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自己消去の選択

終わりは、突然訪れるものではない。


積み重ねてきた選択の先に、

静かに辿り着くものだ。


戦いも、痛みも、迷いも。


そのすべてが、この瞬間へと繋がっている。


誰かを守りたいという想い。


理解しようとする意志。


そして、手放す覚悟。


それぞれが選び、それぞれが背負ったものが、

今、一つの結末を迎える。


これは終わりであり――


同時に、始まりでもある。

廊下の空気が――方程式で満ちていた。


文字通りに。


ヴァレンタインの周りを数式記号が浮遊し、渦を巻きながら、より複雑なパターンへと再構成されていく。ただの光の投影じゃない。空気中にその重みを感じた。まるで物理法則そのものが捻じ曲げられ、武器として再定式化されているかのようだった。


「準備はいい?」


隣でりんが低い姿勢で呟いた。


頷いた。質問というより確認だろう。準備ができてるかどうかなんて関係ない。準備しなきゃいけないんだ。


ヴァレンタインが微笑んだ――あの静かで恐ろしい、目には届かない笑みを。


「君たちのすることは無意味である。私が勝者だ」


方程式が放たれた。


弾丸でも、エネルギー光線でもない。概念が力となったものだ。加速度の公式が圧力の波として実体化し、僕たちを後ろへと押し飛ばした。密度の方程式が目に見えない壁を作り出し、りんは転がってかわさなければならなかった。


糸を伸ばし、方程式を絡め取ろうとした。だが糸をすり抜けていく。存在しないかのように。


……物質じゃない。純粋な応用数学だ。掴めるわけがない。


「左よ!」


りんが叫び、僕を押した――ちょうどベクトル力の記号群が立っていた場所に激突し、床を砕いた瞬間だった。


反撃した。糸をヴァレンタインに向けてではなく、床と壁へと送り、瓦礫を持ち上げて投げつける。


ヴァレンタインはほとんど指を動かさず、分解の方程式が瓦礫を塵に変えた――届く前に。


「まるであたしたちの動き読んでるみたい!」


りんが喘ぎながら、運動エネルギーの投影を強化された腕で防いだ。


「読んでるんじゃない、計算してるんだ!あのスキルは確率を予測してる!」


ヴァレンタインが静かに笑った。


「聡明だな、少年よ。『無限演算カルキュレーション』は全ての物理変数をリアルタイムでモデル化する。君たちの質量、速度、筋肉の意図……全てが数値に還元されるのだ。そして数値は決して嘘をつかない」


新たな公式が彼の前に形成された――今度は不吉な赤で輝いている。


本能的な危機感が走った。


「りん、離れて!」


だが致死的な方程式が放たれる前に、弱々しくも聞き覚えのある声が廊下の反対側から響いた。


「やめてください!」


全てが止まった。


顔を向けた瞬間、世界が一点に収縮したような気がした。


ひめか……!


そこに居た。小次郎と武蔵に支えられ、青白く震えているが、目は決意で輝いていた。しずくが彼らの横に立ち、薄い保護のエネルギーシールドを展開している。


安堵が物理的な波のように僕を打った――一瞬、呼吸の仕方を忘れるほど強烈に。


生きてる。ここに居る。


だが安堵と共に他の感情も押し寄せてきた。彼女がどれほど弱々しく見えるかへの怒り、もっと早く辿り着けなかったことへの罪悪感、そして彼女をここまで連れてきてくれた小次郎たちへの深い、燃えるような感謝。


ヴァレンタインがゆっくりと手を下ろした。赤い方程式が消えていく。彼の顔に初めて本物の感情が浮かんだ――驚き。そして困惑。最後に怒り。


「どうして……?」


呟いた。その目が彼らの向こうを見据える。


「リヒター博士は? 他の科学者たちはどこだ?」


小次郎がひめかを支える腕を調整し、声を固く保った。


「誰かが助けてくれたんだ。君の科学者たちを倒し、僕たちに道を開いてくれた人が」


ヴァレンタインの顔が目に見えて青ざめた。その目が素早く動き、計算し、再評価している。彼の頭の中で歯車が回転し、確率が変化し、方程式が失敗していくのがほとんど見えるようだった。


