新米女神が抱える小さくて大きい問題
リンリン。
「うぅ……」
階下から鳴り響く呼び鈴の音に意識を覚醒させたわたしは、差し込むような頭痛に小さく唸った。
もぞもぞと枕を抱き寄せて身をよじる。
この痛み、またやっちゃったなぁ。
完全な二日酔い。
ベッドの上で丸くなりながら、昨夜の記憶を寝ぼけた頭でたどり寄せる。
……あぁ、そうだ。
昨夜は街の酒場で見知らぬ人達と盛り上がって、しこたま飲んだんだっけ。
じんわりと記憶を取り戻してくる中で、やっぱり家までどうやって帰ったのかが思い出せない。
でもこうして自宅のベッドに寝ているという事は、いつものようにタイガが運んでくれたと言う事なのだろう。
リンリン。
再び呼び鈴が響くと同時に、ズキンと頭痛が跳ねた。
「むぅ……うるさいなぁ」
薄目を開けてベッド脇に置いてある時計を見ると、時間はまだ9時。
わたしが営む解呪専門店『くろとら』の開店は10時だ。
開店前のこんな早朝に押しかけのお客さんなんて珍しい。
お店が繁盛していた時以来かも?
……もしかして余程緊急の用事なんだろうか。
例えば命に係わるような、危険な呪いを受けてしまったとか?
「ふぅ……」
無視して二度寝したいところだけど、そうだとしたら大変だ。
重い頭を持ち上げて、わたしはふらつきながら上半身を起こしてベッドから降りた。
「うぅ……頭痛い」
立ち上がるとまだ目覚め切っていない身体がふらつく。
まるで全身に、びっしりと鉄の塊を縫い付けられているかのようだ。
頭を抱えながらシーツの乱れたベッドを見下ろすと、枕元には黒猫のタイガが丸くなって寝息を立てていた。
わたしの何倍も食べ、そして同じくらいお酒を飲んでいたはずなのに、このいつもと変わらないやすらかな寝顔にはちょっぴり腹が立つ。
タイガは魔物だからか、それとも魔界の大魔王ゆえの抵抗力か、どんなに飲んでも二日酔いにならないんだよね。
わたしはこんなに二日酔いがツライのに、なんだか不公平だ。
わたしはタイガのお腹の毛束を摘まむと、ひょいと引っ張った。
にょんと猫のお腹が伸びる。
これで起きれば軽口でも叩いてやろうかと思ったのに、タイガは目を覚ますことなく寝息をついたままだ。
前足の肉球をふにふにしても、しっぽを掴んでも成されるがままだった。
これが野生を捨てた家猫――もとい、魔界の大魔王の成れの果てか。
フフフ、哀れな奴よ。と、今度はタイガの頬をつまみながら微笑んでいると、催促するようにまた呼び鈴が鳴った。
なにやら怒声に似た叫び声まで聞こえてくる。
いけない。タイガで遊んでる場合じゃない。やっぱり余程急ぎなのかも。
眠気が抜けて頭が冴えてくる。
身体の方もようやく起き始めたようだ。
わたしは深呼吸をしながら大きく伸びをした。
さっきまでとは違い、しっかりと床を踏みしめて立ち上がる。
顔を洗って、ちゃんと着替えもしたいところだけど、お客さんをこれ以上待たせては申し訳がない。
テーブルの上に置いてあったアンダーリムの眼鏡を手に取ると、わたしは身に付けた。
「は~い」
とりあえず大きな声で返事をして、わたしは大急ぎで寝間着姿の上にローブだけ羽織ると、ドレッサーの三面鏡で寝癖の有無だけ確認する。
鏡に映るのはブルネットのショートボブ、そして透き通るような碧眼の瞳を持つ、眼鏡をかけた見た目年齢15歳の少女の姿だ。
女神になった影響か、それともわたしの中に流れる天族の血のせいか、どうやらわたしの見た目は15歳のまま止まってしまったらしい。
わたしが神の領域へ至ったのは18歳のときだから、どちらかと言うと天族の血の可能性が高いのかな?
