タイガ・ガルドノスの心 その2
俺は矮小な魔族として魔界に生まれ落ちた。
生まれたての貧弱な俺を迎えたのは、魔界の悪意から伸びた爪と牙だった。
俺は襲い掛かってくる無数の魔族や魔物達と戦った。
弱かろうが、生き残るためには死に物狂いで爪を振るい、牙を突き立て、勝ち残るしかなかった。
数え切れぬほどの敵を屠ってきた。
だが不思議と疑問は沸かなかった。
弱肉強食――それが魔界の絶対にして唯一のルールだと、魔核に刻まれた本能が知っていた。
死線を越えるたびに俺は力を、魔力を増していった。
躯体が大きくなり、爪と牙の硬度と鋭さが上がった。
魔核から溢れる魔力が、全身を覆う毛皮を硬く強化した。
俺はもう貧弱ではなかった。
俺は更なる強さを求めた。
強くなる事が喜びだった。
強くなるための闘争が俺の血を沸き立たせた。
闘争こそが、”生”の証しだった。
俺を高みへと誘ってくれる極上の闘争を、強敵を求めて、俺は魔界を渡り歩いた――。
闘いの日々が数万年を過ぎた頃、既に七大魔王のひと柱を討ち倒していた俺は、魔界最強の大魔王として恐れられるようになっていた。
元四魔にして最古の大魔王、ゼクス・ザリオンですら、俺との闘争を避けた。
その時の俺にとって、弱者は有象無象の塵芥でしかなかった。
命など泡のように沸いては消えていく物だと思っていた。
俺は何の感慨もなく、魔族も、天族も、人族も、魔物も、有象無象共はゴミ屑のように捻り潰してきた。
だがこの爪がティアの大切なモノを奪っていたと知った時、心に重石が圧し掛かった。
押し潰されそうな罪悪感と、築き上げてきた信頼が失われる恐怖を感じて、背筋が凍り付き、頭の中が真っ白になった。
全てが初めての経験だった。
思えばティアと出会ってからたった数年の間に、俺は数万年の生で感じたことのない経験を沢山味わっている。
その経験の1つ1つが、俺を無慈悲な暴虐の大魔王から変えてしまった。
いつの間にか、ティアの存在が俺にとってかけがえのない大切なものへと変わっていた。
俺にはティアが憧れている”家族”というモノが何かはわからなかった。
何故なら魔族や魔物は、土に生えてくる雑草のように、魔素の中から勝手に湧いて出てくるモノだからだ。
堕天して魔界へ移り住んだ元天族の大魔王ルーヴァのような例外を除けば、魔のモノには父親も母親もなければ、兄弟も家族もない。
人族や天族とは生まれの根本から異なり、個があるのみなのだ。
ただ”両親”と呼ばれるものがどんなものかはわかならくとも、ティアにとってとても大切なモノだという事は理解できた。
ティアはいつだって本当の両親に会いたいと願っていた。
夜になると、捨てられたのは愛されていなかったからでは……と、時折り不安になって眠れずにいる姿を見た事がある。
そのたびにティアは頬を叩いて想いを奮い立たせ、前を、上を向いてきた。
両親との再会を願うティアの想いは、魔界に到達してしまうほどに強かったのだ。
だが――。
俺はあの日の事を決して忘れない。
”審判の時”と呼ばれる、神々の計略によって作られた神器『神の一滴の涙』の伝承の最終章。
それは七大魔王のひと柱――大魔王ルーヴァによって、真実が明かされた所から始まった。
舞台は魔界にある俺の城の玉座の間だった。
本当の両親の死と、その原因を知ったティアは、溢れた涙をぼろぼろと零し、絶望の表情で俺を見つめながら膝から崩れ落ちた。
だがその時に真実を知ったのは俺も同じだった。
俺が天魔大戦で殺した無数の有象無象の中に、ティアの本当の父親と母親がいた……!
驚愕と同時に、胸に感じたことのない痛みが走った。
悲痛に歪んだティアの視線は、俺の魔核を芯まで貫き、指先まで瞬時に冷たくさせた。
言葉が……声が出せなかった。
絞り出すようにティアの名を口にするも、繋ぐ言葉は何を言えばいいのか……何て言えばいいのか……わからなかった。
俺はただ涙に濡れるティアの瞳を見つめ返し、届かない手を伸ばす以外できなかった。
ルーヴァはその隙を突いて、ティアが赤ん坊の頃から肌身離さず持ち歩いていた涙の形のペンダント――神器『神の一滴の涙』の権能を発動させた。
神器の権能を発動させることが出来るのは、その神器と運命によって結ばれた者――真の所有者だけだ。
人界の孤児院の玄関先に捨てられていたティアが持っていた唯一の持ち物が神器で――。
その神器の真の所有者が、過去視の力を持ち、歴史の真実を知る魔界に住む大魔王ルーヴァで――。
そして何も知らないティアは神器を魔界へ持ち込み、神器とその真の所有者であるルーヴァとを引き合わせた――!
これは決して偶然などではなかった。
全ては1500年前から神が仕組んでいた計略だったのだ。
そしてルーヴァはそれが意味する所を――神器『神の一滴の涙』の伝承を理解した上で、神器の権能を発動させた。
神器の権能によって感情のタガを外されたティアは、膨れ上がった怒りと憎悪の感情に飲み込まれた。
全身から溢れ出た可視化できるほどに濃密な魔力に包まれたティアの姿は、まるで魔の深淵が産み落とした卵のようだった。
その漆黒の卵が割れた時、噴出した濃密で膨大な魔力と天力の奔流によって、俺の城が上半分吹き飛んだ。
立ち込める煙が薄まり、姿を見せたティアの両目からは赤い血の涙が流れている。
瞼を開いたティアの目は、魔族のような深紅の瞳へと変わっていた。
黒かった髪は天族のように黄金色に輝き、背中からは漆黒の翼が生えている。
俺への憎しみが、ティアを堕天させてしまった……!
いや、ルーヴァが言うには、ティアは堕天とは違う変化を遂げたらしい。
天族は堕天すると奴らにしか見えない頭上に輝く天輪を失い、代わりに魔核を得るという。
しかしルーヴァは、ティアの頭上に決して相容れることのない天力と魔力が複雑に絡み合った、禍々しい天輪が見えると言った。
確かに魔のモノなら必ず持っているはずの魔核の存在が、ティアの身体のどこからも感じられなかった。
火と水のように相容れない関係にある魔力と天力の両方を、打ち消し合うことなく整合させ、重ね合わせるようにその身に纏う新たな存在――ルーヴァはティアを、”天魔”と呼んだ――。




