた。
レイラは、静かにその場に立っていた。
淡い銀の仮面が、彼女の表情を覆っている。けれど、その瞳だけは、どこか遠くを見つめていた。
「……レイラ」
振り返ると、カインがいた。
腕には包帯が巻かれている。以前、訓練で怪我したものだ。それでも、彼は変わらず、彼女の傍に立とうとしていた。
「怪我をしているのですから、無理をなさらないでくださいませ」
「問題ない。例え、怪我をしていても君の傍にいることが、俺にとっての安らぎなんだ」
レイラは、ほんの少しだけ目を伏せた。
この人は、優しい……。こんなわたくしにも、好意を寄せてくれる。"悪役令嬢"の仮面を付けていても……。そでも、傍にいてくれる。その事実が、胸の奥で静かに疼いた。
「……お兄様とお義姉様も、いらしているようですわ」
「君の晴れ姿を見に来たんだろう。アレクは、君のことをずっと気にかけていた」
レイラは、仮面の奥で微笑んだ。けれど、その笑みの奥には、まだ言葉にならない何かが揺れていた。
この夜が、何も起こらず終わればいい。けれど、胸騒ぎは消えない。
その時だった。楽団の音が一瞬だけ途切れ、ざわめきが広がった。
「……?」
レイラが振り返ると、仮面の群れの中に、違和感のある影がひとつ――
その影が、まっすぐに彼女へ向かってくる。
「レイラ、下がれ!」
カインの声が響いた瞬間、鋭い刃が空を裂いた。
「……っ!」
レイラは動けなかった。けれど、カインが彼女の前に立ち、刃を受け止めた。
「カイン様――!」
一面に広がる血の匂い。倒れ込むカイン。その姿が、兄の背中と重なった。
(また、誰かがわたくしのために傷ついた。また、守られてしまった。またわたくしは、失ってしまうの……?)
「……いや……いや……!カイン様あああああ!!!」
レイラの視界が揺れた。涙が滲んだ。その涙は、仮面の下で静かに頬を濡らした。
「もう……、いや!もう誰かを失いたくない……!どうして……!どうしてなの……!わたくしまた、どこで間違えてしまったの……!!」
その言葉は、誰にも聞こえないほど小さく。けれど、確かに、彼女の胸の奥で響いていた。
「いや、いや……!カイン様……!カイン様……!」
レイラは膝をつき、倒れたカインの傍に駆け寄った。
彼の胸元には、赤い染みが広がっている。けれど、彼は微かに目を開け、レイラを見つめていた。
「レイラ……無事で……よかった……」
その声は、かすれていた。レイラは、震える手で自分の仮面に触れた。もう、隠していられない。
「カイン様……ごめんなさい……!ごめんなさい……!!」
そう呟いて、仮面を外す。
銀の仮面が、床に落ちて乾いた音を立てた。
「わたくしのせいで……!お願い!カイン様、行かないで……!」
レイラは、カインの手を両手で包み込むように握った。
その手は、まだ温かかった。
「もう……誰かを失いたくないの……。あなたも……失いたくない……。だから……」
涙が頬を伝い、カインの手の甲に落ちた。その雫に、彼の指が微かに動いた。
「……レイラ……、泣かないでくれ……。君に涙など似合わない……。だから……いつものように、凛と……可憐に……」
その時、ざわめきの中から、二つの影が駆け寄ってきた。
「レイラ!」
「大丈夫!? 怪我は!?」
兄アレクと義姉アリサだった。
アレクはすぐにカインの傷を確認し、アリサはレイラの肩を抱いた。
「お兄様!お義姉様!!わたくしは、大丈夫ですわ!ですが……!カイン様が……!カイン様が……!!」
レイラは涙を流しながら、アリサに言う。服がカインの血で汚れるのも構わず、レイラを落ち着かせるように、優しく言う。
「落ち着いて、レイラ。大丈夫、彼は……生きてるわ。気を失っただけよ」
「……本当に……?」
「ええ。きっと大丈夫よ。だから、落ちついてレイラ……」
レイラは、小さく頷いた後、アリサの胸に顔を埋めた。
その背後で、衛兵たちが動き出す。
「そいつだ!あの仮面の男を取り押さえろ!」
仮面の中に紛れていた刺客が、数人の衛兵に囲まれていた。もはや逃げ場はない。
仮面を剥がされ、顔が露わになる。
「離せっ!俺は、ただ貴族の令嬢に雇われただけだ!あの女に命じられたんだ……!」
会場がざわめきに包まれる。令嬢の名が、ざわざわと囁かれ始める。
「まさか……あの子が……?」
「嫉妬で……?」
「カイン様を?許されないわ……!」
怒りと驚きが渦巻く中、レイラは静かに立ち上がった。
仮面はもう、手の中にあるだけだった。
このままでは、誰かがまた、追放される。わたくしが、赦されてきたように、あの人も……。
レイラの視線が、令嬢の方へ向けられる。




