05_負けられない事情が多すぎる
第一幕はそこで打ち切られた。港へ出る通路が確保されるまで、客は席で待った。飲み水を持って回る係員の後ろから、子供を抱いた父親が何度も出口を覗いていた。
ルクは破れた皮を太鼓から外した。留め具を拾う手が、同じところを何度も撫でた。ミナが一つ足りないと教えても、すぐには顔を上げなかった。
「戸が閉まる音、嫌いなんだ」
ようやく言った。説明を待っていると、彼は外した皮を畳みかけ、折ると裂けるので手を止めた。
「退却するとき、病院船の通路で叩いたことがある。止めるなって。足が止まると後ろが詰まるから。前で笛の奴が転んだのに、そのまま叩いた」
ルクは左手の人差し指を、右手で曲げた。自分の指はまっすぐ戻った。
「そいつの手は、戻らなかった。今日、肩を掴まれたとき、誰が後ろにいるか分からなくなった。悪かった」
ミナは先ほど振り払われた手を腿へ置いた。大丈夫と言えば、この話まで終わる気がした。
「今は、私」
「うん」
二人で残りの留め具を探した。見つからなかった穴には、ルクが紐を通した。
幕が下りてから、ミナは暁座へ行った。七色の欠片を、合唱団員たちが布に集めていた。さっきまで天蓋だったものは、指先ほどの大きさになっても光っている。
ポロが架台の軸を見ていた。工具を当ててから、一度外す。近くにいた舞台係が、折れた支柱を持ち上げた。
「今夜、使える?」
ポロは首を振った。
「枠は。中は無理」
舞台係は支柱を置いた。自分の靴についていた破片まで拾い、布の上へ足した。ポロは手伝おうとして、欠片の持ち方を尋ねた。
ミナはその横を通れなかった。セラが後ろから来ても、場所を空けるのが遅れた。
《ルミエラ》の打楽器奏者が、ルクへ小さな浅胴太鼓を持ってきた。予備だという。ルクは受け取って膝に載せた。二度叩き、いつもの低音が出ないと分かっているのに、もう一度叩いた。
「皮を緩めれば」
貸し主が言いかけた。
「これでやる。悪い、借りる」
ルクは借用品の札を外さなかった。
両劇団が鏡廊へ集められたとき、モルナは礼服の上着を脱ぎ、施設技師と同じ画面を見ていた。客席の承認欄と、外周回廊の通行欄が重なっている。
「競演に付いた票を、国の優先順位として渡していました」
モルナが言った。
昔の客席が押したのは、向こうの使節を迎えるという承認だった。競演用の表示に貼り替えた今夜の席では、自分の劇団がよかったという票になった。暁座と宵座の差が、そのまま二本の流れの幅へ入っていた。
「退出は試しました。途中の点差を、この量の船で動かしていませんでした。別々の検査を、私が一本の確認済みにしました」
ミナは試験で滑らかに出ていった輸送船を思い出した。試験は嘘ではなかった。今夜やっていることを、試していなかった。
ターラは、いま責任者を決めるより船を出して、と言った。
「外周の流れを片側へ寄せた負荷が、劇場を支える固定環にも掛かりました。床が振れたのは、そのためです」
技師は接岸桁の損傷箇所へ画面を移した。
「入力は切りました。これ以上、票では動きません。ただ、青艦が当たった桁の下で、固定環の切替軸が折れています。中央から戻す操作にも、もう応じません」
技師は二本の帯をなぞった。赤い帯が太くなったところで青い帯が曲がり、交差点の余白が消えている。最初は間違った指示で動いた。いまは、壊れてその形から動かせない。
「両国から中止命令は?」
「両方、受けています。これから非常用の放流器を外側から開きます。制御器を使わず、場を少しずつ外へ逃がす。修理艇はもう出ました」
窓の外で、小さな作業灯が列の下へ潜った。軍艦の主機を切っても流れは消えず、場を消せば十二の宮殿も同時に支えを失う。今すぐの停電は、停止ではなかった。
技師は修理艇から届いた映像を大きくした。放流器の扉の前に、青い船腹がある。流れの内側へ艇を止めるには、軍艦から牽引索を取る必要があった。
「古い出口を、外から手で開きます。左右へ同じ量ずつ逃がさないと、片方の流れがもう片方へ出る。青と赤から一隻ずつ、作業艇を支えてもらいます」
「時間は」
「順調でも一時間。損傷した艦が、そのあいだ隣の列へ出ないように支える必要もあります」
