08_敵の部隊で主演してください
通して稽古する時間はなかった。
放流器を支える索の一本が傷んでいた。作業艇は予備へ掛け替えている。艇内で新しい巻きを外したあと、空になった収納棚まで映った。次に切れたら、取りに戻る時間はないと作業員が言った。青い旗艦が流れに踏みとどまるための噴射は、見るたびに長くなった。モルナは途中で何度でも公演を止める、と客席へ告げた。
ミナとイリヤは、譜面が入れ替わる四小節だけを吹いた。
三拍目でミナが先へ入ると、向こうの合唱が息を止めた。イリヤは楽器を下ろさず、同じところからやり直した。今度は、ミナが四拍目まで待った。合唱の息とイリヤの低音の終わりが、その中に聞こえた。
「この速さ?」
「そう。歩く方は遅れてもいい。顔を見るより、音を聞いて」
ミナは譜面の余白へ四本の短い線を引いた。朝の装飾が邪魔になり、二つ消した。
「独奏会で聞いたの、その音だった。柱の後ろの席まで来た」
イリヤは少し目を上げた。なぜそこに座っていたのかは聞かなかった。
「長い曲は、次に吹く。今日はここから先」
差し出された譜面を、ミナは受け取った。
橋へ出る《ルミエラ》は三十八人に絞られた。奏者、合唱、舞踊を十二人ずつ、アルマとイリヤ。そこへ《ノヴァ》の五人が加わる。渡らない者の音を両岸へ残すので、全員を橋へ詰め込む必要はなかった。
ポロは鏡扇と支点を交互に見ていた。両方は持てない。舞踊団の四人が支えを受け持つと申し出ると、彼は掛け声を教える代わりに、一度やってみて、と頼んだ。四人は互いの肩を見て腰を落とした。留め金は鳴らなかった。
向こうで冠が落ちた。
アルマが受け、すぐ床へ置いた。指に赤い線ができている。セラは笑いかけた顔を戻せないでいた。
「一回目は、わざと落としました。今のは違います」
「最初のときも、言っていないでしょう」
「受け取ってくださると思いました」
「受け取れるから、していいんじゃない」
アルマは指へ布を巻いた。セラは手を出さずに待った。
ミナは自分のコルネットを見た。第二幕でイリヤへしたことを、ここでもう一度見ていた。
二人は冠を渡す位置だけ合わせた。アルマの右へ置く。こちらが手を離す前に、相手が受けたのを確かめる。次の歌い出しはアルマの息を待つ。それ以上は繰り返さなかった。
「歌詞は変えなくていいのですか」
セラが聞いた。
「私は、王女が何を差し出したつもりなのかを歌う。あなたは何も持っていないと言った。その先で会えばいい」
「声のことは」
「宣伝に使えると思っている。今も。でも、使う人が決めることよ。今夜はあなた」
セラは頷いた。賛成した顔ではなかったが、もう一度説明し直すこともしなかった。二冊の台本は、同じ歌詞にならないまま交換された。
警備隊が両岸へ分かれた。ルクは長い衣装の帯を借り、通る幅を示した。盾を壁へ寄せても、腰の装備が引っかかる。隊員が留め具を外す間、ルクは出演者へ片手を上げた。
「この合図で止まる。音楽は進んでいい。足を揃えない。後ろが見えなくなったら、次を入れない」
若い舞踊手が、行進とは違うんですね、と言った。
「違う」
ルクは一度だけ頷いた。太鼓を叩いて確かめることはしなかった。
モルナの端末に本国からの命令が届いた。艦長への指示の写しだった。相手の索を切り離すこと。応じなければ、拘束を排除すること。
青い艦の索を切れば、赤い作業艇が流される。赤い艦が離れれば、青い旗艦は傷ついた側を支えられなくなる。ミナにも窓を見れば分かった。
「両方の命令を、同じ画面に出してください」
ミナが言った。
「公演の中継に?」
「作業してる人も、そのまま。歌のときも小さく残して。艦長が何を待ってるか、見えるように」
モルナは放送担当を呼んだ。許可の問い合わせが始まったので、ターラが出演者側は承諾する、と先に答えた。ヴァロも頷く。両国の放送席へ、片側だけを消すなら中継を打ち切った局名を公演記録へ残す、とモルナが伝えた。映像が使われ続ける保証にはならなかった。ただ、黙って舞台の後ろを差し替えることは難しくなった。
「私たちの顔だけ、大きくしなくていい」
ミナはイリヤの譜面を持って、宵座の袖へ戻った。
窓の向こうで、工具を抱えた人が索を伝っていた。その下へ砲口の影が届く。歌い始めれば影が消えるわけではない。ミナはその人が握り替える手を見てから、指揮台へ目を戻した。
ターラが《ノヴァ》の顔を一人ずつ確かめた。
「開けるわよ。今度は、向こうへ」