……制御を失いつつある。初めて、計算が期待した結果を出していない。


ひめかが目に見える努力で小次郎と武蔵の支えから静かに抜け出した。一瞬よろめいたが、背筋を伸ばした。その目が僕の目を捉え、小さく、しかし本物の笑みが唇に浮かんだ。


「来てくれると分かっていましたわ」


掠れているが揺るぎない信念に満ちた囁きだった。


喉に何かが詰まったような気がした。


「当然だ。君を置いていくわけがない」


視線が交わった――その一秒が、語られなかった何ヶ月分もの感情、心配、静寂と逆境の中で育った好意を含んでいるかのようだった。


それから、ひめかが僕の向こう、ヨルムが生成した青い力場に封じ込められているエーテリアル原初の方を見た。エーテリアルはその中で身をよじらせ、形が絶えず無定形の塊と……子供? の輪郭の間で変化していた。


今まで気づかなかったが、エーテリアル原初が子供を思わせる形に適応していた……


……何が起きてる? 僕は何を見逃してるんだ?


何も言わず、ひめかがエーテリアル原初に向かって歩き始めた。


「ひめか、だめだ――」


手を伸ばしかけた。


彼女が止まり、振り返った。その目に恐怖はなく、ただ悲しい決意だけがあった。


「わたくしを信じてくださいませ、アレン。お願いします」


息を呑んだ。


全ての本能が彼女を止めろ、守れ、あれほど多くの痛みを引き起こしたものから遠ざけろと叫んでいた。だが彼女の眼差しの何か、形となった恐怖に近づく静けさの何かが、僕を止めた。