ターラは窓を見た。太鼓を売ってどうにかなる額ではない艦が、ゆっくり同じ場所へ戻ってくる。
「私たちが演奏して、早められる部分は?」
「ありません。客席との線は切りました。戻さないでください」
ミナは楽器を握っていた手を緩めた。できることが分かったときより、できないと言われた方が、腕が急に重くなった。
客席の中継に声が上がった。画面の赤い艦へ矢印がつき、《青艦を包囲》という字幕が入る。反対側では、接岸桁へぶつかった青い艦だけが大写しになった。モルナが送った事故説明は、どちらでも読み上げられていなかった。
両国の艦長は救出作業に同意していた。だが本国からは、自国艦の周囲へ相手の船を入れるなと照会が来ている。いま必要な作業が、窓の外では相手の側へ近づく動きになる。
「公演回線を、現場の共同中継へ貸してください」
モルナが言った。
「ここからなら、両国へ同じ画面を出せます。舞台の中継は、まだ両方の局が切っていません」
ターラはすぐに許可した。歌劇の時間をどう使うかは、劇団に任されていた。事故の映像と避難案内の間で、準備のできた役者だけが演じる。艦の通信が来たら、途中でも音を止める。
それを決めたあと、ターラがヴァロへ言った。
「次の幕、こちらが落とす。そちらの公演を前へ出しましょう」
「なぜ」
「いま、セラを皇后にしたい放送がある。私たちが引けば、少し静かになる」
セラが光輪のスイッチを切った。
「私が引いたあとは、あの広告だけが残ります」
ターラの顔が、ヴァロからセラへ戻った。
「歌うなとは言っていない」
「何を歌うかを、まだ聞いていません」
ヴァロは予定表を開き、破片を片づけている者の名前を次幕の列から脇へ移した。
「天蓋なしで短くする。通信を優先する。競演を捨てたとは、まだ告げない」
彼はモルナへ、その条件を書面でも残すよう頼んだ。ミナはセラの消えた光輪を見ていた。客席の灯が軍艦を動かさなくなっても、自分たちが何をしたかは、すぐ別の意味で外へ出ていく。
「前奏を減らしたのは、なぜ」
ミナはイリヤへ聞いた。
「歌が入りにくくなった」
「私のせい?」
「私も足した」
イリヤはそう言って、唇を濡らした。舞台では一度も見せなかった動きだった。
「同じところで、二人とも足さない方がいい」
ミナは答えようとして、切れたところを歯に当てた。イリヤがそれを見る。ミナは管を持ち上げ、まだ吹けると示した。
イリヤの隣で、合唱団員が水を飲もうとしていた。口論のあいだ、蓋を持ったまま待っている。
ミナは先に半歩よけた。イリヤも黙った。
アルマがセラを見た。
「あの方、膝を痛めていたでしょう」
「舞台へは連れていきませんでした」
「ええ。途中で気づいたのね」
アルマはセラの光輪に触れず、肩から落ちた布だけを直した。
「あの高いところ、もう一度聞いてもいい?」
セラは目を伏せた。
「次は低くできます」
「低く?」
ミナは二人の間へ入りかけて、止まった。セラが何を避けているか分かっている。そのことを、セラより先に言うのは嫌だった。
アルマは壁際へ移り、客席から見えない場所を空けた。セラはそこで一節歌った。さっきより低い声。高音へ入る手前で、言葉の輪郭が硬くなる。
「今のだと、最後の言葉を聞き落とすと思う」
「似てしまいます」
セラはようやく言った。
「高くすると。あの人に」
アルマは耳飾りを外し、割れた留め金を机へ置いた。片方だけになっても、そのことには構わないようだった。
「私なら、高い方を使う」
「聞き違えられてもですか」
「聞きに来る理由まで、私には選べない。昔の恋人に似ているから来たという客もいる。その人が二度目に何を聞くかは、公演で変えられる」
セラは口を開いたが、別の声が割り込んだ。モルナの置いた端末から、エルダ側の中継担当が抗議していた。退避案内の待ち時間に流れた例の広告を、止めてほしいという。
『あの声のあとに、冠のもとへ戻れと流れている。うちの客には、帝国の退去命令で家を失った人もいるんです』
アルマが音量を下げようとすると、セラが手を止めた。
「この人たちは、私を聞きに来たのではありません」
アルマは端末をセラへ向けた。返事はしなかった。
