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02_本番は中止できません

星海歌劇団《ノヴァ》には、三つの基本方針がある。


一、開演時刻は守る。


二、出演料は先に半分もらう。


三、砲撃を受けた場合は二が全額になる。


第三項は、ルクが加入した翌日に追加された。


「今回は砲撃を受けてない」


サリス提督が言った。


「受ける可能性が高い」


ターラが返す。


「可能性では請求できん」


「じゃあ受けてから話す?」


サリスは黙った。


第二楽章の開始猶予は、もう半分を切っていた。


警備員たちは客席を封鎖し、劇場職員は逃げ、舞台には《ノヴァ》の五人とサリスだけが残っていた。


式典局長は通信画面の向こうで泣いていた。


『中止です! 本日の退役記念式典は中止! 来賓の皆様はすでに避難――』


「式典は中止でも、演奏は中止できません」


ミナが言うと、局長はさらに泣いた。


『そこを何とかするのが演者でしょう!』


「演者を何だと思ってるんですか」


ターラは通信を切った。


「その前に一つ。どうして私たち?」


サリスは答えなかった。


代わりに、切れたはずの画面で式典局長が鼻をすすった。


『休戦協定です。旧帝国軍人は、自軍の退役典礼を執行できません。第三者認証を受けた民間演者が、五系統すべてを実演する必要があります』


「音楽、打楽器、舞台操作、儀礼演技、入退場」


ターラが五人を順に見た。


『加えて皇后役の代演認証です。応募十三組のうち、完全資格が通ったのは《ノヴァ》だけでした』


セラがサリスを見た。


「私を選んだのではなく、私の声を選んだのですね」


「必要な認証を選んだ」


「同じではありません」


セラは笑っていた。声だけが笑っていなかった。


ミナは譜面台の前で、支給された楽譜をめくった。


演目は《星冠帰還曲》。旧帝国の近衛艦が凱旋するときに演奏された古い式典曲だという。


第一楽章は入港。


第二楽章は整列。


第三楽章は帰還報告。


そこまでは印刷されている。


全曲、ハ長調だった。


旧帝国の式典音楽は、どれほど遠い調へ出ても最後には主音へ帰る。軍楽史の教本には、そう書いてある。


旋律はハへ。艦隊は帝都へ。臣民は皇帝へ。


音楽理論というより、国家の訓示だった。


「終演は第三楽章?」


「記録上はな」


サリスが答えた。


「記録上?」


「私が軍楽学校にいた頃も、三楽章だった」


ルクが鼻で笑った。


「帝国の軍楽学校か」


サリスの目が彼へ移る。


「お前は連盟側だな」


「元はね」


「その太鼓の持ち方で分かる」


「太鼓に陣営あるのかよ」


「ある」


「嫌な銀河だな」


ミナは二人を無視して譜面を追った。


第一楽章の最後、管楽器に高いハ音がある。


自分が外したのは、そこだ。


正しくはハ。


くしゃみで出たのは嬰ハ。


たった半音。


半音で航路が上がった。柱の位置で艦隊が旋回した。太鼓の一打で砲撃手順が進んだ。


「待って」


ミナは譜面へ顔を近づけた。


「第一楽章の最後、ハの下に動作記号がある」


ターラが覗き込む。


「剣を抜く?」


「式典用の小道具でしょうね」


舞台袖には、金色の鞘に入った儀礼剣が立ててある。


ポロがそれへ触れようとした。


「触らないで!」


四人が同時に叫んだ。


ポロは両手を上げた。


「触らない」


「あなたは直そうとして兵器を完成させるから」


「今回は壊してない」


「そこが怖いの」


床に残り時間が出た。


《開始猶予 減少中》


サリスが言った。


「第二楽章を始める。正しい譜面どおりにやれば、艦隊は整列状態へ戻るはずだ」


「はず」


ミナが復唱した。


「軍人の“はず”は嫌いです」


「楽士の“たぶん”よりましだ」


「今それを言う?」


ターラが二人の間へ指揮棒を差し込んだ。


「喧嘩は終演後。生きてたら延長料金を取る」


セラが舞台中央へ進んだ。


「私の役は?」


「第二楽章、皇后役の歌唱」


ミナが譜面を見る。


「“星冠は帰り、門は開く”」


「喜劇ではありませんね」


「あなた、何をやっても喜劇にしたいの?」


「はい」


セラは迷いなく答えた。


彼女は百年ほど前の録音歌手群を参照して作られた歌唱型アンドロイドだった。とくに旧皇后カリアの声域と響きが近いことで知られ、本人はそれをたいへん不本意に思っている。