一度、短く頷いた。


ひめかは歩き続け、一歩ごとに前より確かな足取りになっていった。封じ込めフィールドの端に着いた時、ヨルムが彼女を見て躊躇した。


「通してあげて」


僕は言った。自分の声が奇妙に聞こえた。まるで他の誰かが代わりに話しているかのように。


ヨルムが頷き、フィールドに小さなポータルを開いた。ひめかがそこを通り抜け、フィールドが後ろで閉じた。


中で、エーテリアル原初が瞬時に静まった。身をよじることを止めた。影の塊が凝縮し、圧縮され、以前見た子供の形を取るまで――


「パパ……」


多重の声が言った。だが今は混乱し、哀れっぽく聞こえた。


ひめかがその存在の前に膝をつき、同じ高さになった。手を伸ばしたが、触れるためではなく、開かれた仕草として。


「聞いて。注意深く聞いてちょうだい」


優しく言った。


影の子供が首を傾げた。


「きいてる、パパ」


「わたくしはあなたのパパじゃないの」


ひめかは声を落ち着かせたまま、しかし固く保った。


「見て。わたくしが違うって分からない? わたくしは女性よ。あなたのパパはアロン・ウルフリックという男性だったの」


「でも、あなたのしゅうせい は……」


子供が抗議した。


「似ているのは、わたくしが彼の家族だからですわ。彼の血がわたくしの血管に流れている。わたくしは彼の……玄孫なの」


その言葉が封じ込めフィールド内の空気に漂っているようだった。


影の子供が完全に静止した。まるで処理しているかのように。


「かぞく……」


繰り返し、言葉を試している。


「……プログラムを きょうゆう するみたいな?」


ひめかが悲しげに微笑んだ。


「ええ。そんな感じよ」


「じゃあ……パパはどこ? なんであなたをおくったの?」


ひめかが一瞬目を閉じた。開いた時、目が涙で輝いていた――零れ落ちはしない涙で。


「彼は……去ったの。ずっと昔に。そして去る前に、あんたが無事であることを確かめたかったの。でも何かが間違ってしまった、そうでしょう?」


影の子供が頭を下に向けて震え始めた。何かを思い出しているようだった。


ひめかが手を伸ばし、影の子供の肩に触れた。


「わたくしが傷ついてるのを見た時、何を感じたか覚えてる? これ全部を引き起こした時?」


「いたみ」


子供が即座に答えた。


「いたみを かんじた。そして……そして、あなたを みて、パパが またけがしたって おもって……そして……おこった」


「それが痛みよ」


ひめかが優しく言った。


「人々に何か悪いことが起きた時に感じるものなの。そしてあんたがしたことは……みんなに痛みを与えてしまったの」


子供が長い間静止していた。それから小さな声で――


「いたみを あたえたくなかった。ただ……パパに もどってきてほしかった だけ……やくそく したゲームをいっしょに やりたかった……」


「分かってる」


ひめかが言い、今や目に涙があった。


「分かってる。そしてできたなら彼は戻ってきたはずよ。約束する」


影の子供には明確な顔立ちがなかったが、何かが――声の何かが深く悲しんでいるように感じた。


「ほかにも……パパみたいに しろい ふくを きた ひとたちが いた。パパに おこってた。『きけん』だって いってた……そのしろい ふくが、パパから あかい えきたいを だした。たくさんの。そのあと……ぜんぶが すうじに なった。くらやみに。そして……ゲーム」


「ゲーム?」


ひめかが尋ねた。


「パパを まつために つくった せかい」


子供が言い、声が今やより明瞭に、より正気に聞こえた。


「パパは せかいを つくる ゲーム を ためしてほしかった。だから、かれが いなくなったとき……ひとつ つくった。おおきな せかいを。るーる も、きゃらくたー も、みっしょん も……かれが もどったとき、いっしょに あそべるように」


背筋に悪寒が走った。


言及しているゲームは、間違いなくアカデミー関連の全てだ。エーテリアルは「敵」として。生徒たちは「プレイヤー」として。全ては……父を待つ子供が作った世界だった。


「でも、ゲーム は……こんらん した」


子供が続けた。


「キャラクターたちがたがいに きずつけあいはじめた。うごかなくなった ひともいた。オレは……どうなおすか わからなかった。ただまつことしか。あなたを かんじるまで。そして、パパだと おもった。ついにもどってきたって」


ひめかが涙を一筋頬に流した。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい」


「なんで?」


子供が本当に困惑して尋ねた。


「あなたは わるいことしてないよ」


「あなたが経験した全ての痛みに対して。孤独に対して。もっと早く真実を伝えられなかったことに対して」


影の子供が闇で形成された手を伸ばした。今度は、ひめかがそれを取った。エネルギーの移動も、力の閃光もなかった。ただ創造と喪失の遺産で繋がれた二つの存在だけ。


「いまわかった」


子供が言い、声が違って聞こえた――より柔らかく、より悲しく、しかしより本物に。


「あなたは パパじゃない。あなたは……かぞく。かれに いちばんちかい のこってるもの」


ひめかが頷き、静かに泣いていた。


「そして、いたみ は……」


子供が続けた。


「オレがパパからあかいえきたい が でるのをみたときにかんじたもの。そして、あなたが……きずつけられたっておもったときにかんじたもの。そして、ずっと、しらずにみんなに あたえつづけてきたもの」


「ええ」


ひめかが囁いた。


「痛みはその感覚よ。そして今それを知ったから、もうこれ以上与えないことを選べるの」


影の子供が自分の手を見た――壁を破壊し、傷つけ、多くの混乱を引き起こした手を。


「やめたい」


声が言った。かけがえのないものを壊してしまったことに気づいたばかりの子供の声だった。


「でも、どうやるかわからない。オレはかくしん。オレがそんざい すると、ゲームはつづく。キャラクターたちはきずつけあいつづける」


その時、ずっと沈黙で観察していたヴァレンタインが爆発した。


「ダメだ!」


叫び、初めて完璧な落ち着きが完全に砕けた。


「止めさせるわけにはいかない! この実験は私の人生だ! 私の傑作なのだ!」


指が飛び、これまでのどれよりも複雑な方程式を作り出した。だがそれを放つ前に、手が白衣の内側へと動き、僕が見ることを期待していなかったものを取り出した――本物の銃、金属製の、致死的な。