どっちにしても、正確な原因はわからない。
わかっているのは、わたしも創造神クリエやレイスリーと同じように、永遠とも言える神の寿命を手にしたということだけだ。
濡らした手で右側頭部に大きく生えた寝癖を押さえながら、わたしは階段を駆け下りた。
息を切らしながら1階の店舗フロアへ出て、入口ドアの鍵を開ける。
ドアを開けると、そこに立っていたのは呪いに苦しむ重傷者……ではなく、血色の良い健康そうな顔をした、しかめっ面の初老の女性だった。
彼女の事は知っている。
わたしの住むこの二階建ての店舗兼住居を貸し出している大家さんだ。
大家さんと会うのは、去年この店舗にお店を移した時に、賃貸契約のために会って以来だ。
わたしは大家さんに笑顔で挨拶をした。
大家さんが睨むようにわたしを上から下まで一瞥する。
「なんだい若い娘がそんな恰好で。まさかこんな時間まで寝てたのかい?」
ローブの隙間から、リンゴ柄のツーピースの寝巻が覗けているのを見たのだろう。
「えへへ。でも『くろとら』の開店時間までまだ1時間あるから」
決してお寝坊さんではないのだよ。というアピールだ。
「解呪専門店ねぇ。あたしゃこの店に客が入ってるところをとんと見たことがないがね。あんたこの商売何年目なんだい?」
大家さんが訝し気な表情でお店を見て言う。
ぐぬぬ……確かにここ数年、客足は遠のくばかりだけども……。
週に一人……いや、最近では月に一人来るかどうかだけれども……。
わたしは落ち込んでいく気持ちを取り直すように「コホン」と小さく咳払いを挟んだ。
「確か今年で10年目かな? これでも開店当時は結構賑わってたんだよ。常連さんも沢山いたし。でも今は遺跡のダンジョンの攻略情報が行き渡っているからね」
遺跡のダンジョンとは、20数年前に王都ラザーニの近くで発見された地下ダンジョンだ。
呪われる原因の筆頭は、断トツでダンジョン内の宝箱に仕掛けられているトラップだ。
だからダンジョン攻略に挑む冒険者達が、解呪専門店『くろとら』の主たる顧客層なのだけど……。
攻略情報が爆発的に共有されてしまうと、呪われる人も必然的に減っていってしまったのだ。
「ふん。まああんたの商売だ。あたしの口出す事じゃあない。払うもんさえ払ってもらえりゃね」
そう言って大家さんは手の平を上にしてわたしに右手を差し出した。
「えーっと……?」
意味が解らず、わたしは首を傾げた。
「家賃だよ。や・ち・ん!」
「へ?」
一瞬、大家さんが何を言ってるのかわからなかった。
「えっと、家賃は冒険者ギルドの預かりサービスから自動で振り込まれるようになってるよね?」
賃貸契約のときにそういう手続きを行った。
だからわたしが何をしなくても、貯金から自動で引き落とされるので、支払われないはずがない。
大家さんがジト目でわたしを見る。
「先月から振り込まれてないから、こうしてわざわざ足を運んで徴収に来たんだがね!」
「ええ!?」
驚いて手を離したせいで右の寝癖がぴょこんと復活する。
どういうこと?
まさか貯金が尽きた?
いやいや、残金は十二分にあったはずだ。
確かにお酒や大飯食らいのタイガの食事代でお金は使ってきたけれども……あと孤児院への支援金と……でもこれらは予定していた出費だ。
ざっくりとした試算では、それ以外に余程想定外の大出費でもない限り、無収入でもあと十数年は余裕で持つはず。
「家賃は1ヵ月分先払い。そして2ヵ月分以上の延滞は即強制退去って契約書にも書いてあるんだ。忘れたなんて言わせないよ」
ずずいっと、大家さんが威圧するように顔を寄せる。
強制退去!?
眼前の大家さんがギロリとわたしを睨み上げる。
背中に嫌な汗が流れた。これは……本気の目だ。
「あ……あの、わたしも何がどうなってるのかわからなくて。冒険者ギルドに確認するので、少しだけ待ってもらってもいいかな」
「ふん。まぁ今回は初めての延滞だしね。お情けで1週間だけ待ってやる。ただし! それまでにきっちり耳を揃えて払われなかったときは、その場で即刻出て行ってもらうからね!」
「はい……」
深々と頭を下げるわたしを尻目に、ぷんぷんと怒りを肩で呼吸しながら大家さんは去っていく。
「一体全体どうしてこんな事に……?」
呆然とするわたしは、大家さんを見送りながら肩を落とした。




