#57
獣じみた唸り声。その中でも、自分の名前を呼ばれているということだけはわかる。いつの間にか疲労と集中のため下げていた視線を、前に向ける。
獣じみた前屈みの、肩が張り出した体勢。口が半開きになり、そこから涎が垂れ流されていた。眼も禍々しく充血し、唯一その剣山のような髪だけが名残りをのこしていた。
「刀耶」
呼びかけに、応えはない。さらに質問を続ける。
「鶫は、どうした?」
「殺した」
瞳孔が微かに開いたのを感じた。さらに答えを続ける。
「喰った」
カパリ、と口を開いた。歯と歯の間を糸のように、涎が引いた。
こいつも……実験。
映る世界が揺らぐような感覚。殺人鬼。人喰いの化け物。怖い。死にたくない。壊されたくない。逃げ出したい。だけど、それで終わるわけにはいかない。今のぼくには――
「あとはお前も喰って、おしまいだ」
ぼくで、刀耶に勝てるのか?
さっきはなんとなく勝つことが出来た。ぼくがロボットで相手が人間だったから。不意をつけたから。だけど今度は相手がロボットで、壊す気満々で、食べる気満々だ。ぼくはそんな風に出来てない。喧嘩さえ、したことない――
未由。
背中の未由をゆっくりと静かに、下ろした。振り返る前に、ぼくは未由の顔を確認した。愛しい愛しい、ぼくの愛するきみ。
結局ぼくは、機械だったけど。未由を好きだという気持ちだけは、信じたい。
「……いくよ、刀耶――」
既に刀耶はその腕を鋭いナイフに変え、切りかかってきていた。
まず、残った右肩をもっていかれた。
当然だった。それで、防いだのだから。そのあと、残った唯一の武器である左手のグーで殴りつけた。硬い感触だった。ひとを殴るってことがこんなに反動があるとは思わなかった。それで刀耶の顔は捻れて、吹っ飛んでいった。
そのあとのことは、よく憶えていない。もっと正確にいうなら、記憶回路に記録されていないというべきか。いや、虚しくなるからこれ以上はもうやめようか。
せめて、心だけは人のように振舞いたい。
「――カハッ!」
咳き込み、吐血。そう思うようにした。口から溢れたのが緑色だったことは、目を瞑ることにする。
顔を上げる。既に刀耶は、目の前だ。
右手の指先――ナイフが、掲げた左腕を貫く。
「こ……のォ!」
頭突き。もう体裁もなにもない。まともに当たりもしない。だけど鼻先は掠めた。それで、刀耶の鼻はひしゃげた。
「う、わあああああああッ!」
左腕をナイフが刺さったまま、振り回した。拳の指の部分が、刀耶の頬を打った。骨が砕ける感触。そのままラリアットのように腕を押しつけ、床の上に押し倒した。
馬乗りになった。
「わあ、わあ、わあ、わあっ!!」
振り下ろす。手の下の、肉が厚い部分で。何度も何度も何度も何度も。叩きつけた。
ぼくの、知り合いだったやつの顔に。
「ハー……ハー……ハー……ハー!」
呼吸が荒い。これは激しい運動をしたから酸素が足りなくなっているからだけじゃない。色々な想いに、脳が、オーバーヒー――いっぱいいっぱいに、なってるんだろう。
「……ちくしょう」
一言だけ、呟いた。現状に対する、悔しさを。
びくん、と刀耶の体が撥ねた。
「!?」
身構える。まだ、生きて――? だけど、どこか様子がおかしかった。
「ぐが、が……ご、ごぉ……」
馬乗りになられているぼくの下で、刀耶は仰向けで口をぱくぱくさせて、腹を蠕動させて、喉を痙攣させて、それはまるでこれから何かを吐き
「がぼぉ!」
腹が、裂けた。
「な――――」
とつぜんの事態に、ぼくは反射的に刀耶の体の上から飛びのいていた。三歩の距離をあけて着地し、様子を見る。刀耶の腹はまるで内側から爆発したかのような惨状だった。皮は消し飛び、肉は破裂し、肋骨がバックリと外に向け剥き出しになっていた。
そしてそこから、鶫が飛び出していた。
「……つぐ、み?」
「おばあちゃん、いない」
文字通り頭からバケツで――血を被った状態。それがドロドロと絶え間なく頭から髪から流れ伝い落ちている。その中で鶫は、目を閉じることすらなく口を半開きにして、周りをキョロキョロと見回している。
「どこ?」