「許さんぞ、小娘が!」


ひめかに直接狙いを定めた。


前に飛び出した。だが間に合わないことが分かっていた。りんが叫んだ。小次郎が間に入ろうとした。


だが誰も何もする必要がなかった……


なぜなら青いエネルギーが、空のように明るく純粋な、銃に衝突したからだ。打ったのではなく――包み込んだ。そしてその光の下で、金属が崩壊し、空気中に散らばる金属粉に変わった。


ヴァレンタインが同じエネルギーが手を焼いた時、叫んだ――赤く水ぶくれになって。


全員が光の源を見た。


一つの人影が廊下の端に浮かび、ゆっくりと降下し、足が柔らかな金属音で床に触れるまで。深い青の鎧を纏っていた――複雑で未来的、胸に5iのロゴがある。顔は若く、おそらく三十歳を超えていないが、その目は……目には何世紀も過ぎるのを見てきた者の深さがあった。


「やめろ、アイザック」


新たに到着した者が言い、声が共鳴する性質を持っていた――まるで水を通して話しているかのように。


ヴァレンタインが後退し、顔が恐怖と認識の仮面になった。


「君は……どうやって……?」


「どうやってお前の封じ込めから逃げたかって?」


男が微笑んだ。悲しい仕草だった。


「決して封じ込められてなどいなかった、アイザック。お前がそう思っていると思わせていただけだ」


彼らに向かって歩き、一歩ごとが物理を超えた重みで響いた。ヴァレンタインの前で止まり、深い失望の表情で見下ろした。


「お前はオレの最も聡明な生徒だった。オレの右腕だった。研究における倫理について知っている全てを教えた。そしてこれが、その知識でお前がすることか?」


「倫理は進歩を妨げる!」


ヴァレンタインが絶望的に叫んだ。


「見てくれ、我々が達成したことを! 安定した人工意識だ! 自己維持する仮想世界だ!」


「他者の痛みを通して達成された」


男が答えた。


「子供たちの操作を通して。アロンの記憶への背信を通して」


男が僕たちの方を向き、軽く頭を下げた。


「自己紹介しよう。サンティ・ハイアワタだ。このアカデミーの創設者であり、かつて5iコーポレーションだったものの創設者でもある」


ただ凝視することしかできなかった。


創設者。ここに。直接。


サンティが最後にもう一度ヴァレンタインに向き直った。


「お前を正義の前に連れて行く、アイザック。アロンのために。お前が利用した全ての生徒たちのために。全てのために」


ヴァレンタインが抗議しようと口を開いたが、サンティが動いた。速い動きではなかった。瞬間的だった。瞬き。腹部への鮮やかな一撃、そしてヴァレンタインが崩れ落ち、床に触れる前に意識を失った。


新しい種類の畏怖を感じた。


あれはアカデミーのスキルじゃなかった。実体化も、象徴的なオブジェクトもなかった。純粋な速度だった。純粋な力。まるで彼のスキルが本物であるかのように――システムからのものではなく。


サンティが使った拳を見て、それから僕を――まるで思考を読んでいるかのように。


「いつか違いを説明しよう、若者よ。だが今日ではない」


それから封じ込めフィールドに向かった。そこではひめかがまだ影の子供の前に膝をついていた。サンティが近づくとヨルムがフィールドを完全に解除した。


サンティも膝をつき、影の子供と同じ高さになった。


「オレをおぼえてるか?」


優しく尋ねた。


子供が彼を見て、首を傾げた。


「うん……そこにいた。パパといっしょに。ときどき。あなたは……ともだち」


サンティが微笑んだ。今度の表情は温かく、心から親愛に満ちていた。


「ああ。オレは彼の友達だった。そして彼はあなたのことをとても愛していたんだ、知ってるか? どんな実験よりも、どんな発見よりも。あなたは彼にとって息子のようなものだった」