セラは担当者へ名乗り、広告の音が編集されたものであることを伝えた。訂正を出しても、流れた音が戻ってこないのは分かっていた。言い終えると、次幕の婚礼品の目録を開いた。原典の暁姫は、星も門も船も、自分のものとして贈る。
「歌詞を、変えます」
アルマは目録を読んだ。
「私はこちらを歌う。領土を持っている姫の役だから。あなたは、何も持たない姫にするのね」
「はい」
「合わせる場所だけ、教えて」
ミナはコルネットを腿に置いた。二人を同じ歌詞へ揃えなくていい。そう考えると、初めてセラの消している言葉を、急いで音へ戻さずに見ていられた。
モルナ事務局長が端末を抱えて駆けてきた。
「倒れた架台は固定しました。病室からも連絡が。運ばれた係員は、足の骨折です」
モルナは言い終えるまで、ルクの方を見なかった。
「艦の整備員は」
ルクが聞いた。
「運び出せたそうです。まだ、詳しくは」
ルクは頷き、借りた太鼓の紐を短くした。
モルナの礼服の膝が白く汚れていた。ミナは、彼女がさっきまでどこにいたかを初めて知った。
《贈与の競べ》は、婚礼品を示す場面だ。天蓋を失っても、《ルミエラ》の楽団と合唱は残る。客席には状況が告げられ、希望する人は内側の避難区画へ移った。観客の採点は公演の記録として残すが、航路へは送らない。出ていった人を呼び戻すことはしなかった。
ヴァロは笑わなかった。
「第二幕はやる。来期の優勝公演も、まだ捨てない」
「このあとで?」
「《ルミエラ》はこの祭典のために一年準備した。二百六十人が働いている。優勝公演が取れなければ、来期の契約を三つ失う」
ヴァロはそこで、破片を集める者たちから目を戻した。
「三つのうち、冬の定期公演は単独優勝が条件だ。三十公演。合同扱いでも落ちる」
ミナはイリヤを見た。彼女は頷かなかった。譜面を持つ指だけが、一度強くなった。
「事故の記事では埋まらない」
鏡廊の向こうで、衣装係の若い男がアルマの長い裾を畳んでいた。
その手は速かった。
一度畳んだ布を開き、折り目が一筋ずれたのを直し、もう一度畳む。
隣では合唱団員が破片の袋を結んでいた。口は閉じたまま、片方の手で次幕の拍を取っている。
一年。
ヴァロだけの一年ではない。
二百六十人が、舞台へ見えない時間を積んできた。
ミナはイリヤを見た。
彼女は譜面の角を揃え、端に小さく何かを書いていた。ミナには音符が見えた。自分が前奏で足した、二つ目の装飾だった。
「それ、私の?」
イリヤは鉛筆を止めた。
「合唱の息が入りやすかった」
書き終えると、そのページを伏せた。
正しさは、金持ちの飾りではなかった。
あの劇団が食べていく方法だった。
ターラも笑わなかった。
「うちは今月勝たないと船が止まる。四人を降ろしたら、次に集められるかも分からない」
ターラは言ってから、ポロを探すように振り返った。彼はまだ破片を拾っていた。
モルナが、客席の退路を確保したと知らせた。帰る客を止めず、残る客には頭上の飾りから離れた席へ移ってもらう。窓にはまだ青い船腹が近かった。休演の間も、あの位置からは出せなかった。
「第二幕は、中継の連絡が来たら止める。客席からも、いつでも出てもらう」
ターラが言った。
ヴァロは頷き、自分の舞台へ戻った。イリヤも続く。ミナが「次、聞くから」と声をかけると、彼女は振り返り、小さく頭を下げた。
鏡廊の扉が閉じた。
ターラが両手を打つ。
「第二幕は短く。競り合って伸ばさないで」
ルクが首を傾げた。
「幕を上げると決まると、元気になるな」
ターラは答えなかった。
セラが、畳んだ婚礼品の目録を指揮台へ置いた。
「歌詞は変えます。私の持っていない星を、私の贈り物とは歌えません」
「負ける幕でも?」
「はい」
ターラは目録を開いた。余白にセラが書いた短い歌詞がある。読み終えても、すぐには紙を返さなかった。
「客を取るわね、これ」
「私の仕事です」
ポロが扇の蝶番を指で押さえていた。
「ここは替えた。あとは支える人が要る」
ターラはセラへ紙を返した。
「鏡は一度だけ。歌は削らない」
ミナは座長を見た。負けるという予定と、いま選んだ舞台が噛み合わない。誰も気づかなかったわけではなかった。




