沸き上がる疑念と襲い掛かる失意 その2
カッシェさんから聞かされたティアさまの評判は、余りにも衝撃的で、わたしは頭の中が真っ白になっていた。
気が付けばいつもの乗合馬車を素通りして、別方向の乗合馬車へと乗り込んでいた。
行き先は解呪専門店くろとら――カッシェさんが言っていた事が本当の事なのか、ちょっと確かめるだけです。それだけです。
乗合馬車を降りたわたしは、大通りから以前通った道を逆へ進む。
しばらくするとスラム感が増してきて、お店が見えてきた。
お店の前に着いたわたしは、カウンターにいるであろうティアさまに気づかれないように、そっと窓ごしに店内を覗き込んだ。
思った通り、ティアさまはカウンターにいた。
胸にツキンと痛みが走る。
カッシェさんが言った通りだった。
ティアさまはカウンターにつっぷしていて、気持ち良さそうに寝息を立てていた。
わたしは足音を立てないように、静かにその場を後にした――。
その日の夜。
「あれぇ? ライラちゃん、具合でも悪いのら? 全然食が進んでないらよ」
ティアさまはいつものように、晩酌で気持ちよさそうに酔っぱらっている。
普段なら心配しつつも微笑ましかったこの光景が、いまはわたしの心を酷くざわつかせる。
「あまり食欲がないので……」
「そうらの? ちゃんと食べないと大きくなれないらよぉ?」
ティアさまはグラスを大きくあおると、一気に飲み干した。
そして間髪を入れずに空になったグラスに手酌でワインを注ぎ込む。
「ティアさまこそ、飲み過ぎはお体に悪いですよ」
「えへへ~。大丈夫らよぉ。わらしは健康体らし、お酒は百薬の長ってね!」
イライラが募る。
「それは嗜む程度に飲んだ場合ですよね。ティアさまの場合は、ちょっと飲みすぎではないですか? お母さまも心配していましたよ」
「えっ、エンリが?」
「いままで言えませんでしたが、わたしはお母さまからティアさまが飲みすぎているようなら嗜める様にと言付かっているのです」
ティアさまの顔が青ざめる。
「1つお聞きしたいのですが。時々夜に出かけているのは、どこに行っているのですか? まさか酒場ではないですよね」
「さ、酒場? 一体らんのことかな?」
泳ぎまくるティアさまの目と分かり易いくらいの動揺。
わたしは小さくため息を吐いた。
「お母さまが言った通りです。ティアさまは嘘がとても下手ですね」
呟いて、わたしは椅子から立ち上がった。
「ラ、ライラちゃん?」
「気分が優れないので、先に失礼します」
わたしは殆ど手をつけていない夜食と、呆然とするティアさまを残して食堂を後にした。
階段を上って部屋へ向かう。
違う。本当は逃げだしたのです。
あのままティアさまの顔を見ていたら、取り返しのつかない言葉を口にしてしまいそうだったから……。
「ライラさん、何か心配事でもあるのですか?」
マリーさんがわたしを案ずるように顔を覗き込む。
「どうしてですか?」
「だって、今日は朝からずっと心ここに在らずって感じでしたから」
そんなにぼーっとしていたのでしょうか?
よくないですね……わたしは魔法学園に学びに来ているというのに。
ちゃんと気を引き締めなくては。
……でも、ふと気が付くとティアさまの事を考えてしまうのです。
わたしの憧れ。救世の英雄さま……。
「マリーさんは救世の英雄ティアさまの噂をご存じですか?」
こんな事、誰かに尋ねるつもりはなかったはずなのに、ついポソリと言葉が口に出てしまった。
マリーさんは少し難しそうな顔をしたあと、微笑んだ。
「確かに悪い噂はありますけど、でもそれは仕方がないんですよ」
「仕方がない……ですか?」
「はい。英雄ティア・エルカードさまは、わたし達を守るために魔界へ渡り、尋常ではない戦いに挑んだそうです。その時に受けた大怪我と魔界で患ってしまった病気のせいで、いまは養生の身だという噂です」
不確かな噂……病気のことは、はっきりと否定できます。
何故なら昨晩、ティアさま本人が健康体だとおっしゃっていましたから。
ただ……ティアさまが大怪我を?
タイガちゃんは可愛らしい猫ちゃんですが、あれは魔力を最小限まで抑えている姿だそうです。
カッシェさんが言われていた通り、本気になった魔界の大魔王というのは、人が蟻に見える程に巨大で、膨大な魔力と強靭な力を持った怖ろしい魔物なのでしょう。
そのようなモノを相手にして、勝つだけでも想像を絶するというのに、まして無傷でいられるはずがありません。
名誉の負傷のせいであれば、悪い評判の方が義に反しているということになります。
そうです。きっとそうなのです!
確かめなくては。
そうすればきっと、このざわつく心とモヤモヤは晴れるはずです!
「マリーさん、ありがとう!」
わたしはマリーさんの両手を握り締めた。
◆◆◆
~ アメリア視点 ~
まったく忌々しい!
フレイディールの貴族の娘であるわたくしが、衆目の前であのような無様を晒すだなんて……!!
怒りに震える手が止まらない。
あの下賤の血が混じった半端者め! 絶対に許しませんわ!!
激情を内に秘めるように、開いた扇子で口元を隠す。
……とは言え、ロンブルク王国の王族と噂されるアレックスさまが目を光らせている間は、こちらも迂闊なことはできませんわ。
わたくしとは関係のない所で……できるなら魔法学園の外で、どうにかあの女を泣かせることはできないかしら……。
「アメリアさま! わたくしたった今、偶然にもとても面白い話を立ち聞きしましたの!」
教室の扉を勢いよく開いて、わたくしの取り巻きのひとりが早足で駆け寄ってくる。
「騒々しいですわ。一体何事ですの?」
「こちらへ向かう途中、廊下で偶然耳にしましたの。あのライラとカッシェの密談を」
あらあら。相変わらず、この子は悪い顔をしますわ。
だけどこの子がこういう顔をするとき、いつもわたくしにとって有用な情報を持ってくるのですわ。
わたくしは扇子のこちら側で微笑んだ。
「とても興味深いですわ。詳しくお聞かせくださる?」
「――ということなのです」
「あの英雄ティア・エルカードが、ハリボテの英雄だったですって?」
”無能”に”ろくでなし”。まさに下賤に相応しい称号ではありませんの。
パチリと扇子を閉じる。
「ふふふふ……。わたくし、良い事を思いつきましたわ」
みていなさい、ライラ!
貴女が憧れる英雄の化けの皮を目の前で剥ぎ取って、下賤の血は所詮下賤なのだと思い知らせて差し上げますわ!