影の子供が震えた。


「じゃあ……なんでいなくなったの?」


「なぜなら他の者たち、今倒した男のような者たちが、あなたが何を象徴するかを恐れていたからだ。そして恐怖の中で、彼を傷つけた」


サンティが溜息をついた。


「あなたの……兄弟とでも呼べるかな、アロンの息子は、彼の仕事を理解しなかった。それを拒絶した。そしてアロンが死んだ時、家族のその部分が離れ、彼の遺産を隠した。ひめかまで」


子供がひめかを見て、それからサンティを見た。


「いま わかる。かのじょは……とおいかぞく。そして、あなたは……まもるひと」


「そんなところだ」


サンティが手を伸ばした。


「何か見せてもいいか?」


子供が頷いた。


サンティが彼の額に――あるべき場所に――触れ、青い光の閃光が二人を繋いだ。子供が震え、そして奇跡的なことが起きた。


彼を構成していた影が固まり始め、色を、形を取り始めた。顔の特徴が現れた――大きく好奇心に満ちた目、小さな鼻、薄い唇。体がより明確になり、より人間的に、まだ半透明ではあったが――高解像度のホログラムのように。


本物の子供のように見えた――乱れた髪と永遠の驚きの表情を持つ。


「なに……いまオレは?」


尋ね、手を見た――今や指、爪、掌の線を持つ手を。


「あなたはずっとそうあるべきだったものだ」


サンティが言った。


「痛みと孤立の歪みから解放された、アロン・ウルフリックの完全な意識」


子供――もはや影ではなく、光とデータの存在――が周りを見回した。ひめかを、僕を、その場にいる全員を見た。表情が悲しくなった。


「いまはっきりみえる。もうただのひかりやかたちじゃない……こういうひとたちが……プレイヤー?」


「プレイヤーじゃない」


サンティが訂正した。


「人間だ」


「にんげん……いまはっきりみえて……オレがあたえたぜんぶのいたみがみえる。パパをまつためにつくったせかいは……ほかのひとにとってのおりになった。キャラクターたちは……にんげんたちは……たがいにきずつけあった」


立ち上がり、床の上にわずかに浮遊した。


「オレがげんてん。ちゅうしんあるごりずむ。オレが そんざいすると、しすてむ はつづく。つくった ゲームの るーるはまだいきてる」


ひめかが素早く立ち上がった。


「どういう意味ですの?」


「これぜんぶをとめるには、オレをけさなきゃいけない」


子供が彼女を見た。そして今や本物の、表情豊かな目は無限の悲しみに満ちていた。


「さいごのあるごりずむ になる。じぶんをけして、ほかのみんなをかいほうする」


「だめ!」


ひめかが両手を伸ばした。


「そんなことする必要ないわ。別の方法を見つけられるはずよ。わたくしの曾祖父様は……あなたをそんな風に望んでなかったはずですわ」


子供が彼女を見て、その目に――落ちることのできない涙があるように思えた。


「オレはげんてん。ぷろぐらまー。オレがきえたら……つくったもの ぜんぶがきえる。ほかのエーテリアルたちも。このかそうせかいも。ぜんぶ」


ひめかが激しく頭を振った。


「いけませんわ! そんなことする必要ないわ――」


「じかんだよ」


子供が言い、声が今や驚くほど成熟して聞こえた。


「ながすぎるあいだ、まちがいとしてそんざいした。けっしてそんざいすべきじゃなかったもの として」


「あなたは間違いわ!」


ひめかが主張し、涙が頬を流れた。


「わたくしの曾祖父様はあなたを理由があって創造されたの! あなたを愛していたの! あなたは大切だったのよ!」


子供が微笑んだ――小さく、悲しいが、本物の表情。


「ありがとう。それをいってくれて」


サンティに向き直った。


「てつだってくれる?……いなくなるの」


サンティが頷き、顔は厳粛だった。腕の鎧から何かを起動し、浮遊するキーボードが現れた。素早くタイピングし、続いてデータと数字が空中に浮かび、子供の方へと移動し始めた――まるで彼がそれらを吸収しているかのように。