「また皇后役です。私はいつになったら転ぶ女中を」


「今転ばないで」


「では後で」


ターラが全員を見る。


「第二楽章だけ。譜面どおり。余計な動き禁止。ルク、強く叩かない。ポロ、大道具に触らない。セラ、転ばない。ミナ」


「なに」


「くしゃみしない」


「努力で止まるなら止めてる」


ターラは指揮棒を上げた。


舞台の照明が勝手に落ちる。


円形床の縁が青く光った。


透明壁の向こうで二十四隻の艦尾灯が同期する。


ミナは息を吸った。


いつもより浅い。


失敗しないようにと思うほど、喉が狭くなった。乾いた唇がマウスピースへ貼りつく。舌で湿らせると、今度は最初の音が遅れそうだった。


ターラの棒が下りる。


ルクの太鼓が、低く二拍。


革の震えが舞台床へ沈み、靴底からミナの膝へ上がってくる。


ポロは何も触らない。


セラが歌う。


澄んだ声は天井へ抜けず、透明壁に返されて金属の薄い響きを帯びた。その奥で、二十四隻の主機が一オクターブも低い持続音を作っている。


ミナは最初の音を出した。


正しい。


次も正しい。


三つ目も。


艦隊が動く。


前列十二隻の砲撃作動灯が消え、発射手順が初期位置へ戻った。


後列十二隻が左右へ開き、二本の航路を作る。


「戻ってる」


ターラが小声で言う。


「しゃべらない」


ミナは吹きながら睨んだ。


四十小節。


六十小節。


八十二小節。


第二楽章は、派手さのない行進曲だった。


ハ、ミ、ソ。影のない三つの音が、赤い客席をまっすぐ進む。明るいはずなのに、二十四隻が同じ低音で応じると、逃げ道のない明るさになった。


旧帝国が好きだったのは、威厳というより反復だったのではないかとミナは思った。


同じ旋律を、コルネット、声、太鼓の順に重ねて何度も繰り返す。重なるたび、艦隊の灯も一列ずつ揃った。


退屈だ。


正確だ。


だから安全だ。


最後の八小節へ入る。


サリスが舞台袖から叫んだ。


「そこで皇后が中央へ!」


セラが一歩前へ出た。


床が白く光る。


艦隊の中央で、一隻だけ大きな旗艦が前へ出た。


船体名《アステリア》。


旧帝国近衛艦隊の式典旗艦。


その艦首が、劇場ではなく冠門へ向く。


ミナの眉が動いた。


楽譜の最後に、見慣れない文字が浮き出ている。


印刷ではない。


舞台の光が紙の下に隠れていた古い導電インクを反応させている。


《帰還航路 確定》


《門枠予約 照会》


ミナは吹奏を止めそうになった。


止めれば前楽章へ戻る。


吹き続けた。


ターラも気づいた。


指揮しながら、目だけでサリスを見る。


サリスは動かなかった。


旗艦《アステリア》から、冠門へ一本の青い航路線が伸びた。


港湾管制の絶叫が通信へ割り込む。


『門枠が取られた! 誰が旧軍優先枠を――』


第二楽章が終わった。


艦隊は整列した。


発射手順も初期位置へ戻った。


ただし、全艦が冠門へ向いていた。


床へ新しい表示が出る。


《第二楽章 認証済》


《第三楽章 帰還報告》


《門通過まで 二十八分》


ターラは棒を下ろした。


「提督」


「なんだ」


「この曲、艦隊を港へ戻す曲じゃない」


サリスは透明壁の向こうを見たまま答えた。


「昔は、帝都へ戻す曲だった」


「今、帝都はここ」


「だから問題なんだ」


サリスが初めて笑った。


それは、舞台を見に来た人間の顔ではなかった。


「近衛艦隊は、まだ帰還していない」


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