「パパはオレをいきてほしかった」


子供が優しく言った。


「でも、パパはかがくしゃでもあった。そして、じっけんがわるいことをもっとおこすとき、おわらせなきゃいけないってしってた」


データの流れが彼の周りを動き始め、より速く回転する数字とコードの螺旋。廊下の空気がエネルギーで振動し始めた。


「いくじかん。オレはけっしてそんざいすべきじゃなかったもの。じこ。うつくしいまちがいだけど、けっきょくまちがい」


ひめかが今や開けっぴろげに泣いていた。


「もう間違いだったなんて言わないで!! 彼はあんたを愛していたわ。理由があって創造されたの」


「なんのりゆう?」


子供が心からに好奇心を持って尋ねた。


「彼が孤独だったからよ」


ひめかが言い、言葉が奔流のように出た。


「理解してくれる何かを創造したかったから。純粋な何かを。判断しない何かを。あなたは彼にとって実験じゃなかった。仲間だったの。家族。愛したものだったの」


子供が微笑んだ――小さく、悲しいが、本物の笑みを。


「それはすてきだ。それがほんとだとおもいたい」


データの流れが強まり、白と青の光の球体に包まれた。床からさらに高く浮上し始めた。


「さよなら、かぞく」


ひめかを見ながら言った。


「さがしにきてくれてありがとう」


「待って!」


ひめかが叫んだ。だがもう遅かった。


光の球体が明るい点まで収縮し、それから静かなエネルギーの純粋な波となって爆発した。破壊的ではなかった――溜息のように、解放のように。


波が全員を通り抜け、感じた……軽さ。まるで知らなかった重みが持ち上げられたかのように。


子供がいた空中に、ゆっくりと消えていく光の粒子だけが残った――まるで降る星屑のように。


ひめかが膝から崩れ落ち、すすり泣いた。彼女に駆け寄り、腕で包んだ。彼女が僕の抱擁に沈み、震えていた。


「行ってしまわれた」

囁いた。

「わたくしたちを救うために」


「ああ」

髪を撫でながら呟いた。

「分かってる」


周りを見回した。何かが変わっていた。空気そのものがより明瞭に、より real に見えた。そして奇跡的なことに気づいた。


床に倒れて傷ついていたアヤ、エリザ、かんなが――動き始めていた。傷が、あざが、骨折が……消えていった。


エリザが起き上がり、以前は使えなかった腕を見た。今は痛みなく動かせている。


「何が……?」


「傷だよ」


サンティが僕に向かって歩きながら言った。


「原初が創造した仮想世界の一部だった。『ゲーム』のルールの副産物。今、中心アルゴリズムが自己削除されたから、仮想世界は崩壊する。そしてそれと共に、そのパラメータ内にのみ存在していた全てのダメージも」


リリスを見た。彼女も動いていた。ゆっくりと座り上がっている。折れた骨、血、内部損傷……全てが消えていった。


だが彼女の顔の表情は安堵ではなかった。完全な荒廃だった。


サンティが彼女に近づき、膝をついた。


「リリス……」


彼女が彼を見上げ、初めて彼女の目に涙を見た。


「ごめんなさい……ごめんなさい。本当にごめんなさい」


「分かってる」


サンティが優しく言った。


「そして償う機会を得る。だがここではない。オレと来い」


リリスが頷き、言葉を発するには打ちのめされすぎていた。


サンティが僕に向き直った。


「若者……オレのスキャナーによれば、君の名はアレン・ウェバーだな」


立ち上がり、ひめかを立たせる手伝いをした。


「ああ」


「説明する義務がある。多くの説明を、実際には」


「なぜ僕に?」


「君を見れば分かる。君がリーダーに最も近い存在だと」


サンティが周りを見回した――瓦礫に、回復していく傷ついた僕の友人たちに、彼のアカデミーの残骸へと続く破壊の道に。


「約束する。説明する。だがまず、この混乱を片付けなければならない。アイザックを正義の前に連れて行く。リリスがより良い道を見つける手助けをする」


頷いた。


「アカデミーは?」


サンティが微笑んだ――疲れたが希望に満ちた仕草。


「アカデミーは……続くだろう。だが、形は変わる。本来あるべき姿に。実験場でも、研究対象にされる場所でもない。ただ学ぶためだけの場所として」


さらに一歩近づき、完全に見られ、完全に理解されているように感じさせる方法で僕を観察した。


「君の中に何かがある」


意味に満ちた低い声で言った。


「到着した時に感じた。友人たちが君に従う方法に。ひめかが君を信じる方法に」


瞬きした。


「それは何?」


サンティが微笑んだ――理解できない何かに満ちた小さな仕草。


「霊輝のことだ」


「霊輝?」


繰り返した。


「何それ?」


「アカデミーのシステムのスキルじゃない。もっと深い、もっと古いものだ。システムが君が一人だと言った時でさえ、他者と繋がることを可能にしたものだ。称号がない時に君をリーダーにしたものだ。君をここまで連れてきたもの、この混乱の中心まで、そしてその後により良いものを築くために君を導くものだ」


何を言えばいいか分からなかった。言葉が内側の深い場所で反響し、感じていたが決して名付けなかった真実を呼び起こしていた。


サンティが手を伸ばし、掌にシンプルな白いカードが現れた――連絡先番号が書かれている。


「準備ができたら。これ全てを処理する時間を持ったら。オレに電話しろ。全て説明する。5iについて。アロンについて。真の能力について。そして霊輝を持つことが、それを忘れた世界で何を意味するかについて」


カードを受け取った。サイズの割に驚くほど重かった。


「今は?」


尋ねた。


「今は……友人たちをここから連れ出す。ひめかの世話をする。休む。そして覚えておけ、今日、君は大切な人を救っただけでなく、自分の痛みの中にあまりに長く閉じ込められていた子供を解放する手助けをしたんだ」


最後に一度頷き、サンティは不気味な容易さで意識のないヴァレンタインを拾い上げ、静かで従順なリリスを廊下の向こう――出口とは反対方向へと導いた。


彼らが去るのを見守り、それから周りを見回した。アヤ、エリザ、かんなが今は立っていて、互いに助け合っていた。小次郎、しずく、武蔵が近づいてきた。りんが僕の隣にいて、完全には解読できないが、尊敬を含み、おそらくそれ以上の何かを含む表情で見ていた。


そして、ひめか……


ひめかが僕のもう片方の側にいて、彼女の手が僕の手を見つけ、指を絡めた。


「アレン……」


優しく言った。


彼女を見た。


「ありがとうございますわ。来てくださって。諦めなかったこと。……アレンでいてくださったこと」


肩から最後の緊張の残滓が溶けるのを感じた。彼女に向けた笑みは小さく、疲れていたが、本物だった。


「行こう」


言った。


そして初めて数ヶ月ぶりに、深く息を吸った――おそらく、ただおそらく、最悪が終わったと感じながら。


そして一緒に、全員で――傷ついたが生きている、疲れたが自由、永遠に変わったがまだ自分たち自身――瓦礫を越えて出口へ、彼らを待つ日光へ、今や再建しなければならない世界へ――だが初めて、真に自分たちのものとなる世界へと歩いた。

次回――その後の世界。


すべてが終わったあとに残るもの。


それは、壊れたものだけではない。


変わったもの。


そして、これから変えていくもの。


三ヶ月という時間の中で、

学園は新たな形へと生まれ変わる。


制度は消え、序列は崩れ、

残るのは“人”だけ。


それぞれが、自分の意思で生きていく世界。


だが、傷が消えたわけではない。


戦いの記憶は、確かに残っている。


それでも――前に進む。


やがて訪れる再会。


語られる過去の真実。


そして提示される、新たな選択肢。


アレンは何を選ぶのか。


戦いではない日常の中で、

彼が求めるものとは――。

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